感受性が衰退したんじゃなくて、まま氏の環境が似たり寄ったりだから飽きてきたんだろ。
俺は30前後で自然の良さに開眼したぞ。
春にクロッカスが咲きだしたり、その後木蓮が咲いたり。木が芽吹いたり。
「四季がある」日本では全然気付かなかったが、今は季節ごとの自然を楽しんでいる。
自然の作り出す造詣にはいつも驚かせられる。飽きない。
「季語」なんかめんどくさい縛りだなあと思ってたが、今は句に季節を織り込もうとした先人の気持ちがわかるわ。
自然くらい宮城にもあるだろ。驚くようなものは回りにいくらでもあるぞ。感受性の所為にするな。