Cさんが来たり来なかったりするスレ(2011春)

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71イニヒコ・イニヱ
「『文学』と呼ぶにはある一定のレベルを越えたものでなければならない。」
まあ、よくある主張だな。
そうやって限定された「文学」は、実は「書くことによって表現される物」
の小さな一部分でしかない。
「一定のレベル」という線引きも、実は恣意的で根拠がなく知識エリートが
一定の「表現されたもの」を「列聖化」してるに過ぎない。
「どういうレベルを越えたものが『文学』なの?」という質問にCは答え
られるか?結局それはCの恣意だろ?
「社会に列聖化されている」「歴史的に価値がある」「文章が流麗」など
結局、テキストを構成するネットワークの一部で絶対的なものではない。

そうやって、テキストは多重性を持っているから人によって感想が変わる。
一つのテキストの中でも価値の流動は起こっている。
それを捕らえるための「脱構築」だろ?

こんな基本的なところも見逃してるCが保身のために「デリダ」なんて
「名詞」を使ってるとすれば、それは俺にとって最高の皮肉だなw