嫉妬厨

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67名無し戦隊ナノレンジャー!
嫉妬君に捧げる詩(うた)


なにがなんでも自分が優位に立たなければなりません。
自分が劣っていることを認めることは、幼いころの痛々しいくらいに哀れで惨めな自分に結びついてしまいます。
ですからどんな卑怯な手段を使ってでも、どんなにつじつまの合わない妄想であろうと、
自分を守るためにしがみつかざるを得ません。

他人から侮辱されたと思い込んだりした場合、
自分を守るために、非常に激しく怒ったりします。
あまりにも自己中心的な怒り方なのですが、本人は必死です。

妄想の種になるようなものがないときは、他人の欠点を捜し出して見下したりします。
ありとあらゆる理由をつけて他人を見下します。貧乏人の癖に、不細工な顔をしているくせに、頭が悪いくせに……。
実際にどうであるかということよりも、とにかく見下すことができればそれでいいのです。

 他人を見下すということは、ときには他人からの報復攻撃として、自分が陥れられるかもしれないという疑いを生み、
非常に疑い深くなったりします。他人に心を開くことなく、自分の妄想の殻の中に閉じこもってしまいます。

 こういったことは様々な不都合を生みますが、利点としては自我の崩壊を防ぐことができるということです。
もし、妄想が崩れたら一気に鬱状態になったり、あるいはパニックになったりしますが、
少なくとも妄想にしがみついていられる間はこのような悲惨な状態にはなりません。

 しかし、現実というものがひたひたと足元に忍び寄ってきます。
砂の城は波によって崩されていきます。妄想という砂の城を維持するためには、
現実の脅威に対して妄想を補強し続けなければなりません。
やがて、妄想が維持できなくなったとき、悲惨な現実にうちのめされてしまうのです。