〜新デビュー後企画第3942弾〜低鼻斜視蓄膿P

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225名無し戦隊ナノレンジャー!
マニラのニノイ・アキノ国際空港に降り立ったアラン&サラ・カルデロン夫妻は、「日本に娘を
一人置いたままにするのはつらい」と悲しく語った。

入国管理局では、「いつフィリピンから出国し、どこにいつまで滞在したか」を記入する欄に、
サラは1992年・日本と、アランは1993年と記入した。夫妻はそんなに長い間どうやって
みつからずに逃れ続けることができたのか?それについては語らなかった。

アランはタガログ語での報道陣からの質問に答えるのに四苦八苦していた。彼によれば、
娘のノリコが生まれてから家で妻とは常に日本語で話し、娘は友達も日本人ばかりだから
あえてタガログ語を教えなかったという。(意訳) http://mb.com.ph/articles/202411/couple-deported-japan-arrives-sad-over-daughter-s-fate

夫妻は日本の報道陣には多くを日本語で語った。アランはフィリピンの報道陣には
英語でも返答した。(意訳)
http://globalnation.inquirer.net/news/news/view/20090415-199430/Expelled-RP-couple-back-from-Japan

なぜ娘にタガログ語を教えなかったのか?との質問に、アランは教えようとしたが、娘が
日本語のほうを話したがったと答えた。「我々の言葉を教えようとしたが、彼女は受け入れ
なかった。彼女は家を出れば、友達もクラスメートもみな日本人だから」(意訳)
http://www.philstar.com/Article.aspx?articleId=457711&publicationSubCategoryId=202

長年海外にいたからなのか、夫妻は自国語を話すのが苦手のようで、日本の報道陣と話
すほうが気楽なようだ。地元テレビ局がタガログ語と英語で質問したところ、完全無視した。(意訳)
http://businessmirror.com.ph/home/nation/8785-16-years-as-tnt-in-japan-calderons-are-finally-home.html