石川遼のような才能よ身につけたい

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376李哲秀

c.太郎は「すしが」好きだ。
d.太郎は「すしを」好きだ。

「好きだ/好きな」は形容動詞な。これは通常「すしが」の様に「目的語」ではなく、「主語」
で表すが、d.の「すしを」の方を考えてほしい。「太郎が花子を寝た」に比べたら、幾らか
日本語として許容できないか?次に複合動詞の「食べたい」で考えてみよう。

e.太郎は「すしが」食べたい。
f.太郎は「すしを」食べたい。

この場合の「すしを」は上の「すしを好き」より許容度が上がらないか?
Hopper & Thompsonこの許容度の違いを「他動性」という言葉で説明したわけ。
大雑把に言うと、「食べたい」は「好きです」より「目的語を取っても許容される」から、
「他動性が高い」という事になる。「他動詞」はそれより他動性が高いし、「自動詞」は、
「食べたい」「好きです」より低いと。
重要なのは「他動詞」「自動詞」という動詞内での話に過ぎなかったものを、形容詞・形容動詞
・複合動詞なども含めて「他動性の度合い」で説明できると考えた訳だな。
「1.動詞内のことしか説明できない仮説」と「2.形容詞・形容動詞・複合動詞なども含めて
説明できる仮説」を比べれば、2の方が優れているのは分かるか?

次の話に進むぞ。(つづく)