1 :
1 ◆suuUFgflzg :
ミッチー死ね
哲学は 次の言葉により 命を与えられた。
「あるものは あり ないものは ない。 あるものは 1つであり 全体である。」(パルメニデス 紀元前544〜)
論理には 限界がある。なぜなら 「四角い三角」「青い赤」などど言えてしまうからだ。
マクタガートは「時間は存在しない」と主張した。 その意味は不明だが。
6 :
名無し戦隊ナノレンジャー!:2007/10/13(土) 15:55:19
疑う哲学はもう古臭ぇ
過去の偉大な思想家のしたことをリフレインするだけだ
これからは信じる哲学の時代(笑)
なるほど 少し 語りたまえ。
哲学て、敷居が高すぎて中々手出せない。
たぶん要約してゆくと理解できるようなシロモノだと思うけどね。
あの、難解な文字列を見ただけで頭が痛くなる・・
そもそも理解しようと考える行為自体が大事なのかね・・
むしろ、理解しようとするほど理解対象の本質が曖昧になってゆくのが現代哲学っぽい?
考えようともせずに、
「どうせ哲学なんてインテリぶったやつの知識ひけらかし大会だろ けっ」
なんて言って否定だけしているよりは考えた方がいいじゃん
まずは理解しようと努めることが大事じゃん
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>>7 信ずるに足るだけの ナイスな概念でないとだめよ。プラトンがイデアを創造したようにさ。
この科学の発達した時代には難しいよね。事実が哲学を上回っていくからね。
要は民衆に啓蒙し得るだけの「手抜き」をしないといけないんだな。
哲学者にとってのナイスな概念と民衆のそれと、水準が全然違う。
科学が発達したのは事実だけど真実じゃないかんね。
主観以外の真実を求める哲学があってもいいと思ふ。
17 :
14:2007/10/14(日) 12:59:51
>>15 それはなにかね。 鎌倉仏教みたいに念仏唱えてりゃ往生できるみたいなことにすればいいってことかね?
そいつはちょっと納得できねーな。それは哲学じゃねーだろ。
どうして疑う哲学はよろしくないのか その辺 軽く あくまで軽く語ってよ。
18 :
名無し戦隊ナノレンジャー!:2007/10/14(日) 13:06:15
ageますね
19 :
14:2007/10/14(日) 13:16:05
あげた奴は責任もって何か少しでも書きたまえ。そんなルールはないのか?
20 :
名無し戦隊ナノレンジャー!:2007/10/14(日) 13:18:23
>>16 科学は理に適っていないと答えを導き出せないものですが。
21 :
ズーイー ◆HbxINKu/s2 :2007/10/14(日) 15:03:35
疑うにしても、なぜ疑わしいのかという理由がなければ説得力を持たないし、
信じるにしても、なんらかの信じるに足る要因があってそうなるわけだから、
認識出来る事柄を根拠に、「これは確かだ」「これは怪しい」というのを導くという意味では、
疑う哲学も信じる哲学も手法的には同じなんじゃないかな。
そういう意味では哲学も科学の仮説同様、合理的な説明を伴ってなければ説得力は持たないと思うんだ。
我思う、ゆえに我あり、って説得力あるけど、
我思う、けれど我在らず、と主張しても説得力ないじゃん。「なんで?」というつっこみが入るだけで。
22 :
名無し戦隊ナノレンジャー!:2007/10/14(日) 19:27:35
ワカタヨ
我ほとんど思わず、ゆえに我ほとんどなし
これならおk?
うーん ズーイー氏は 例えば合理的な説明ができたとして しかしそれが観察や実験によって反証された場合は
その説明はとりあえず破棄することに異議はない ということでいいですか?
>>20 それは人間が限定して再現度を図りながら設定した「理」に過ぎないでしょ。
そこんとこ分かってないと。
「科学の時代は間もなく終わりを告げる」って説いてる知識人も多く居るが
科学の収斂できる認識の幅が広がって行くだけのような気がするんだねぇ・・
科学を捨てることなんて当分は無理でしょ。
26 :
りぞ:2007/10/15(月) 03:17:08
「我思う、故に我あり」は「自意識こそ存在の基底となるもの」であり、
その基底を形成し得る時間、空間などの諸概念がその自意識に組み込まれて初めて
森羅万象を認知する骨格が成立するものだ、という事を考えると、
自意識を構築した骨格である根源存在に関しても疑念を抱かざるを得ないだろう。
しかし、疑う事に特化し、霊性を無視し現象学を突き詰めたアカデミックな領域の現代哲学から
今更何を学ぶ事があるだろうか。
根源存在への疑念を費えさせてはいけないのだ。
根源存在ってやっぱあれか?心因世界とかそんなやつか??
もう理解できんねwwwwwwwwwwwwwwwwwww
人間だったら神だろうが根源存在だろうが、科学力で全て飲み込もうとするだろうぜ!けっ
29 :
名無し戦隊ナノレンジャー!:2007/10/15(月) 04:06:45
みんな日常生活のことで手いっぱいだぁ〜
哲学やる余裕なんてねぇ
優れた思想家は暇人ばかり
30 :
名無し戦隊ナノレンジャー!:2007/10/15(月) 04:34:47
退屈で意味不明で屁理屈で高飛車な哲学聞いてるより
華僑やユダヤ商人、または大阪のあきんどや近江商人の
代々伝わる活きた商い哲学を聞く方がよほど有益だ
31 :
名無し戦隊ナノレンジャー!:2007/10/15(月) 04:49:26
32 :
名無し戦隊ナノレンジャー!:2007/10/15(月) 04:54:41
屁理屈哲学など役に立たないから言ってるのだ。
じゃあなにか、空腹感を哲学が満たしてくれるのか?
33 :
名無し戦隊ナノレンジャー!:2007/10/15(月) 04:56:33
最初っから否定する前にそれが屁理屈なのかどうか少しは考えて吟味してはどうなんだ?
理屈と屁理屈の区別も付いてないようにしか見えないが。
>>32 活きた商い哲学だって、直接的には空腹を満たしてくれないと思う。
何事もまず考える事から始まるだろ。
一見屁理屈に見えても実は大事な事もあったりするもの。
35 :
名無し戦隊ナノレンジャー!:2007/10/15(月) 05:00:51
生活密着型の思想の方が好感持てるよね
現象学とかデカルトとかしょせん暇人の発想だよ
普通に生活してると哲学なんてやらなくても大事なことは見えてくる
36 :
名無し戦隊ナノレンジャー!:2007/10/15(月) 05:02:06
それが私の人生に利をもたらすなら耳を傾けてやろう。
でなければ、無用な哲学なんぞ脳内デリートだ。
おまえも他人に耳傾けてほしければ高飛車な態度とるより
興味持たれるように工夫すればどうだ?
37 :
名無し戦隊ナノレンジャー!:2007/10/15(月) 05:03:59
38 :
名無し戦隊ナノレンジャー!:2007/10/15(月) 05:06:43
なら勝手にデリートしてればいいじゃん。庶民らしく自分だけの狭い人生哲学でも追及してれば。
興味を持とうとする姿勢を端から持てない人間に親切にするほど
俺はお人よしでも人格者でもないんだから。まぁ高飛車なのはお互い様ってことで。
39 :
名無し戦隊ナノレンジャー!:2007/10/15(月) 05:09:37
最初から否定して掛かる人間を理解させるほど哲学ってのは優しいものじゃないよ。
思想に対して興味を持つことから始めないとお話にならん。
興味は自主性だろ。他力本願で「興味を持たせろ」なんて馬鹿の意見だ。そんなことも分からないようじゃ永遠に無理。
40 :
名無し戦隊ナノレンジャー!:2007/10/15(月) 05:10:22
41 :
名無し戦隊ナノレンジャー!:2007/10/15(月) 05:12:18
42 :
名無し戦隊ナノレンジャー!:2007/10/15(月) 05:14:06
43 :
名無し戦隊ナノレンジャー!:2007/10/15(月) 05:14:36
最初から興味持った姿勢で望んでくるなら親切にもできるだろうが
こいつみたく、「そんなもの下らねぇ、大事なら俺に分かりやすく教えろ」
そんな意識で誰が親切に教えてくれるだろうか。
44 :
名無し戦隊ナノレンジャー!:2007/10/15(月) 05:22:29
「利」というものを知らない青ニ歳共のオナニースレかここは。
自力で生活する苦労知らなく哲学語ってればひとかどの
人間だと勘違いしてるのだろうか
笑
45 :
名無し戦隊ナノレンジャー!:2007/10/15(月) 05:26:12
>>44 はいはい、負け惜しみお疲れさん。
自力で生活する苦労を知らない人間が
高飛車に難解な哲学を語っていると思い込んでいる視野の狭い人だ。
実に情けない。
生活密着型の哲学と、もっと大きな視点から見た哲学と、両方の視野を持つのがよくないですか?
社会に暮らす以上は生活密着も大事だけれど、社会の成り立ちという観点から見る感度も大事だと思われます。
個人と全体は大よそ同じ理屈では通用しないことですし。
そうですね。お互いの価値観だけで意地張っててもしかたないですしね。
48 :
C ◆7sqafLs07s :2007/10/15(月) 11:36:28
>>32 空腹感を満たすもっとも手っ取り早い方法は盗みだと思いますが
あなたは何故しちめんどくさい労働などをしているんですか?
49 :
C ◆7sqafLs07s :2007/10/15(月) 11:38:12
社会を守ることが大切だとか
労働は素晴らしいとか
生活はなんのためにあるのかとか
そういうのも全て近代以降の思想や哲学が地道に構築してきた概念なんですよ。
なのに生活で哲学を否定できると思ってるんだとしたら笑えますね。
50 :
名無し戦隊ナノレンジャー!:2007/10/15(月) 14:39:10
最近Cさんのギャグが全く冴えてないように思うが
彼はくたびれてるのだろうか・・
ここはギャグやるスレと違うよ
>>26 お気持ちよく分かります。しかし私は、言われるところの「根元存在」こそ我々が果敢に挑戦する領域として
残っているように思えてなりません。「根元世界」はあるのか、どのようにあるのか あるいは幻想か
幻想と区別が付かないものか、あるべき姿の設計を人間が主体的にする必要があるのか、それは許されるのか
りぞ氏はまだ決めかねているのではないですか?わたしは比較的 懐疑主義者ですが りぞ氏が信ずるに足ると
考えている「宇宙のグランドデザイン」なるもの、全体の説明は困難かもしれないので、まずは何を第1原理として
考えているのか。平和ですか?幸福ですか?安定ですか?停滞?競合?秩序?・・・・なんでしょう?
少し披露して欲しいなと思ってます。
みんな仲良く
悪口禁止 素直に 我儘に うんこ エロ禁止 エーエーは気晴らし 挨拶はしましょう 善レスしなくても過疎希望
54 :
ズーイー ◆HbxINKu/s2 :2007/10/16(火) 12:51:57
>>22 ああ。OKさ。それっていろんな意味で考察するに値する言葉だと思う。
>>23 破棄するかもしれないし、別の方向に話しをしていくかもしれない。ケースバイケースじゃないだろうか。
科学的には正しくないと証明されたとしても、なんらかの勘違いや錯覚をするにはそれなりの原因があると思うから。
そういう部分について考える事もなんらかの真理へと到達するきっかけになり得るんじゃなかろうか。
哲学は学問のようで 学問ではないものと思います。人から教えてもらうものではないと考えます。
自らの知性に向き合うことで得られるものです。ヤスパースがいっています
「人間は、人間である限り根源的に哲学するものである。」
哲学史を学んだことが無くても哲学しましょうよ。ここで。本当のこととはなにか と考えるだけのことなのです。
ただ「全ての哲学は挫折する」という言葉もあるようで、きりがないのですが。
科学が事実なんて・・・事実っぽく見えるだけかもしれないのにね
57 :
名無し戦隊ナノレンジャー!:2007/10/18(木) 17:37:52
なんと珍妙なスレだ
>科学が事実なんて・・・事実っぽく見えるだけかもしれないのにね
これは「事実」の範疇を厳密化させようって意志表明なのか
それとも事実の存在への懐疑なのか
あるいは単なる科学への批判なのか
ひょっとして ただの捨てぜりふか
某所で面白い発言を見かけたので、この場をお借りして思考実験をしたいと思います。
「馬鹿ですね 不幸なことばっかり覚えてるからそれを思い出して不幸になるんです
幸せなことをすぐ忘れるからいけないんです 幸せと感じないからいけないんです」
幸福と不幸に関してですが、ここで……今更と思われるかもしれませんが、
フロイトの学説に沿って説明してみましょう。
曰く、「死への衝動“タナトス”は、エロスをも内包した、人間における最大欲求である」。
曰く、「夢とは願望充足である」。
戦場から帰還した兵士が、その後もPTSDとして、戦場での死闘を悪夢の中で再現する。
「夢とは願望充足である」という命題を真とするならば、
殺す・殺されるという戦場でのシチュエーションは快楽と判断……できるのか?
しかし、ホラー映画、近年では「SAWシリーズ」に代表されるソリッド・シチュエーションものが好評であることからも、
恐怖とは快楽に他ならない。
【再現性】
幸福を思い出す・脳内で再現するには、
A-10神経系が刺激され分泌される、ドーパミンを始めとした50種類以上の神経伝達物質が必要とされ、
その条件を満たすのは、容易だとは思えない。
ヒトは恐怖・驚愕の体験に遭遇すると青斑核からノルアドレナリンを分泌し、
闘争か逃避かの態勢に入り、ストレス体験を終息させるための行動に入る。
長期間回避不能のストレスにさらされた動物は、やがて無痛覚の症状に至り、ストレスを回避する行動を止めてしまう。
上記は蛇足に過ぎないが、幸福と不幸、その再現性を考えた場合、
やはり不幸の方が容易に再現できるのではないかと思う。これは私的感覚に照らし合わせたものに過ぎないが。
幸福というのは、達成されてしまえば浄化作用が働いて、その瞬間を以てして霧散する印象を受ける。
一方不幸の場合、その不快な感覚を解消するのは困難で、過去に囚われたまま生きている人間も多いのではないか。
そんなことないよ。年とると いい思い出ばっかり思い浮かぶよ。逆に悪い思い出は抑圧されてめったに思い出さない。
「大体不幸になりたがりな人多いですからね
なんででしょうね 不幸ぶってれば皆優しくしてかまってもらえるからでしょうか 気持ち悪い」
これにはほぼ同意してもいいかと。
たとえばmixi特有の現象かもしれないが、
誰かが苦しみを口にすると、一斉に不幸自慢が始まる。
強かに生きるという観点からすれば、被害者を装うのもひとつの手段だろう。
某大陸など、日本からODAで軽く30兆円を超える援助を受けていながら、
さらに……言ってしまえば“恐喝行為”を繰り返している。
さて、この話題は一度打ち切って、宣言した通り思考実験を行いたい。
>>62 貴重なご意見ありがとうございます。
断定的な書き方をしていますが、あくまでも仮説として述べているつもりなので、
拙い箇所を補完して頂けると助かります。
思考実験 【真に健全なる社会】
1:NEETは排除する
2:障害者は排除する
3:60歳以上の人間は排除する
4:容姿が醜いものは、その遺伝子を後世に残してはいけない
5:偏差値が一定基準(60くらい?)に達しない者は、その遺伝子を後世に残してはいけない
要するに弱者を排除すれば、それで社会は本来の形となるのかどうか。
弱者は国外撤去、あるいは日本でも安楽死法案を設立させ、
オランダに準拠しつつもさらに過激なやり方をとるべきなのかどうか。
こういった極論は、すぐに綻びが出る。
上記で挙げたNEET、障害者、高齢者をひっくるめての社会。
強者が強者のままでいられるかといったらそうではなく、
競争社会では必ず誰かが蹴落とされる。
そういった役割を担う者、犠牲者が必要。
強者を(直接的)に成立させているのは弱者……なのでしょうかね、誰か教えて下さい、お願いします。
まあ、弱者への配慮というのは、現代における利己主義に正しく則り、保険、と解釈してもよいのでは?
「自分さえよければどうでもいい」という発言を各所で多々見かけますが、
本当にそう思うのであれば、どうして他者をないがしろにしてもいいという考えに至るのでしょう?
長々と稚拙な能書きを垂れ流したこと、深くお詫びします。
同時に、スペースをお借りした礼を述べねばなりませんね。ありがとうございました。
私は若い頃、ニーチェの「ツァラ〜」を読もうとしたのですが、
「市場の蝿」あたりまでは愉しく読んでいたものの、
「自分以外の誰かになりたいなどという考えは実に愚かしい」
――という一文に反感を覚え、それ以降読むのをやめてしまった低脳。
よって、特に哲学に関して語れることはないのですよ、ええ。
今回は思わずguessってしまったというか、ifを唱えてしまったというか……。
それでは再びROMに戻ります。
このスレはきっと伸びる。毎日ログの取得を楽しみにしています。