1 :
竜之介 ◆87xY9YGmUQ :
ここは竜之介様が私的目的に使うスレッドです。
2 :
竜之介 ◆87xY9YGmUQ :2006/08/05(土) 07:19:09
無人島で自然体験学習
1.内容
自然の厳しさを思い知るために奄美大島から船で約30分の、加計呂麻島の西のはずれに
ある全周約2.5キロの江仁屋離島で、子供たちは7月22〜26日の五日間をすごした。
企画は森永製菓などが社会貢献のために6年前から行っている。
今回は全国から小学3〜6年生の50人が参加し、野外活動の指導者や看護婦ら大人のス
タッフ約30人が活動を支えた。
1日目のスケジュールはテントの設営だった。
2日目からは岩登りやシーカヤック、釣りなどの自然を相手にした遊びに挑戦した。
3日目は一日中大雨となった。
この活動に参加した児童の感想は
「自分が休む場所も、自分で作らないといけないんだね」
「透き通った海の水を見たのは初めて。虹色の魚がえさに食いつくところをみたよ」
というものだった。
今回の企画の隊長を務めた登山家で野外活動専門家の大蔵喜福さんの話は
「勉強で覚えたことは理解度が低く、すぐ忘れてしまうが、活動の中で体験した物事は忘
れない」
「自然体験の中から、1つでもいいから興味が持てるものを見つけ、その体験を周りの人
に話して、体験を共有できることが大切。大人は危険だからといって自然から子供を遠ざ
けず、遊ばせる重要性を見直すべきだ」
というものだった。
2004年8月2日 読売新聞朝刊 (31) 教育 12版より引用
2.自分が関心を持った点
現在はインターネットやゲームにふけり、実体験に乏しい子供たちが増えているが、生き
る力をはぐくむために小学生の子供たちが親元を離れて5日間も無人島で共同生活を行い、
自然との係わり合いを学んだということに意義を感じ、興味を持った。
3.自分の主張
現在の子供たちにとってもっとも大事なことは何であろうか。それは他人との付き合い方
を学ぶことである。最近新聞の紙面では低年齢層による凶悪事件の数々が連日のように報
じられているが、これは家の中でインターネットやゲームばかりをやって現実とバーチャ
ルの区別が困難になり、人と正しく付き合うことができなくなった子供が増えたことが原
因の一端にあると思われる。現代の子供たちにはインターネットなどを通してではなく、
他人と現実世界で触れ合うということが必要なのではなかろうか。この自然体験学習を通
して得られたさまざまな体験は児童のその後の人生に大きく役立つだろう。この体験で児
童たちは人との接し方と目上の者を敬う態度が自然と身についたはずである。個人的には
生きる力を学ぶための総合的なレクリエーションとしてこの活動を高く評価したいと思う。
レポート集
>>11-14 2004年11月22日 教育学演習 無人島で自然体験学習
題目 修身教科書
@修身とはどういう教科か。
修身の語源は「修身斉家治国平天下」で、これは中国の古典の「大学」に出て
くる言葉である。この言葉に出てくる修身とは、学問を修めて立派な人間に
成長していくという意味である。日本では1872(明治5)年に公布された
学制の教科編成の中に修身教育が取り入れられた。1890(明治23)年に
教育勅語が公布されて以降は第二次世界大戦が終結する1945(昭和20)
年まで儒教の色合いが濃い、忠君愛国を理念とする教育体制が続いた。戦後
GHQ(連合国軍総司令部)の命令で地理と歴史の教科書とともに修身の教科書も
没収された。
A配布した修身教科書を読んで、どういう印象を持ったか。
第一印象は文体が古くさくて硬いというものだった。また、そのことがおごそか
にも感じられる。第四期国定教科書の第二には皇室の項目があり、歴代の天皇の
業績と昭和天皇の家族構成について触れられているが、この中で現在の天皇の
本名が「明仁」であるということが述べられている。私が中学生のときに生徒
会長だった人の名前も「明仁」だったが、もしかしたら彼の名前は天皇の本名に
由来するのかもしれないと思った。全体の内容としては天皇と国に忠誠を尽くす
ということを主眼にした上で、人としての生き方を説話をもとにして示すという
形式になっている。2000年5月15日には森喜朗首相(当時)が日本は
天皇を中心とする神の国だといういわゆる「神の国」発言をしたが、森首相が
こうした発言をした背景には戦前の道徳教育の基本精神だった修身の影響が
あったのかもしれないと思った。ちなみに森首相は教育勅語を擁護する発言も
している。
B修身教科書に現れている教育観を文章化すると、どういうものか。
第四期国定教科書は忠や孝や仁愛などといった、儒教の思想を表す言葉がそれぞれ
一つの項目として取り上げられていて、それらの言葉の意味するところにふさわしい
説話がそれぞれの項目に収録されている。たとえば忠の項目では天皇という主君に
忠誠を尽くして賊軍の北條高時を打倒した楠木正成のことについて取り扱われている。
第五期国定修身教科書では特別攻撃隊の勇士らの活躍について書かれている。
これらのように修身教科書では儒教思想を主体とした道徳教育を展開しつつ、
一方では尊王愛国の精神を元にした、軍国主義的な価値観を植え付けるように
仕組んである。
レポート集
>>11-14 2004年11月22日 教育学演習 無人島で自然体験学習
>>16-19 2005年5月16日 道徳教育概論 修身教科書
教育基本法について調べなさい。これを読んで、感想を書きなさい。
@教育基本法とは何か
教育基本法は1947年3月31日に第一次吉田茂内閣の高橋誠一郎文部大臣の
下で学校教育法と共に公布・施行された。教育基本法は前文および11条より
成る法律で、前文の第三段にこの法律は「日本国憲法の精神に則り、教育の目的を
明示して、新しい日本の教育の基本を確立するため」に制定されたと記されている。
憲法以外で前文がつけられているのは珍しく、教育基本法と日本学術会議法だけである。
第1条から第11条までには順に教育の目的、教育の方針、教育の機会均等、
義務教育、男女共学、学校教育、社会教育、政治教育、宗教教育、教育行政、
補足について規定されている。教育基本法は戦前の教育勅語に代表されるような
天皇大権によって制定・発布された「勅令」による教育から、国民が選挙で選んだ
国会議員によって制定・施行された「法律」による教育への方向転換を示した
ものだと位置づけられている。教育基本法には憲法のようにその法律に反している、
もしくは矛盾・抵触するような他の法律についてそれを無効にできるような効力は
有していないが、法的性格としては教育関係の法律の制定にあたっては教育基本法の
理念を汲まなければならないとされている。このことから教育基本法は
「教育の憲法」と呼ばれている。
A感想
日本の教育は1947年3月に制定された教育基本法のもと、個人の尊厳を重んじ、
真理と平和を希求する人間の育成が図られてきた。この結果、教育の機会均等や
教育水準の向上などの成果を上げてきたが、その反面では青少年の規範意識の低下や
子供の問題行動や不登校の増加などの歪みも生じ始めている。これは今日まで
58年間に亘って一度も改正されることのなかった教育基本法においてそれに
内在していた問題点が表面化してきたことの結果だと言えよう。2001年11月26日に
国は中央教育審議会に対して「新しい時代にふさわしい教育基本法の在り方」
について諮問し、教育基本法の見直しに着手した。2003年3月20日に
中央教育審議会は遠山文部科学大臣に対して「新しい時代にふさわしい教育基本法と
教育振興基本計画の在り方について」という教育基本法の見直しを求める答申を
提出した。そして現在(2005年5月)文部科学省では教育基本法の改正法案の
作成が進められている。私個人の意見としては教育基本法の改正に対しては賛成である。
しかし、教育基本法は「教育の憲法」と呼ばれているように国の教育理念の在り方を
大きく左右するものであるから、その改正にあたっては充分に時間をかけ、
より多くの国民的議論を経た上で慎重に結論を出すべきであると思う。(本文終わり)
レポート集
>>11-14 2004年11月22日 教育学演習 無人島で自然体験学習
>>16-19 2005年5月16日 道徳教育概論 修身教科書
>>21-23 2005年5月30日 教育学概論T 教育基本法について調べなさい。これを読んで、感想を書きなさい。
修身教科書
@修身とはどういう教科か。
修身の語源は「修身斉家治国平天下」で、これは中国の古典の「大学」に出て
くる言葉である。この言葉に出てくる修身とは、学問を修めて立派な人間に
成長していくという意味である。日本では1872(明治5)年に公布された
学制の教科編成の中に修身教育が取り入れられた。1890(明治23)年に
教育勅語が公布されて以降は第二次世界大戦が終結する1945(昭和20)
年まで儒教の色合いが濃い、忠君愛国を理念とする教育体制が続いた。戦後
GHQ(連合国軍総司令部)の命令で地理と歴史の教科書とともに修身の教科書も
没収された。
A配布した修身教科書を読んで、どういう印象を持ったか。
第一印象は文体が古くさくて硬いというものだった。また、そのことがおごそか
にも感じられる。第四期国定教科書の第二には皇室の項目があり、歴代の天皇の
業績と昭和天皇の家族構成について触れられているが、この中で現在の天皇の
本名が「明仁」であるということが述べられている。私が中学生のときに生徒
会長だった人の名前も「明仁」だったが、もしかしたら彼の名前は天皇の本名に
由来するのかもしれないと思った。全体の内容としては天皇と国に忠誠を尽くす
ということを主眼にした上で、人としての生き方を説話をもとにして示すという
形式になっている。2000年5月15日には森喜朗首相(当時)が日本は
天皇を中心とする神の国だといういわゆる「神の国」発言をしたが、森首相が
こうした発言をした背景には戦前の道徳教育の基本精神だった修身の影響が
あったのかもしれないと思った。ちなみに森首相は教育勅語を擁護する発言も
している。
B修身教科書に現れている教育観を文章化すると、どういうものか。
第四期国定教科書は忠や孝や仁愛などといった、儒教の思想を表す言葉がそれぞれ
一つの項目として取り上げられていて、それらの言葉の意味するところにふさわしい
説話がそれぞれの項目に収録されている。たとえば忠の項目では天皇という主君に
忠誠を尽くして賊軍の北條高時を打倒した楠木正成のことについて取り扱われている。
第五期国定修身教科書では特別攻撃隊の勇士らの活躍について書かれている。
これらのように修身教科書では儒教思想を主体とした道徳教育を展開しつつ、
一方では尊王愛国の精神を元にした、軍国主義的な価値観を植え付けるように
仕組んである。
レポート集
>>11-14 2004年11月22日 教育学演習 無人島で自然体験学習
>>25-28 2005年5月16日 道徳教育概論 修身教科書
>>21-23 2005年5月30日 教育学概論T 教育基本法について調べなさい。これを読んで、感想を書きなさい。
6月20日の授業を受けて、障がい児教育について考えたことを書きなさい。
2005年6月7日付けの読売新聞朝刊によると、全国の障害者の概数は、身体障害者
約352万人、知的障害者約46万人、精神障害者約258万人で、およそ国民の5%が
何らかの障害を有しているのだそうだ。これほど世に多くの障害者がいるにも
関わらず、私はこれまで障害者と彼らが抱える問題について真剣に考えようと
してこなかったが、2005年6月20日に行われた村上先生の障害児についての授業を
受けて、それについて考える機会を与えられた。これは私が障害者の実態について
知るきっかけとなった。そのことについて村上先生に対し深く感謝したいと思う。
村上先生の話で私の心に深く残った話は、障害児は自分の意思を相手にうまく
伝えることができないので、先生は彼らが伝えたいメッセージを正確に掴むように
努めているという話である。障害児は本当は苦しくても、表面上は笑顔に見える
ときがあるので、その笑顔の裏に潜む、彼らの真の表情を読み取るにはどうすれば
よいのかという話を聞いて、養護学校の先生方は大変な努力と辛抱をなさって
いるのだなと感じた。村上先生の話によれば、障害児と教師との標準的な割り振りは、
障害児2人に対して教師1人だそうだ。普通の学校での生徒と教師との割り振りを
比較すれば、いかに障害児の介護が重労働であるかということを理解することができる。
現在中央教育審議会を中心にSNE(=Special Needs of Education)と呼ばれる
特別支援教育の普及の推進がなされている。これは従来の盲や聾や知的障害などの
特別教育の対象の障害者だけではなく、その対象外であったLDやADHD、高機能
自閉症を含めた障害をもつ生徒たちに対し、その一人一人の生徒に合わせた教育を
行うことで、当該生徒の持てる力を高め、生活や学習上の困難を改善又は克服
していくことを目標とする取り組みである。この取り組みは主に盲・聾・養護学校で
実践されているが、それ以外にも小・中学校などでも特別支援教育の普及が
図られてきている。私としてはこのような取り組みが広がることによって、
障害者に対する理解が生まれ、障害者の活躍の場が広がっていけばよいと思う。
そうなることが障害者のバリアーフリーにもつながっていくと思う。
私は6月20日の授業で障害者についての話を聞き、その後自分で彼らのことを
調べることによっていろいろなことを学んだ。来年私は介護等体験実習に行くが、
このときに今回学んだ様々な知識を生かしたいと思う。(本文終わり)
レポート集
>>11-14 2004年11月22日 教育学演習 無人島で自然体験学習
>>25-28 2005年5月16日 道徳教育概論 修身教科書
>>21-23 2005年5月30日 教育学概論T 教育基本法について調べなさい。これを読んで、感想を書きなさい。
>>30-34 2005年6月27日 教育学概論T 6月20日の授業を受けて、障がい児教育について考えたことを書きなさい。
6月20日の授業を受けて、障がい児教育について考えたことを書きなさい。
2005年6月20日に行われた障害児教育の授業で、障害児の学校活動を記録した
ビデオが放送された。このビデオを見て、私は2つのことについて問題があると
認識したので、これらについて触れたいと思う。
1つ目の問題は入学式である。障害児の入学式の場面で生徒の名前が呼ばれて
生徒が返事をしなければならない時に先生が声が出せない生徒の代返をするという
シーンがあった。私はこの行為には意味がないと思う。なぜなら学校に入学するのは
生徒であり、先生が入学するわけではないからである。ただでさえ障害を持ち、
さらに入学式という緊張する場面において、障害児が自分の名前が呼ばれたことに
対しての返事をするということは至難の業である。声が出せない生徒がいるという
ことがあらかじめわかりきっていたのであれば、返事をするシーンを省略するなり、
それができないのであれば別の方法で済ますなどの配慮があってもよかったと
個人的には思う。代返をした先生方は式の進行上やむを得ない措置であったと
弁解するかもしれないが、声が出せないような生徒が声を出さなければならない
ようなシチュエーションを設定すること自体が道義的な観点から見ておかしいと思う。
目が見えない生徒に文字を読ませる行為を強要したり、車椅子で生活する人に
対して自分の足で歩くことを強要することと本質的には変わりがない。
このことを入学式を取り仕切る先生方に疑問として投げかけたいと思う。
2つ目の問題点は卒業式である。卒業式では歩くことに不自由がある障害児の
生徒が壇上に上がって危なげな歩き方で一人で卒業証書をもらいに行くという
場面があった。なぜこのようなことが行われているのかというと、村上先生の
説明によれば、東京都の教育委員会の方針でそうせざるを得ないということだった。
この方針に対して私は甚だ疑問を感じる。障害児とその障害の程度には様々な
ものがあるが、中には歩くことすらままならないような生徒が少なからず
混ざっていることは疑う余地のない事実である。彼らには健常者にとっては
なんでもない段差であっても、それを乗り越えるために大きな負担と危険を
強いられることがしばしばある。それにも関わらず、東京都の教育委員会は
卒業式には歩くことに対して何らかの障害を持った生徒たちをも壇上に立たせな
ければならないような措置をとっている。これは障害児に不要な危険とリスクを
負わせることを意味する。これは非難されるべきことであり、一刻も早く
このような措置が改善されることを願う。
今回私は障害児たちの学校生活をその一部分である式典(入学式と卒業式)を
通して取り上げた。私が式典に関して提起した問題点について人によっては
くだらない、もしくは神経質になりがちだと受け止められるかもしれないが、
その人たちに対して私は自分のこれまでの考え方を別の角度から見直すように
言いたい。(本文終わり)
レポート集
>>11-14 2004年11月22日 教育学演習 無人島で自然体験学習
>>25-28 2005年5月16日 道徳教育概論 修身教科書
>>21-23 2005年5月30日 教育学概論T 教育基本法について調べなさい。これを読んで、感想を書きなさい。
>>30-34 2005年6月27日 教育学概論T 6月20日の授業を受けて、障がい児教育について考えたことを書きなさい。
>>36-40 2005年6月27日 道徳教育概論 6月20日の授業を受けて、障がい児教育について考えたことを書きなさい。
学力の低下をどう捉えるか
1.新学習指導要領
1998年12月に告示された新学習指導要領を巡って1999年春より学力
低下論争が勃発した。新学習指導要領の方向性についてはすでにその2、3年前から
いろいろな報道がなされていた。その前の改訂が1989年であったから、
約10年ぶりの改訂になる。方針としては、引き続いて「ゆとり教育」を強めた
ものになり、さらに大胆な教科内容の削減が行われることが知らされていた。
いわゆる「内容の厳選」である。しかし、学習指導要領に盛り込まれた内容を
削減するというのは、実際にはさまざまな抵抗にあい、たいへんなことである。
いわゆる「教科エゴ」の壁である。それぞれの教科の背後には、学界、圧力団体、
利権のからむ企業などが控えており、ある学習項目が削られることによって、
心理的、経済的なダメージを受けるので、お互いに簡単には譲れない。そこで、
結局行われたのは、その後の悪評高い「一律削減」であった。どの教科も3割程度の
内容を削ることが申し渡され、それが実行に移されたのである。
2.学力低下論争の勃発とその実態
これに噛み付いたのが大学の理数系研究者、予備校講師、教育社会学者などを
中心とした「学力低下論」を主張する人々である。彼らはIEA(国際教育到達度評価学会)の
調査における成績で日本の学生の順位がしだいに下がっていることを根拠として
日本の子供たちの学力が低下していることを唱えている。また、高校生が昔と
比べて学校外での一日あたりの学習時間が昔と比べて少なくなっていることを
データで示した。1999年には『分数ができない大学生』が、次いで2000年3月には
『少数ができない大学生』(いずれも岡部恒治、戸瀬信之、西村和雄編、東洋経済新聞社)が
公刊され、教育論議ブームの導火線となり、新聞、論壇紙、教育雑誌などが、
こぞってこのテーマを取り上げ、書物も多く出された。「学力低下論」を主張
する人々の中で中心的な役割を担った人物は、世に多数の受験指南書を著すかたわらに
精神科医として学力問題に対して積極的な発言をするようになった和田秀樹氏
である。和田氏は1996年に『受験勉強は子供を救う─最新の医学が解き明かす「勉強」の効用』
(河出書房新社)を公刊し、「受験=悪玉論」を正面から批判した。これまで、
正面から受験勉強の肯定的価値をいってのけた教育学者、心理学者、学校教師は
まずいなかった。和田氏はあらためて、「受験=悪玉論」が大学受験生の意欲を
減退させ、学力低下を招いていることを主張している。和田氏は戸瀬信之・西村和雄氏ら
とともに「2002年度からの新学習指導要領の中止を求める国民会議」を結成し、
「教育2002年問題を防ぐ署名運動」をインターネットで行った。このような
一連の運動のさなか、文部省の広報誌である『文部広報』の2000年11月17日号の中で
大島理森文部大臣(当時)は新学習指導要領について「指導要領は最低基準なので、
理解の早い子には高度な内容を教えることも可能である」、「総合的な学習の
時間で体験学習や課題学習を充実させる」、「小グループ指導が可能な教員配置をすすめる」
と述べている。1999年春に勃発した学力低下論争はその後2000年から
2001年にかけてピークを迎え、新学習指導要領が本格実施されることになった
2002年4月以降から徐々に下火になっていった。
3.学力低下論争の解決へ向けて
これまで「ゆとり教育の是非」を巡ってテレビ番組や雑誌などで数々の討論が
行われてきた。「ゆとり教育」を批判する側は最近の子供たちがいかに勉強して
いないかという実態を述べ、受験も含めた具体的な教科学習の重要性から、
「ゆとり教育」がいかにまずい路線であるかを強調した。それに対し、教育改革を
すすめようとする教育行政側の人たちは総合学習を先進的に導入した他の国の
学校での調査をあげ、基礎学力のみならず、学習態度、社会性、学校への好感度
などにおいて優れた効果が出ていることをしめした。私は「ゆとり教育」にも
それとは反対の知識詰め込み型教育にも弊害があると思う。「ゆとり」がある
といってもそれを通して結局何を身につけたのかがわからないような放任主義的
教育は困る。また、いずれ剥落してしまうような知識を一時的な詰め込むだけの
学習でも困る。いずれの立場にせよ、もっとも大事なことというのは「中身の
ある授業」を行うことである。授業を通して生徒に何を伝えるのかということを
考えなければ学力低下論争も机上の空論になりかねない。今回の論争は議論
ばかりが先走って肝心な教育の中身そのものに対してはあまり触れられてこなかった
ような気がする。これからは実際の授業で扱う中身について真剣に検討していく
べきであると思う。(本文終わり)
レポート集
>>11-14 2004年11月22日 教育学演習 無人島で自然体験学習
>>25-28 2005年5月16日 道徳教育概論 修身教科書
>>21-23 2005年5月30日 教育学概論T 教育基本法について調べなさい。これを読んで、感想を書きなさい。
>>30-34 2005年6月27日 教育学概論T 6月20日の授業を受けて、障がい児教育について考えたことを書きなさい。
>>36-40 2005年6月27日 道徳教育概論 6月20日の授業を受けて、障がい児教育について考えたことを書きなさい。
>>42-46 2005年7月6日 教師論 学力の低下をどう捉えるか
生徒の興味・関心と地歴科の授業
1.戦後の社会科教育の推移
社会科という科目は日本が第二次世界大戦に敗れてからまもなくの1947年3月に
発行され、その翌月から実施された第1期の学習指導要領の下に新設された。
それ以来今日までに60年近くの月日が流れ、その間に7次にわたる学習指導要領の
改訂が行われてきた。それにつれて、社会科の教育体制も大きな移り変わりを
みせた。
1947年から1955年までの社会科教育は「初期社会化」(兵庫教育大学
附属小学校教育研究会著、『楽しい授業の創造』、黎明書房、1992年、p42)と
呼ばれる、生徒を主体とした授業が行われ、子供の日常生活の問題を取り上げて、
問題の解決に向かうような自発的活動に取り組ませていた。上田薫は「出発から
何年かの間は社会科の授業は活気にあふれたものでした」「ともかくそのころの
子供たちは社会科が好きだったと思います」と述べている(『楽しい授業の創造』、p42)。
しかし、1956年4月から実施された、第3期の学習指導要領のときから「知識(系統)主義」
(宮原武夫著、『社会科教育入門』、大月書店、1989年、p26)が取り入れられ、
「初期社会科」は変えられてしまった。その理由はこれまでの経験主義的な授業では
子供の活動を重視するあまり、基礎的な知識の習得が軽視されているという批判を
受けたためである。このときから、昭和20年代の社会科が目指した生活に生きる
学習から、知識・理解中心型の学習へと社会科教育は変貌を遂げたのである。
さらに1968年に行われた学習指導要領の改訂でも「知識(系統)主義」の傾向が
強化された。この当時の教師たちはひたすら大量の知識を教え込むことに焦り、
子供たちは理解に苦しみながらもただ覚えることに徹したために、社会科の授業は
無味乾燥の機械的な学習に陥ったのである。その後このような子供たちの生活経験や
常識と無関係に知識を注入する傾向が批判されたため、1980年4月から実施された
第6期学習指導要領では教育の人間化の影響を受け、内容の精選がはかられ、
体験学習や合科指導などの方法上の工夫が奨励された。さらに1992年4月から
実施された第7期学習指導要領では新しい学力観が提起され、小学校で「生活科」が
誕生し、高校では社会科が地歴科・公民科に再編された。そして2002年4月から
実施された第8期学習指導要領(=新学習指導要領)ではこれら一連の流れをうけて
さらに大胆な内容の改革が行われた。今回はそれに関連して新学習指導要領に
おける中学校社会科の地理的分野と歴史的分野についてみていこうと思う。
2.中学校社会科の地理的分野
今回の改訂で最も大きく変化したのは地理的分野であると思われる。
地理という分野の知識は非常に新旧交代が激しく、学校で教わった知識が5〜10年も
たてばもう古くて役に立たなくなるということがしばしばある。例えばITなどの
情報関連産業やEUなどの各国の政治的な繋がりなどがそれに挙げられる。よって、
知識として抑えておくべき事項は、地図や資料の見方及び考え方に重点が
置かれるようになった。地理的分野の目標として4つ目に「地域調査など具体的な
活動を通して地理的事象に対する関心を高め、様々な資料を適切に選択・活用して
地理的事象を多面的・多角的に考察し公正に判断するとともに適切に表現する能力や
態度を育てる。」というのがあるが、これには知識詰め込み型学習にならないように、
作業や体験を伴う学習や課題を設定し追及する授業によって生徒の主体的な学習を促し、
様々な資料を活用することで日本や世界の地理的認識を深めていこうとする姿勢が
表れているように思える。
3. 中学校社会科の歴史的分野
歴史的分野の改訂の大きなポイントはこれまでの人名・事件名などの歴史知識や
歴史事象などを網羅的に扱う学習形式が見直され、歴史を過去から現在までに
至る時間的な座標軸として捉え、我が国の歴史の大きな流れを世界の歴史を背景に
学ぶことを基本スタンスとして、地理的分野との連携を大きく打ち出したという事である。
このことは歴史的分野の内容の取り扱いの項目で「細かな知識を記憶するだけの
学習に陥らないようにすること。」や「世界の歴史については、我が国の歴史を
理解する際の背景として我が国の歴史と直接かかわる事項を取り扱うにとどめること。」
や「歴史的事象の指導に当たっては、地理的分野との連携を踏まえ、地理的条件にも
着目して取り扱うよう工夫するとともに、公民的分野との関連にも配慮すること。」
といった記載があることからもわかる。中学における歴史的分野では歴史の大きな
流れを重視する学習形式に改訂された他にも、我が国の国土や歴史に対する理解と愛情、
国際協調の精神など国際社会に生きる日本人としての資質を育成するということが
大きな目標として掲げられていて、これも従前の学習指導要領との大きな変更点
と言えるだろう。
4.地理的分野と歴史的分野の授業の方法
新学習指導要領では、学習内容厳選と授業時数削減により、地理的分野と歴史的分野
における相互の関連補完の構造が強まった。これに機敏に対応するためには、
これまでの地理的分野と歴史的分野における学習と指導の観点をシフトし、
授業の改善を図ることが必須条件であると思われる。具体的にいうと、
地理的分野においては、授業に地域調査などの活動を取り入れたり、
統計・地図・写真・紀行文・新聞など、様々な資料の収集、選択、処理、活用をしたり、
地図に関する表現力の育成に留意した学習活動を行うなどの方法が、
歴史的分野においては、文献・絵画・統計など、幅広い資料の積極的な活用を
試みたり、博物館や郷土資料館など、様々な文化施設の見学や調査を行ったり、
そこで得られた知識やまとめたことを発表する場を積極的に与えるなどの方法が
考えられる。以上のような方法を用いることで、生徒たちの地歴科の授業に対する
興味・関心を高めることが可能となるに違いないだろう。
5.今回の社会科・地歴科教育法Tの講義について
私的なことで恐縮だが、私は来年度に自分の出身中学校で社会科の教師として
教育実習を行うことが決まっている。それが今回中学校社会科の地理的分野と
歴史的分野について取り上げたきっかけである。私はこのレポートを作成するに
当たって、様々な文献を読み、それでたくさんの知識を得ることができた。
来年度の教育実習の際にはこの知識を生かしたいと思う。また、今年度受講した
社会科・地歴科教育法Tの講義ではブレインストーミングや遊牧民ゲーム、
デシジョンメイキングなどの様々な参加型授業が展開された。私はどれも優れている
と思うが、その中でもとりわけ優れていると思う参加型授業はブレインストーミング
である。これは例えば授業の導入の部分で用いれば、あるテーマについての
予備知識をクラス全員が共有できるようになるからである。私が教育実習で
社会科の授業を展開する際にもぜひブレインストーミングを取り入れたいと思う。
最後に優れた内容の講義を実践された吉住先生に対して深く感謝の意を
表明したいと思う。(本文終わり)
レポート集
>>11-14 2004年11月22日 教育学演習 無人島で自然体験学習
>>25-28 2005年5月16日 道徳教育概論 修身教科書
>>21-23 2005年5月30日 教育学概論T 教育基本法について調べなさい。これを読んで、感想を書きなさい。
>>30-34 2005年6月27日 教育学概論T 6月20日の授業を受けて、障がい児教育について考えたことを書きなさい。
>>36-40 2005年6月27日 道徳教育概論 6月20日の授業を受けて、障がい児教育について考えたことを書きなさい。
>>42-46 2005年7月6日 教師論 学力の低下をどう捉えるか
>>48-54 2005年7月8日 社会科・地歴科教育法T 生徒の興味・関心と地歴科の授業
教育実習報告会を受けて感じたこと、考えたこと
1.4年生の教育実習の体験談
2005年7月7日に教育実習報告会が行われた。その中で今年の6月に教育実習を
行った4年生が自分の教育実習の体験談について詳しく語ってくれた。ちなみに
私も4年生だが、教育実習へは来年度に中学校にて行う予定である。まだ一度も
模擬授業すら行っていない私にとって、彼らの体験談はとても新鮮であり、
興味深い話ばかりであった。この中において私にとって参考になった体験談に
ついて2つ触れたいと思う。
教育実習を行った4年生の中で実習校の担当教官に授業について「完全にやろうと
思うな、失敗を恐れずにやれ」と言われた人がいた。私はこの先生の話に深く
感銘を受けた。教育実習生なんだから、失敗して当たり前、失敗がどうのこうの
ではなく、その中から自分にとって何か得られるものがあればそれでいいじゃないか
という発想は、完璧主義な考えの先生にはできないと思う。恐らく、この先生は
自分が教育実習を行ったときにも何かミスをやらかしたのだと思う。そしてそこから
得られた知識と経験を深く胸に刻み込んでこれまで教壇に立ってこられたのだと思う。
私はこの先生の、人の失敗に対してあまり責めず、その中から得られたことを
大事にさせる寛容な態度を見習いたいと思う。
また、ほかの4年生で教育実習の時に定時制に回され、自分より年上の人たちに
対してどう対応すればよいのかわからなかったという人がいた。確かに定時制
高校には、40〜50歳ぐらいで教育実習生よりも遥かに人生経験において豊富な
人も生徒として通っているだろう。しかし彼らは生徒として定時制高校に通って
いるのであり、あくまでも教育実習生を若輩の輩としてではなく、教師として
みている。仮に私が定時制高校の生徒で先生が自分より年下だとしても、私は
先生を目上の者として敬うし、年下だからといって馬鹿にしたりはしないだろう。
定時制高校のように様々な年代が集まって集団行動を行う場で大事なこととは、
生徒に対する対応を年の差によって分け隔てしないで、一人一人を平等に扱う
ことだと思う。そうすることで異なった年代が集まるクラスにおいてコミュニ
ケーションが円滑に進むと思う。ただ、自分より遥かに年上の人に対して呼び捨ては
やめるべきで、せめて「〜さん」と呼ぶぐらいの配慮があってもいいと思う。
2.来年度に行う教育実習に向けて
私が来年度教育実習に向かう際には4年生が口を揃えて言った様に、まず事前の
準備をしっかりとやっておきたいと思う。いざ自分が授業をやるという直前に
なってジタバタしないように、これは是非しっかりとやっておこうと思う。
そのためには教育実習の受け入れ校の先生方と綿密に連絡を取り合って、
今授業でどこまで進んだのか、また自分が授業をやるときにはどの単元を扱うのか
ということについてよく確認をしておきたいと思う。
また、教科指導案を作成する際には授業が時間内に収まらない、もしくは時間が
大幅に余ったりしないように時間配分に気をつけ、中学生の知識の範囲でも
授業内容が理解できるように心掛けようと思う。授業中は私語が多い場合は
それを慎むように指示し、積極的に発問をして生徒たちを授業に集中させたい
と思う。また、生徒が授業に対して一方的な受け身にならないように、生徒に
作業やグループ内での議論を行わせるなどの工夫を行いたい。最後に、教育実習中は
常に指導教官の指示に従い、相手方の先生と生徒に迷惑となるような行動は
厳に慎みたいと思う。(本文終わり)
レポート集
>>11-14 2004年11月22日 教育学演習 無人島で自然体験学習
>>25-28 2005年5月16日 道徳教育概論 修身教科書
>>21-23 2005年5月30日 教育学概論T 教育基本法について調べなさい。これを読んで、感想を書きなさい。
>>30-34 2005年6月27日 教育学概論T 6月20日の授業を受けて、障がい児教育について考えたことを書きなさい。
>>36-40 2005年6月27日 道徳教育概論 6月20日の授業を受けて、障がい児教育について考えたことを書きなさい。
>>42-46 2005年7月6日 教師論 学力の低下をどう捉えるか
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>>56-60 2005年7月11日 教育実習報告会 教育実習報告会を受けて感じたこと、考えたこと
社会科教育法(前期)課題
A.ディベート関連問題
@ディベートの実践(ディベーターとして、及び審査員としての経験)をふまえ、
社会科教育におけるディベート学習の可能性と課題について考察しなさい。
社会科で取り扱う問題の中には、今回のディベートで取り上げられたテーマである
ODAや日米安全保障条約の問題など、一見すると白か黒なのか判別がつきにくい
問題が山ほどある。それらを白又は黒のみのいずれかの視点で判断するのではなく、
様々な視点と角度によって分析するが大事であると思う。またそのことによって、
その問題に対する認識の幅が広がり、あらゆる物事を客観的に分析する能力が
身につくのだと思う。ある問題について考える場合、教師による一方的な授業では、
先生の問題に対する見解を生徒に押し付けることになるが、ディベートを行えば
生徒たちが議論をすることによって、お互いの考え方や意見の相違点について
知ることができるようになる。ディベートを行うには、事前に立論や反駁を行う
ためにいろいろな資料を集めたり、本を読んだりするので、問題に対する理解を
深めることができる。また、自分で調べたことを相手にわかり易く、かつ論理的に
伝えなければならないので、物事を筋道立てて考える能力が身に付くだろう。
このように、ディベートを社会科教育に取り入れることによって引き出される
可能性はいろいろなものが考えられるが、問題が全くないというわけではない。
それはディベートをやってどちらかに軍配が上がった場合、聴衆者はある問題に
対する意見や見解を勝った側のほうに一方的に取り入れてしまう可能性がある
からである。ディベートに勝ったほうの意見が必ずしも100パーセント正しいとは
限らない。または、単に負けた側が準備不足でたまたま勝てたということも
考えられる。ディベートが終わった後でも、議論した内容についてもう一度
頭の中で整理することが必要になってくると思う。このことがディベートを
社会科教育に取り入れる上での課題であろう。
A自分が担当した論題に関して、論拠を明確にして意見を論述しなさい。
私は「日本は、原子力発電所の増設をやめ、原発の比重を減らすべし」という
論題を担当し、それの否定側にたってディベートに参加した。ディベートの際に、
肯定側から原子力発電所の安全性について指摘されたので、日本の原子力発電所の
安全性の確保のことについて触れたいと思う。日本における原子力発電の安全
確保の基本的な考え方とは、「人々に放射線による悪影響を及ぼさない」という
ことである。日本の原子力発電所では、基本的に放射性物質を閉じ込める構造と
した上で、異常な事態や事故の発生を防止することはもちろんのこと、仮に
発生したとしてもその拡大を防止するため、多重防護と呼ばれる、複数のレベルに
分けた対策を講じている。また、原子力発電所の設置に当たっては、現実に起こるとは
考えられないような事態を想定した場合でも周辺の住民の安全が確保されるよう、
十分な距離を確保している。また、地震などの自然災害や火災などの災害に対しても、
安全確保ができるよう、設置や設計を行っている。これらから、日本の原子力
発電所における安全性の確保は充分に行われているということができるのである。
ここで、原発の必要性をエネルギー面の観点から訴えてみようと思う。
これから22世紀に入るまでの100年間に確実に起こる最も深刻な問題は石油や
天然ガスが底をつくということである。埋蔵量から推定した石油の可採年数は
41年、天然ガスは62年である。これに対して石炭は230年と長いが、燃料だけ
ではなくプラスチックなど化学製品の原料としても重宝されている石油があと
50年ももたないということは、人類にとって危機的な状況が訪れることを意味する。
油田の底がはっきりと見えてくるのは、あと25〜30年後と言われているが、
その段階では石油の価格が暴騰し、世界中が石油の奪い合いに狂奔する事態も
予想されている。今現在において残された選択肢は、石油とそれ以外のエネルギーとを
併用することで、石油の枯渇を少しでも食い止めることである。火力などの
石油以外のエネルギーで、環境に対する負荷が少ないエネルギーとして太陽や
風力などの新エネルギーへの期待が高まっているが、エネルギー効率の面で
過剰な期待をかけるわけにはいかない。現段階ではやはり原子力が最も現実的な
選択肢であると言わざるをえないだろう。以上の観点より、私は原発の比重を
減らすことに対して反対である。
B:時事問題関連課題
現在話題になっている時事問題を一つとりあげ、その概略と自分の意見、
及び授業でとりあげるとしたらそのようなところをポイントにするか、
論述しなさい。
最近話題になっている時事問題としては郵政民営化問題や北朝鮮問題、
それにイラク問題などが挙げられるが、講義の中で日米安保条約に関連して
自衛隊の話が出てきたので、今回はイラク問題について取り扱おうと思う。
現在自衛隊はイラクのサマワという所に駐屯して現地の復興支援活動を行っている。
そもそもなぜ日本の平和を守る自衛隊がイラクに向かうことになったのかというと、
話はかの世界中を震撼させた2001年9月11日のアメリカの同時多発テロまで遡ることになる。
この事件を境にして、アメリカのブッシュ大統領はテロリストの殲滅に乗り出すようになる。
2001年10月には国際テロ組織「アルカイダ」の指導者のオサマ・ビン・ラディン氏を
かくまっていることを理由にして、アメリカはアフガニスタンを攻撃し、当時の
アフダニスタンの政権であるタリバン政権は事実上崩壊した。2002年1月29日に
アメリカのブッシュ大統領は一般教書演説においてイラク・イラン・北朝鮮を
「悪の枢軸国」と名指しし、アメリカの平和を守るためにはあらゆる手段を
用いることを示唆した。2003年3月にはロシア・ドイツ・フランスなどの反対を
押し切ってアメリカは大量破壊兵器を所持していることを理由にイラクを攻撃し、
その翌月にフセイン政権は崩壊した。その後アメリカはイラクに民主的な政権を
樹立させるという目的で2003年7月13日にアメリカ主導の暫定政権「イラク統治評議会」を
発足させた。これを受けて日本ではイラクでの自衛隊による人道復興支援を可能と
するべく、2004年2月9日に4年間の時限立法である「イラク復興支援特別措置法」を
成立させ、自衛隊をイラクのサマワに向かわせた。
この一連の流れに置いて着目したい点は、日本はロシアやドイツ、フランスなどの
ようにアメリカのイラクに対する攻撃や政策に対して明確に「ノー」と言ったり、
自衛隊の派遣についてもアメリカも意に反するような行動は一切行わなかった点である。
小泉首相は一貫してアメリカのブッシュ大統領に歩調を合わせている。
なぜ日本はこのような姿勢を貫いているのかというと、それは日米安全保障条約の
問題があるからである。日米安全保障条約とは、1960年に日本とアメリカとの
間に締結された、戦争有事の際にアメリカが日本を守る代わりに、平時においては
日本国内に米軍基地を置き、その滞在費用の一部を負担するという双務的な条約である。
もし今回日本がイラクに自衛隊を出さないと言えば、アメリカの立場を踏みにじる
ことになり、今後日本が北朝鮮などのよその国から軍事的な圧力を受けた際に
アメリカが日米安全保障条約に反して、日本の味方をしなくなるという恐れが出てくる。
それで今回日本はアメリカの行動に対して正面切って批判をしなかったのである。
私の意見としては、日本はアメリカの一州でもその属国でもないので、なんでも
アメリカの言いなりになる必要はなく、自国の見解をどの国に対しても自由に
言えるようになるべきだと思う。もし、その際に日米安全保障条約が障壁と
なりうるのであれば、それを破棄して自国の安全は自国で守れるように体制を
整えるべきである。そうすれば日本とアメリカは同等の立場として意見を交わせる
ようになるだろう。ただ実際は日米安全保障条約を破棄すれば、世界最強の
軍事国家であるアメリカの後ろ盾がなくなる上に、日米の関係は冷え、日本の
国防予算は今以上に増えて国家の財政に大きな負担がのしかかることになるので、
現状を変えることは困難である。もし私がこの問題を授業で取り上げるのであれば、
まず自衛隊がイラクのサマワに派遣された推移について取り上げ、そのあとに
イラク戦争のときの対応やイラクへの自衛隊の派遣など、日本が一貫してアメリカに
対して協力的な姿勢をとり続けた理由について、日米安全保障条約における日米の
軍事関係をポイントにして取り上げたいと思う。(本文終わり)
レポート集
>>11-14 2004年11月22日 教育学演習 無人島で自然体験学習
>>25-28 2005年5月16日 道徳教育概論 修身教科書
>>21-23 2005年5月30日 教育学概論T 教育基本法について調べなさい。これを読んで、感想を書きなさい。
>>30-34 2005年6月27日 教育学概論T 6月20日の授業を受けて、障がい児教育について考えたことを書きなさい。
>>36-40 2005年6月27日 道徳教育概論 6月20日の授業を受けて、障がい児教育について考えたことを書きなさい。
>>42-46 2005年7月6日 教師論 学力の低下をどう捉えるか
>>48-54 2005年7月8日 社会科・地歴科教育法T 生徒の興味・関心と地歴科の授業
>>56-60 2005年7月11日 教育実習報告会 教育実習報告会を受けて感じたこと、考えたこと
>>62-73 2005年7月15日 社会科・公民科教育法T 社会科教育法(前期)課題
いじめの予防と対策について
1.いじめ問題の概略
いじめという現象は、現代社会に固有のものではなく、古くから存在している。
学校だけでなく、職場や家庭でも起こっている。おそらく、人が関係を結び
集団を形成しているところでは、必ずといってよいほど影のようにつきまとって
あらわれる現象と言える。しかし、これほど私たちにとって身近な現象でありながら、
子供たちのいじめが社会問題として認識されてきたのは、きわめて最近のことであった。
日本でいじめが人々の関心を集め、その対応に国をあげて取り組むほどの社会問題
として認識され始めたのは、1980年代半ばのことである。いじめの発生件数が
ピークに達した1985年にはいじめは約15万5000件発生し、全国の小学校の5割強、
中学校の6割強、高校の3割強でいじめが確認され、いじめに起因すると見られる
自殺が9件にも上った。しかし、そのいじめも1987年以降、公式統計上は急激に
減少していくが、一方ではいじめの陰湿化と低年齢化が進行し、いじめが原因と
見られる自殺も後を絶たなかった。このようにして、1980年代半ば以降、いじめが
義務教育段階における最大の病理的問題の一つとしてマスコミを賑わすようになった。
もちろん、いじめは子供たちの世界だけでなく大人にも起こりうる問題でもあり、
その被害状況は軽視できないものがある。しかし、子供たちは発達過程にある
だけに、人間形成に与える影響は多様かつ深刻である。中でも、いじめられている
子供たちは最も傷ついている。人間としての尊厳を傷つけられたり、人格を
踏みにじられたりしている。その結果、学習意欲を失ったり、大人をも含めた
人間不信に到ることもある。いじめをきっかけにした不登校も少なくない。
ときには自分の人生を破壊し、生命を絶つことさえもある。また、いじめられた
子供だけでなく、いじめを行った子供やその周りの子供たちの発達についても、
様々な歪みや傷跡が残る場合がある。2004年8月27日に文部科学省が発表した
「生徒指導上の諸問題の現状」によると、2003年度のいじめの総発生件数は
23351件で、前年度と比較して5.2%増加した。いじめの総発生件数が増加に
転じたのは8年ぶりのことである。小中高別では中学校が最も多く、約1万5000件発生し、
小学校では約6000件、高校では約2000件発生したが、いずれも増加した。
私はこの事態を重く見て、今回レポートでいじめの問題について取り上げて
みようと思った。いじめられている子供といじめを行っている子供の心理を通して、
いじめの予防と対策方法について考えてみようと思う。
2.いじめられている子供の心理
いじめには3つの要因が含まれている。一つ目は、「自分より弱い立場の者に行う」
ということで、二つ目は「相手に肉体的・心理的苦痛を与える」ということで、
三つ目は「一方的に繰り返し行う」ということである。その三つの要因のうち、
第三者が外から見てわかりにくいのは二つ目の「相手に肉体的・心理的苦痛を与える」
という要因である。これは、攻撃をうけている子供自身の「認識」に関わる問題であり、
第三者が決めることではない。
それゆえに、いじめを受けている子ども自身が、ありのままにその「認識」を
第三者にいわなければわからない。周囲の子供や大人が、あの程度の攻撃では
「肉体的・心理的苦痛」にあたらないとか、あたるだろうとか決めつけることは
できない。「肉体的・心理的苦痛」というのは、いじめをうけている当の子ども自身の
「認識」によるということは、さらにもう一つ、それが全く個別的なものである
という問題を抱えている。つまり、外から見ていて同じような攻撃を受けていたとしても、
ある子供はそれをほとんど苦痛と感じないが、ある子供はそれを深刻なものと感じる
というように、ある事柄についての「認識」は、一人一人全く違うということである。
いじめは子供の「認識」と深く関わり、その「認識」は子供自身が明確に周囲に
伝えなければわからない。しかし、いじめを受けている子供は、教師や父母が
たずねても自分がいじめをうけているとはいわない。体にできたアザやハレについて
何かあるのではないかと大人が尋ねても、子供は転んだとか、壁にぶつかったなどと
言って、それがいじめによるものであるとはほとんど言わない。しかし、その
「肉体的・心理的苦痛」に一人で密かに悩んでいる。その背景にはいろいろな
原因があると考えられるが、その中で重要なものは、「いじめられる子供にも
問題がある」という大人たちと子供たちの基本認識である。いじめを受けている
子供たちが、「君がしっかりしていないから」とか、「君が規則を守らないから」
などと、被害を受けている子供たちにも非があるというような言い方を大人たちに
されるとわかりきっているのであれば、大人たちにいじめの被害を言うはずがない。
私はいじめは深刻な人権侵害の問題であり、絶対に許されない行為であるということ、
言い換えるといじめを受けている子供たちに問題はないという考え方を教師も
親もはっきりと持たなければならないと思う。そうでなければいじめの事実と
実態を見過ごすことになりかねない。いじめを受けている子供たちが大人たちに
自分の「認識」をためらわずに伝えられるようになるためには、以上のような
考え方を前提とした上で、家庭内での環境整備や、子供と教師との間のパイプ作りが
行われなければならないだろう。
3. いじめを行っている子供の心理
いじめの例を見ると、「何となく気に入らないからいじめた」「自分のいうことに
従わなかったから痛めつけた」という、きわめて自己中心的な理由で行われる
ものもあれば、「仲間たちに何となく引きずられ、たいした動機もなくいじめに加わった」
というような、付和雷同的な理由の場合の場合も少なくない。この自分本位な
精神発達の未熟さが、気の弱くて無力な子供を標的にして、金銭の強要や暴力行為を
振るう結果を招いている。自分さえよければいいのだという、甘えた考えを払拭させ、
主体的・自律的に歩むことの大切さを理解させることと、社会生活や学校生活に
おける規範意識を育てていく指導が彼らには必要である。しかし、いじめをする
子供は、普段先生や親から注意や叱責を受けている場合が多く、一方的にいじめの非を
責め、注意を繰り返しても子供はかたくなとなり、反発を招くことすらある。
また、いじめをする子供は家庭内や学校生活に対する不満や疎外感に対する
はけ口としていじめを行っている場合が多い。学校生活に満足し、積極的に
学習活動や部活動に熱心に取り組み、友人と楽しく付き合っている子供の中から
いじめをする子供はまず出ない。彼らには学校の中に、生き生きとした活動を
行うことができる自分の居場所を与えてやる必要がある。そして教師や友人から
正当に自分の価値が認められるようになれば、彼らの不満はなくなり、いじめを
起こさなくなるだろう。そしてわずかな努力や成長を積極的に評価し、彼らの意欲を
賞揚するように心掛けるべきである。
4.いじめの予防と対策
いじめが起こるのを未然に防ぐためには、常日頃から子供たちの行動を観察し、
いじめの早期発見に努めなければならない。もしいじめの芽が見つかれば、
それが大きくならないうちに早めに摘んでおくことが重要である。しかし、
いじめは行動様式で言えば、金品の巻き上げや暴力などの非行から、こずくとか
学用品を隠すなどの問題行動、さらには口をきかない、あだ名を言うなど必ずしも
問題行動とはいえないものまでの広がりを持つ。それゆえ、行動様式から言えば、
きわめて漠然としたものなのである。すなわち、子供の行動様式によって、
これはいじめであってあれはいじめではないというように識別することができない。
いじめ問題のケースで、教師がよく「あそびであって、いじめとは思えなかった」
というのは、子供の行動パターンからいじめを発見しようとしたことからの
ミスのためである。そこで、いじめを発見するには,力関係が存在すると思われる
子供たちのグループから直接話を聞いたり、クラスで聞き取り調査を行うなどの
工夫が必要である。その中で、もしいじめがおこなわれているという事実が
確認された場合には、すぐにいじめを起こした子供に対する指導を行い、
その原因を究明しなければならない。教師はいじめの原因を追究するほかに、
「なぜ、そのような行為を行ったのか」「なぜ、いじめは許されない行為なのか」
「いじめが、どのような痛ましい結果を招くか」をいじめを起こした子供に対して
自分自身でよく考える内省の機会を与え、同じことが二度と繰り返さないように
指導していくことが大切である。
また、不幸にもいじめがかなり進行して組織的に
行われている場合は、教師がいじめを起こした子供に対して何を話すかより、
いじめられている子供をいかに守っていくかということのほうが重要な課題となる。
いじめは、初期の対応が重要だと述べたが、見落としが重なり、いじめがかなり
進行している場合は、その解決は非常に難しい。いじめの兆候を敏感に察知し、
間接的アプローチを繰り返すことができるかどうかは教師の力量にかかっている。
いじめがかなり進行したということは教師の力量不足を認めざるを得ない。
残念なことに、現在教師の力量は一定に保たれていない。したがって、いじめを
解決する能力も教師間では差がある。学級担任が途中で替わったり、学級替えを
行うことでいじめが発生したり、しなくなったりしたという事実はこれまでに
存在する。現代は子供の命が危うい時代である。子供を中心に考えるのであれば、
いじめの進行度合いによって年度途中の学級担任の変更や学級の解体なども
あってしかるべきである。
5.総括
子供の世界は、大人の世界と比べていじめが起こりやすい。なぜなら、未熟な
子供たちは、学ぶ身であり、世の中の苦労を知らないからである。自由に生き、
過保護に育てられてきた子が多いからである。また、真に大切にしなければならない
人の心や人権について教えられてきていないからである。そこで、「いじめは悪い」
と言うことを道徳や学級会の授業で何度も取り上げることである。ヨーロッパでは、
幼児期から人権教育が徹底して行われているそうである。人権を侵すのは悪い、
すなわち、いじめは悪いということを、幼児期からスキル学習として何度も
行われているという。そこで、日本の各学校でも小さいときから、人権尊重教育を
徹底して行うことである。担任は、このような教育を行うと同時に、日々楽しくて
わかりやすい授業を展開することである。毎日が楽しければ、いじめなど起こらない
のである。学校行事や集団活動を通して人間関係が深められていくことの素晴らしさを
学べば、充実した学校生活を送れるのである。担任は、楽しい授業を展開すると同時に、
年間のイベント計画などを通して子供を自立させる企画を行うべきである。
子供が自立するようになれば、善悪の判断もついてくるようになるので、
いじめも減っていくものだと確信する。(本文終わり)
レポート集
>>11-14 2004年11月22日 教育学演習 無人島で自然体験学習
>>25-28 2005年5月16日 道徳教育概論 修身教科書
>>21-23 2005年5月30日 教育学概論T 教育基本法について調べなさい。これを読んで、感想を書きなさい。
>>30-34 2005年6月27日 教育学概論T 6月20日の授業を受けて、障がい児教育について考えたことを書きなさい。
>>36-40 2005年6月27日 道徳教育概論 6月20日の授業を受けて、障がい児教育について考えたことを書きなさい。
>>42-46 2005年7月6日 教師論 学力の低下をどう捉えるか
>>48-54 2005年7月8日 社会科・地歴科教育法T 生徒の興味・関心と地歴科の授業
>>56-60 2005年7月11日 教育実習報告会 教育実習報告会を受けて感じたこと、考えたこと
>>62-73 2005年7月15日 社会科・公民科教育法T 社会科教育法(前期)課題
>>75-83 2005年7月25日 道徳教育概論 いじめの予防と対策について
>>???-??? 2005年9月22日 地誌学概論 出身地あるいは帰省地についての“地誌的記述”を試みよ。(非公開)
>>???-??? 2005年9月30日 社会科・公民科教育法U 教材化の視点(後期レポート課題)(非公開)
教育実習のビデオの感想
教育実習のビデオの感想
2005年9月24日に教育実習Tの講義の時間で、昭和60年(1985年)度の
教育実習の風景を録画したビデオが放映された。これを見て、最初に受けた印象は、
20年前の学校の風景と今の学校の風景はそんなに変わっていないというものだった。
このことは、体育館の設備や生徒の服装などを見て特にそう思った。昭和60年は
戦後40周年の節目に当たる年だが、このときまでに戦後の教育システムや
教育環境が今のそれに近い物までに整えられてきたということが言えるだろう。
実際の授業風景の中において、特に気になったのは数学担当の教育実習生の
教え方のまずさである。この実習生は証明問題についての解説を行う際に、
黒板にうまく製図ができなくて、生徒にからかわれていた。おそらくこの実習生は
事前に黒板にうまく図を描く練習をしてこなかったのだと思う。普段教壇に立つ
機会が少ない教育実習生が、授業をやる前にうまく図を描く練習をしておかなければ、
本番でうまい図が描けるはずがない。毎日教壇で数学を教えている熟練した教師で
なければなおさらである。この実習生は完全に準備不足である。授業に挑む際には、
万全の準備が必要であろう。また、生徒にからかわれていたり、舐められていたりしては
授業が静まるはずがない。もっと教師であるという自覚をもって授業に臨むべきであると思う。
この数学の教育実習生の授業とは対照的に、国語の教育実習生の授業は発問のタイミングがよく、
授業のテンポが良かった。「なぜメロスはこれこれこういう行動をとったのでしょうか。」
「こうしたかったからなんでしょう。」という感じで、授業の要所要所で生徒たちの
考えをうまく取りまとめていた。発問は授業の流れをスムーズに進行させるためにも
重要なテクニックであると思う。私も授業を行う際には積極的に発問を行い、
生徒たちのやる気と喚起を促すように心がけたい。
教育実習生控え室の場面で、英語を担当している教育実習生が授業に備えて
大がかりな教材を準備しているところが目に付いた。私は授業というのはただ
教師が黒板に字を書くというだけではなく、何がしの教材をあらかじめ準備
したりすることも大事であると思っている。私が小学生のとき、夏休み明けに
沖縄に旅行に行った先生からサトウキビを分けて頂いた思い出がある。この
サトウキビの味を私は今でも覚えている。教育実習生は教師としてわずかな期間
しか生徒と接することができないので、できるだけ生徒に感動を与え、思い出に
残るような授業を心がけるべきであると思う。
職員室の場面で、女性の教育実習生が先生に対してお茶汲みをしていた。
また職員室を退室するときにも「失礼しました。」と言ってから静かにドアを
閉めた。私にとっては普段慣れない動作であるが、教育実習に赴く際には
このような細かい気配りが大事になってくるのであろう。
私は今回のビデオで教育実習に対する具体的なイメージが湧いた。私は来年度自分の
出身中学校にて教育実習を行う予定だが、それまでの間今回のビデオで見た
教育実習のイメージを生かし、『教育実践の研究』をよく読んで、本番を意識した
模擬授業や教材研究をやりたいと思う。(本文終わり)
>>???-??? 2005年9月22日 地誌学概論 出身地あるいは帰省地についての“地誌的記述”を試みよ。(非公開)
>>???-??? 2005年9月30日 社会科・公民科教育法U 教材化の視点(後期レポート課題)(非公開)
>>86-91 2005年10月7日 教育実習T(その1) 教育実習のビデオの感想
「わたしが教師になったとき」を読んで
「わたしが教師になったとき」を読んで
2005年10月1日に教育実習Tの講義の時間に、「わたしが教師になったとき」
という詩を印刷したプリントが配られ、これを読んで理想の教師像について
考察せよという課題が出された。この詩の作者は「雨ニモ負ケズ」などの数々の
詩で有名な宮澤賢治であるというので、この詩について私なりに調べることにした。
すると驚いたことに、この詩は宮澤賢治が作詩した詩ではないとする見解が
あったのである。それによると、宮澤賢治がこの詩を創作した人物ではないとする
根拠に、宮澤賢治が創作した400編余りの詩の中に、この詩が含まれていない
からだそうである。ほかにも、詩によっては「自分が真理から目をそむけて」の
「真理」が「真実」に入れ違っていたり、詩に格調高さがないこと、宮澤賢治は
「スクラム」などという言葉は使用しないなどということが挙げられている。
この詩が教育関係者の間で出回ったのは賢治の死後50年たった1983年頃
とされているが、今回はこの詩が宮澤賢治作の詩であるかのかどうかということに
ついては触れずに詩の中身について触れたいと思う。
詩は全部で6節に分かれていて、それぞれ「私が教師(先生)になったとき」
で始まり、文尾は「語れるのか(言えるのか)」という反語で締めくくられている。
いずれも教師としての資質について端的に述べられている。それらをまとめると、
教師としての資質は「真理を学ぶこと」、「将来への希望をもつこと」、
「理想を抱くこと」、「誇りをもつこと」、「人と仲良くすること」、
「勇気をもつこと」ということになるだろう。確かにこれらは教師を目指す者に
とって非常に大事な要素であるように思える。「真理を学ぶこと」とは、
物事の善し悪しを判断することである。よいものはよい、悪いものは悪いと区別する
心は、教師という立場にあるものには必要不可欠であると言える。
「将来への希望をもつこと」とは、言い換えると生きる目標を持つということである。
人は夢がなければ明日への活力を見失うことになる。子供たちに生きる喜びを
味わらせることは、教育者としての大きな使命であると私は確信している。
私は子供たちに希望や理想や誇りや勇気など、いろいろなものを持たせるため
には、「先生としてのあり方」について真剣に考えることによって、初めて
それが可能になるのだと思う。先生は生徒たちよりも「先に生きる者」として、
自分の生き方に誠実であることが求められ、それが教育に携わるものとしての
筋の通し方であると思う。私が先生として教育の現場に赴くことができたならば、
教育に携わる者として、誰もが素晴らしいと思えるような教育を実践したいと思う。
それは子供たちのためでもあり、自分のためでもある。そのためにはできる限りの
努力をし、勉強に励み、自分を磨き続けなければならないだろう。そのことが教育に
携わるものとしての先生の義務であると思う。私は「わたしが教師になったとき」に
書かれている教師としての資質を深く胸に刻み込み、教員を志すものとしての
自覚を持ち、これからの人生を歩んで生きたいと思う。(本文終わり)
>>???-??? 2005年9月22日 地誌学概論 出身地あるいは帰省地についての“地誌的記述”を試みよ。(非公開)
>>???-??? 2005年9月30日 社会科・公民科教育法U 教材化の視点(後期レポート課題)(非公開)
>>86-91 2005年10月7日 教育実習T(その1) 教育実習のビデオの感想
>>93-96 2005年10月7日 教育実習T(その2) 「わたしが教師になったとき」を読んで
中国における模倣品対策について
中国における模倣品の氾濫は、日本の企業にとって中国市場における潜在的な
販売機会の消失、安価な模倣品による価格破壊、粗悪な模倣品を巡るトラブル
の増加、信用の失墜、消費者に対するブランドイメージの毀損、そして、新たな
知的財産の創作意欲の減退などを引き起こすものである。しかも、日本企業が
何らかの対抗措置を講じなければ、模倣品の製造流通業者は安心して製造流通
を拡大するため、更なる模倣品の氾濫を招くこととなり、日本企業の被害は
ますます深刻なものとなる。模倣品の氾濫は日本企業にとって、とても見捨てて
おける状況ではない。
中国における模倣品対策について考えるとき、何より重要なことは模倣品製造国や
模倣品流通国での商標権・意匠権・特許権等の産業財産権を取得しておくことである。
知的財産権の分野においては、属地主義を採用する以上、日本で権利化していた
としても、中国で権利化していない場合には、中国国内における模倣品の氾濫を
差し止めることは困難であり、結果として元を断つことはできない。権利を取得
することにより、模倣品の製造流通行為に対して権利行使をするのが模倣品の
押さえ込みに最も効果的であるのはいうまでもない。日本での権利取得に満足し、
中国の権利取得は模倣品を発見してからでよいとする企業も見受けられる。
当然、中国における権利取得には費用がかかるため後回しとする気持ちも理解
できるが、模倣品を発見した時には既に他人により権利化されていることが多い。
もはや模倣品の氾濫を差し止める問題ではなく他人の権利を消滅させる問題と
なり、かえって莫大な費用が必要となる。
また、中国においては、日本の不正競争防止法・独占禁止法に相当する反不正
競争防止法もあるが、形態模倣行為の禁止規定がなく、その適用が困難な場合
も散見される。このため、現在は中国における事業展開を考えていない場合で
あっても、積極的に権利を取得しておくことが肝心である。少なくとも前述した
アンケート結果から明らかなように比較的模倣がしやすい商標やデザインに
ついては、権利化を図っておくことが必要であろう。ちなみに、2003年度の中国の
商標登録出願は約45万件であり、日本の同年の約12万件から比べると圧倒的な
出願件数であり、この中には日本企業の著名商標等が盗用され出願されたもの
が相当数含まれている。また、中国の意匠制度は国務院専利行政部門知識産権局
に意匠特許の出願をすれば実体的用件については審査をしないで登録を認める
無審査登録制度を採用し、しかも、わが国とは異なり、新規性に関し外国公知意匠
については拒絶無効の理由としておらず、部分意匠制度も採用していないこと
から、冒認出願も相当多いものと思われる。このため、既に日本国内において
実施され新規性を喪失している真正品をコピーして意匠特許を取得し、その冒認した
権利に基づいて権利行使をするといったこともあり、ひどい場合には、中国で
生産した真正品を日本へ輸出しようとしたが、冒認した権利を根拠に税関で
差し止められてしまう場合もある。いずれにしても、現実に商標や意匠の模倣被害を
受けて始めて権利取得の重要性を認識することが多い。
そこで、現地の営業担当者の養成が重要である。模倣品は現地の営業担当者に
よって小売店の店頭や見本市で発見される場合が多い。実際、各種の模倣実態
調査によれば、模倣の発見はこの場合が最も多いというデータがある。このため
現地社員に対して知的財産権の研修会等を開き、自社権利への認識を高めることが
不可欠である。もっとも、かつての稚拙な模倣品とは異なり、今日では極めて
精巧なデットコピーも多いことから、模倣品であるか否かを識別するための
真正品用のシールを採用するなど、真偽を容易に判定し得る仕組みを設けるのも
一策である。同時に、現地の模倣品対策専任者や日本国内の模倣品対策専任者の
育成も不可欠である。いくら現地の営業担当者が模倣品を発見しても、知的財産の
専門部署がなかったり、専任者がいなかったり、制度的な理解が乏しいなどに
より、対応に苦慮した現地の営業担当者が、結果的に模倣品を放置せざるを
得ないとも聞き及んでいる。また、現実問題として模倣品が横行している段階
で取り締まり対策を他の業務と兼任して実行するのは困難であるため、専任担当者の
存在は不可欠といえる。そして、模倣品の製造国や流通国において良き弁護士・弁理士を
選ぶことも不可欠である。模倣品対策の背後には必ず法が控えている以上、
この法を自在に駆使し得る代理人は模倣対策の帰趨を決するともいえる。
そして模倣品を発見した場合には、少なくとも警告を発することが重要であり、
さらに流通経路を上流に向かってさかのぼり、最終的には製造元を突き止め、
製造業者に対する権利行使により元を絶ち、さらなる模倣品の発現を阻止する
ことができるのである。
模倣品・海賊版の横行は、知的財産権制度の存在を根底から揺らがすとともに、
わが国の産業競争力を低下させる極めて重要な問題である。模倣品の生産流通を
決して放置することなく毅然と対処することこそが、健全な競争によって得られる
利益を確保することとなり、日本企業がとるべき必要最低限の政策であろう。
特に、未だ模倣品の製造・流通が業としてまかり通る中国においては、他国に
比してより一層の毅然とした模倣対策が不可欠であり、これを実行することこそが、
巨大な中国における市場競争において日本企業の優位性を確保する礎となるのである。
そして、専門性が期待される弁理士としては、日々の模倣品対策を支援する
必要があると思われる。 以上
>>???-??? 2005年9月22日 地誌学概論 出身地あるいは帰省地についての“地誌的記述”を試みよ。(非公開)
>>???-??? 2005年9月30日 社会科・公民科教育法U 教材化の視点(後期レポート課題)(非公開)
>>86-91 2005年10月7日 教育実習T(その1) 教育実習のビデオの感想
>>93-96 2005年10月7日 教育実習T(その2) 「わたしが教師になったとき」を読んで
>>98-103 2005年10月25日 発展演習U 中国における模倣品対策について
教育実習とは何か
教育実習とは何か
三省堂の『大辞林』によると、教育実習とは、「教育職員免許法に基づき、
教員免許状を取得しようとする者が、必要単位取得の一部として学校教育の現場で
実習授業を行うこと。」と書かれてある。教育実習は、小・中・高など各学校の
教諭の免許状を取得するために必要である。教諭の免許状を取得する要件として、
「教育職員免許法」、「教育職員免許法施行規則」などの規定によって、教育実習の
単位を修得することが原則となっている。「教育職員免許法」は、就学前教育、
初等教育、中等教育の教員の資格要件とされる教員免許状について定めている法律で、
1949年5月31日に公布された。この法律で、小学校、中学校、高等学校、中等教育学校、
聾学校、盲学校、養護学校の教諭は、免許状を有していなければならないと
定められている。「教育職員免許法施行規則」は教員免許状の授与に際して
取得しなければならない科目の単位、試験などについて具体的に定めている。
教育実習生は、実習期間中実習校の校長をはじめとして指導教諭の指導を受け、
教育活動のほぼすべての領域に参加する。教育実習生の仕事としては、学級活動や
ホームルーム活動、授業参観、教科指導、教材研究、合評会などが挙げられるが、
これら以外にも指導教諭の指示のもとに、学校運営で必要な事務や作業等を行う
こともある。また、課外活動や部活動、学校行事等における児童・生徒の指導を
行うこともある。学習活動や公務だけではなく、休み時間や放課後に教室や廊下、
校庭等に出て児童・生徒と一緒に遊ぶことは、教育実習において大変重要なことである。
教育実習の意義は、一般企業におけるいわゆる「研修期間」にあたるものとして
位置づけることができる。なぜなら、教員は採用されたその日から児童や生徒
たちに先生として直接触れ合うからである。
教育実習の問題点として、実習期間が2週間から3週間程度と短いため、
どうしても教科指導が中心となってしまい、それ以外の校務を十分実習されられない、
もしくは実際に採用されて教員として現場に就くまでのブランクが少なからず
存在することなどから、研修期間としての意味が十分果たせているのかどうかとの
疑問の声がある。また、教員免許状を取得するためだけ、あるいは単位を稼ぐ
ためだけに教育実習に臨む実習生も少数ながら存在する。このような態度は
教育実習を受け入れる教職員に対して不謹慎であり、せっかく自らの教材研究の
時間等の合間を縫って指導しても後輩育成につながらない、と腹立たしさを
覚える教員も少なくない。学校側には教育実習生を受け入れる義務はないが、
そのことが実習生の受け入れ拒否の理由になっていることさえある。
教育実習は現実の生徒を対象として、教育の理論や技術、さらにその精神的基盤
までも学び、研究する場である。教育実習生は未熟な学生でありながら、同時に
その学校の教育活動の一翼を担う一人の教師という側面も持つ。この不安と魅力が
あふれる貴重な経験を3週間行うにあたって、私は「為すことによって学ぶ」
という姿勢で臨もうと思う。指導教官や生徒から自分にとってためになることは
何でも吸収し、そこから得られた知識や経験を授業や生徒指導に生かし、
理想の教師像について考えていこうと思う。(本文終わり)
>>???-??? 2005年9月22日 地誌学概論 出身地あるいは帰省地についての“地誌的記述”を試みよ。(非公開)
>>???-??? 2005年9月30日 社会科・公民科教育法U 教材化の視点(後期レポート課題)(非公開)
>>86-91 2005年10月7日 教育実習T(その1) 教育実習のビデオの感想
>>93-96 2005年10月7日 教育実習T(その2) 「わたしが教師になったとき」を読んで
>>98-103 2005年10月25日 発展演習U 中国における模倣品対策について
>>105-110 2005年11月2日 教育実習T 教育実習とは何か
2005年11月21日の于臣さんの授業を受けて
中国の大連出身の于臣さんは、もともと実業家の渋沢栄一に興味があり、
彼のことを研究するため、2002年に日本に留学しにきたと言っておられた。
また、日本に来た時点で于臣さんは日本に対し、あまりよいイメージを持って
いなかったそうである。私はそれは中国の中央政府に責任があると思う。
中国や韓国ではだいぶ前から、経済で停滞が起こったり、政治上の問題が発生
した場合は、民衆の不満の声を政府からそらすために、対日批判を行って民衆を
扇動する策略をとってきた。日本は1965年に韓国との間に日韓基本条約を
結んだ際に、過去の行為に対する賠償を支払い、日中関係においても1978年に
日中平和友好条約を締結して以来、公式の場において中国に対し十数度に渡って
謝罪の意を示し、ODA(政府開発援助)で中国に対し何千億円という単位の援助を
行っている。それにも関わらず、教科書問題のことで各地でデモが起こったり、
小泉首相の靖国神社参拝のことで抗議を行ったりしている。これらは明らかな
内政干渉であり、日本との友好関係を踏みにじる行為である。小泉首相が靖国
神社に参拝するにしても、そのことが一体どれだけ中国や韓国に対して迷惑や
損害を与える行為なのであろうか。そのことに対して中国や韓国は自国民の感情を
逆撫でされたと主張するが、実際の利益不利益を抜きにして、何でも感情論で
ものをいわれても困る。仮に中国や韓国の一部の人間が日本の首相の靖国神社
参拝に対して反対の意を示しているのだとしても、それらの国のすべての人たちが
そのことに対して反対意見を述べているのかといえば甚だ疑問がある。中央政府の
国家的教育政策によって、反日用のロボットに仕立て上げられた民衆だけが、
政府の意向に沿って反日行動をとっているのだとしか思えない。その一つの根拠
として、かつて日本がその植民地としてきた、フィリピンやインドネシアなど
の東南アジア諸国で、日本が教科書に何を書いたとか、首相が靖国神社に参拝
したとかで大規模な反日デモが行われたというような話は聞かない。このことは
メディアの力によるところも大きいのだろうが、我々は自国の政策を、他の国の
無責任な批判や感情論によっておかしな方向に振り回されることのないように
気をつけなければならないだろう。
また、于臣さんは「人は生まれつき善である」という孟子の性善説の立場を
とられていたが、ご存知のように中国には性善説に対抗する説として性悪説が
古来より存在する。これは中国の戦国時代の末期に儒家の荀子が唱えた説で、
「人は生まれつき悪である」とし、それを矯正するために礼が必要なのだと
主張している。この性善説と性悪説という二つの立場は、古来から神学論争の
ように長く議論され続けられていて、1+1=2というように単純明快に答えを
導き出すことができない。于臣さんにはなぜ性悪説ではなく性善説の立場を
とられているのか、その理由を聞きたかった。これは余談だが、ソフトバンク
株式会社代表の孫正義氏は、会社で社員が個人情報を盗み出すという不祥事が
起きた際に、「今までは人を性善説の立場で見てきたが、これからは性悪説の
立場で見る」と述べている。
(本文終わり)
>>???-??? 2005年9月22日 地誌学概論 出身地あるいは帰省地についての“地誌的記述”を試みよ。(非公開)
>>???-??? 2005年9月30日 社会科・公民科教育法U 教材化の視点(後期レポート課題)(非公開)
>>86-91 2005年10月7日 教育実習T(その1) 教育実習のビデオの感想
>>93-96 2005年10月7日 教育実習T(その2) 「わたしが教師になったとき」を読んで
>>98-103 2005年10月25日 発展演習U 中国における模倣品対策について
>>105-110 2005年11月2日 教育実習T 教育実習とは何か
>>112-115 2005年11月28日 教育学概論U 2005年11月21日の于臣さんの授業を受けて
2005年12月12日の授業を受けてジェンダーについて考えたこと
2005年12月13日付けの毎日新聞朝刊の1面の記事に、「ジェンダー」に関する興味深い記事があったので、これについて取り扱おうと思う。
2005年12月13日の記者会見で、猪口邦子男女共同参画担当相は今年度中に
改定する予定の「男女共同参画基本計画」で、「ジェンダー」の定義を明確にする
考えであることを述べた。
「ジェンダー」という概念は、1990年代の半ばに男女共同参画政策の標語
などで登場した。ここから、生物学的な性差とは一線を画した、文化的な性差
(いわゆる「男らしさ」や「女らしさ」という概念)をできる限りなくしていこう
という、「ジェンダーフリー」の考え方が広まっていくようになった。
しかし、この「ジェンダー」という考え方を巡って、これまでに教育機関で
様々な混乱や誤解が生じたことが報告されている。内閣府の調査によると、
「ジェンダー」を性差を否定する概念だと受け止めた教育機関が、「男女差別」
との批判を恐れて小中学校などでトイレを男女共用にするほか、修学旅行の際に
男女同室での着替えや宿泊を行うように指示するなどのケースが見られた。
このような混乱や誤解が生じないようにするために、改定する「男女共同参画基本計画」
では、「ジェンダー」の定義を明確にしたうえで、誤った事例を列挙する予定
である。猪口氏は「現状は本来のジェンダーの概念とは異なっている」と話した。
以上が2005年12月13日付けの毎日新聞朝刊の1面の記事の要点である。
このことに対する私の見解は、「ジェンダー」の定義を明確にすることについては
賛成である。教育機関がこのままずっと、修学旅行の際に男女同室での着替えや
宿泊を行うように指示していたら、子どもたちの親は余計な悩み事を抱えることに
なるだろう。
また、一言に「ジェンダーフリー」といっても、実際にはさまざまなものが考えられる。
そのうちの一つの例として、男女の雇用・労働問題が挙げられる。この事例として
有名なものは1981年3月24日に判決が出された日産自動車事件で、
最高裁判所は日産自動車の男性は55歳、女性は50歳で定年とする女子若年定年制の
就業規則を公序良俗違反として無効とした。その後1985年に成立し、
1986年に施行された「男女雇用機会均等法」によって、結婚退職制や
出産退職制などの職場における性差別が禁止されるようになった。
また、これ以外にも「ジェンダーフリー」に関わる問題として、2005年
12月12日に行われた授業で取り上げられた、学校で使う名簿の問題もある。
名簿で男子を先、女子を後に呼ぶことで、『男子は女子より優先される』、
『男と女は生来から区別された存在である』という観念を子どもたちの考えの
中に植えつけてしまうことになる。そこで考えられたのが男女混合名簿で、
これは男子が先で女子が後、という名簿ではなく、五十音順に児童生徒の名前を
並べた名簿である。現在このような男女混合名簿が使われていない国は主要国の
中では日本とインドだけで、ここから日本政府ないし日本の官僚の「ジェンダー」に
関する意識の弱さや無関心さが読み取れるだろう。日本では男女混合名簿を
過剰な平等政策であると批判する人も多いが、国際社会における男女平等化の
観点から私は男女混合名簿の使用に賛成である。
私は2005年12月12日の授業を受けて「ジェンダー」についていろいろと
考えさせられ、「ジェンダー」を我々の身近な問題として捉えられるようになった。
このことを教育の現場や実生活の中において生かしたいと思う。(本文終わり)
>>???-??? 2005年9月22日 地誌学概論 出身地あるいは帰省地についての“地誌的記述”を試みよ。(非公開)
>>???-??? 2005年9月30日 社会科・公民科教育法U 教材化の視点(後期レポート課題)(非公開)
>>86-91 2005年10月7日 教育実習T(その1) 教育実習のビデオの感想
>>93-96 2005年10月7日 教育実習T(その2) 「わたしが教師になったとき」を読んで
>>98-103 2005年10月25日 発展演習U 中国における模倣品対策について
>>105-110 2005年11月2日 教育実習T 教育実習とは何か
>>112-115 2005年11月28日 教育学概論U 2005年11月21日の于臣さんの授業を受けて
>>117-126 2005年12月19日 教育学概論U 2005年12月12日の授業を受けてジェンダーについて考えたこと
A級戦犯と靖国問題について
はじめに
2005年の4月に韓国と中国において大規模な反日デモが発生した。
このデモが発生した背景としては日本の歴史教科書問題や領土問題など
様々なものが挙げられるが、とりわけ重要なのは小泉首相の靖国神社参拝の
ことであろう。そこで今回は靖国問題のことを第二次世界大戦の終戦直後に
まで遡って考えてみようと思う。
極東国際軍事裁判
1945年8月15日のポツダム宣言受託後、わが国では1946年1月19日の
マッカーサー連合国最高司令官の「極東国際軍事裁判所設置に関する命令」に基づき、
極東国際軍事裁判所が設置された。裁判で戦争犯罪として処罰されたのは、
平和に対する罪(A級戦犯)、通例の戦争犯罪(B級戦犯)、人道に対する罪(C級戦犯)、
の3種類である。これでA級戦犯容疑者として100人以上が逮捕されたが、
うち28人だけが極東国際軍事裁判にかけられた。この28人の中には元首相の
広田弘毅(第32代)、平沼騏一郎(第35代)、東條英機(第40代)、
小磯國昭(第41代)らが含まれる。このうち広田弘毅と東條英機を含む7人が
絞首刑となり、平沼騏一郎と小磯國昭を含む16人が終身刑とされた。判決は
1948年11月12日に出され、絞首刑は翌月の12月23日に執行された。
処刑後の経緯
処刑後、東条英機ら7人の遺体は遺族に返還されることなく、当夜のうちに
横浜の久保山火葬場に移送し火葬された。遺骨は粉砕され遺灰と共に航空機に
よって太平洋に投棄された。しかし、12月25日に小磯国昭の弁護人だった
三文字正平の手によって火葬場の残灰置場から7人の遺骨の一部が密かに回収され、
伊豆山中の興亜観音に密かに葬られた。その後、1960年8月16日に
愛知県幡豆郡幡豆町三ヶ根山の山頂付近に遺骨は移された。三ヶ根山には
「殉国七士廟」が設けられ、その中の殉国七士の墓に現在も遺骨が安置されている。
ちなみに靖国神社にはA級戦犯の遺骨は全く収められていない。神社は神霊を
祭る社であって、靖国神社では国家のために戦争で命を落とした戦没者および
その他の公務殉職者の霊を祭神として祀っている。よってあるのは名簿だけである。
首相の靖国神社参拝
敗戦の年の1945年10月、幣原首相は靖国神社に参拝して大戦の戦没者の
霊を弔ったが、その後GHQ(連合国最高司令官総司令部)の指示で、戦没者の
慰霊祭への公的関与は一切禁止された。1951年9月8日にサンフランシスコ
講和条約が調印されると、吉田首相は、その批准を待たず、「戦没者の慰霊祭等への
公人の参拝差し支えなし」という占領軍の許可を得て靖国神社への公式参拝を行った。
その折には吉田首相も遺族達も感無量であったと報じられている。吉田首相は
首相在任中に4回靖国神社を公式参拝した。
その後も岸信介は2回、池田勇人は5回、佐藤栄作は11回、田中角栄は5回、
首相として、公的形式で靖国神社を参拝した。
A級戦犯合祀
1978年、靖国神社は28人いるA級戦犯のうちの14人を「昭和時代の殉難者」
として合祀した。この中には死刑判決を受けた東条英機や広田弘毅元首相らが含まれる。
この当時は、中国等から何の抗議もなく、1979年の大平首相、1980、81年の
鈴木首相の靖国神社参拝も何の問題も生じなかった。1982年となると、
最近二十年間の「自虐史観」問題の端緒となる教科書問題が起り、中国の
対日批判が激しくなるが、「A級戦犯合祀」の批判はなく、1983、84年の
中曽根首相の靖国神社参拝も問題なく行われた。
靖国問題の発端
現在の靖国問題が始まったのは、1985年からである。中曽根首相は、
かねてから「戦後の総決算」を標榜していたが、1984年に靖国懇話会を設け、
その報告書に基いて1985年8月15日には公式参拝を行った。
これに対し、8月7日の朝日新聞は、靖国問題を「中国が厳しい視線で凝視している」
と書き、11日の人民日報は、靖国参拝に批判的な日本国内の動きを報道し、
はじめは互いに相手国を引用する形で、反対運動を開始し、そして遂に14日には、
中国外務省スポークスマンが、「アジア各国人民の感情を傷ける」と、
はじめて公式に反対の意思表示をした。そして、27日から30日までの
社会党訪中において、社会党と中国は公式参拝批判の気勢を大いに上げ、
反対運動は燃え上がり、中曽根首相は、その後退任まで参拝できなくなってしまった。
そしてこの時以来、この干渉の成功に味をしめた中国は、靖国問題干渉を
中国外交政策の一部として維持し、また、それは1995年頃の中国の
愛国運動などにより中国の「国民感情」となり、日本国内左翼と相呼応しつつ
今日に至っている。
靖国問題の焦点
この経緯から見てわかる事は、靖国問題は法的問題ではなく、極めて特殊な
政治的問題なのだということである。1982年の教科書問題以降の新しい形の
反体制運動の雰囲気の中で,中曽根首相の「戦後総決算」という姿勢に
反体制勢力が反発したのが発端である。そして、その後の運動は、例外なく、
日本国内の反体制勢力が意図的に外国の干渉を惹き出し、内外呼応して
政府批判を行う形をとっている。
靖国問題に対する見解
私は総理大臣の靖国神社参拝には、二つの大きな問題があると考える。
一つは、靖国神社の創建からの経緯、もう一つは、憲法の政教分離規定との関係である。
この二つの点から、私は、首相及び閣僚の靖国神社への参拝は、認めるべきではないと
主張したい。
まずは靖国神社の創建からの経緯について見ていきたい。
靖国神社は、1869年、明治天皇の勅命によって創建された
「東京招魂社(しょうこんしゃ)」に起源がある。当時、「東京招魂社」を設立した
明治天皇の考えは、「幕末の護国殉難者を国として祀り上げたい」ということ
だったとされている。靖国神社の起源は、明治維新の「官軍」の戦没者を祀る
施設であったわけである。このため、いわゆる「信者」がいるわけでもなく、
神官をはじめとして従事者の身分はすべて国家公務員であった。
その後、日本は「富国強兵」の名の下に軍国主義の道を歩み出し、1879年には
「東京招魂社」の名称を「靖国神社」と改称し、外国との戦争・事変などで
国のために亡くなった戦没者を、護国の英霊として合祀するようになった。
靖国神社は、一般の神社とは性格を異にする、軍事的色彩の強い宗教施設となり、
国民は死んで靖国神社に祭られることを最高の美徳と教えられ、信仰のいかんに
かかわらず参拝を強制されるようになった。
日本が降伏する条件として受諾した1945年のポツダム宣言の中に、
「国家と神道を切り離すべきである」という勧告があり、1946年、
靖国神社は国家管理を離れ、東京都知事の所管する一宗教法人となった。
靖国神社は、戦後も引き続き、先の大戦における多数の戦没者を合祀していたが、
1978年にA級戦犯14人を「昭和の殉難者」として合祀して以来、首相の
靖国神社参拝が周辺のアジアの国々から問題視されるようになった。
その理由は、アジア太平洋地域における侵略戦争を引き起こした張本人である
A級戦犯を靖国神社に合祀して敬うことが、周辺アジア諸国には日本が戦前の
軍国主義に回帰する前触れのように感じられ、脅威であるからである。
また、靖国神社は、一連の経緯より、「天皇に命をささげる」ことが祀られる
条件となっている。天皇の軍隊に歯向い、西南戦争を引き起こした西郷隆盛など、
「賊軍の将」は祀られていない。官軍と戦った幕府軍は尚更である。 それに、
戦時中に空襲や戦闘に巻き込まれて亡くなった一般国民も祀られておらず、
終戦後の混乱期にシベリアなどに抑留され異国の地でなくなった多数の日本人も
祀られていない。
こうした靖国神社の設立やその経緯を深く検証すると、その存在は非常に
偏ったものであると映らざるをえない。2005年10月17日に小泉首相は
首相に就任して以来、5年連続5度目の靖国神社参拝を実行したが、靖国神社に
参拝することによって、「戦没者に対して、心を込めて敬意と感謝の誠をささげたい」
とする小泉首相の目的が本当に達成できるのか、甚だ疑問であると言わざるをえない。
国際的な配慮を視野に入れるのであれば、首相の靖国神社参拝は取りやめるべきであろう。
次に憲法の政教分離規定との関係を取り上げたい。
2005年9月30日、大阪高等裁判所で、小泉靖国参拝違憲大阪第二次訴訟
(台湾訴訟)の控訴審の判決が出された。結果はメディアで大々的に報じられたように、
「小泉首相の靖国参拝は、職務としてなされた公的なものであり、それは憲法が
禁じる宗教的行為に当る」として、明確に憲法違反の判断を下したものであった。
憲法で定められた思想良心の自由、信教の自由は、単に直接的な強制や禁止だけでなく、
布教、宣伝等による圧迫、干渉から内心を保護するものととらえ、これまでの
裁判では一蹴されてきた戦没者の祭祀に関する自己決定権の存在を認めたものであった。
首相や閣僚が靖国神社に公式参拝することは、憲法第20条と第89条が関係してくる。
「信教の自由」を保障した憲法第20条の1項後段に、「いかなる宗教団体も、
国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない」とあり、
20条の3項には「国及びその機関は(中略)、いかなる宗教的活動もしてはならない」
とある。さらに、第89条では「公金その他の公の財産は、宗教上の組織もしくは
団体の使用、便益もしくは維持のため、(中略)これを支出し、又はその利用に
供してはならない」とされている。
こうした憲法の規定は、1945年の「国家と神道を切り離すべきである」という
ポツダム宣言の勧告を受けて、戦前の宗教政策(国家神道政策)を反省し、
二度と国家が宗教を管理するようなことがあってはならないということを
示したものである。
今回の裁判で、首相、閣僚の靖国神社への公式参拝は、憲法第20条3項で禁止する
「宗教的活動」に該当する、違憲行為であることが明らかになった。
小泉首相は、自らの靖国神社参拝を違憲と判断した大阪高裁判決について
「総理大臣の職務として参拝しているわけではない。憲法違反であるとは思っていない」
と反論したが、私としてはこれ以上の靖国神社の参拝はやめ、一日でも早く
アジア諸国との関係の改善を図り、本当の意味での信頼関係が築き上げられる日が
来ることを願っている。(本文終わり)
>>???-??? 2005年9月22日 地誌学概論 出身地あるいは帰省地についての“地誌的記述”を試みよ。(非公開)
>>???-??? 2005年9月30日 社会科・公民科教育法U 教材化の視点(後期レポート課題)(非公開)
>>86-91 2005年10月7日 教育実習T(その1) 教育実習のビデオの感想
>>93-96 2005年10月7日 教育実習T(その2) 「わたしが教師になったとき」を読んで
>>98-103 2005年10月25日 発展演習U 中国における模倣品対策について
>>105-110 2005年11月2日 教育実習T 教育実習とは何か
>>112-115 2005年11月28日 教育学概論U 2005年11月21日の于臣さんの授業を受けて
>>117-126 2005年12月19日 教育学概論U 2005年12月12日の授業を受けてジェンダーについて考えたこと
>>128-151 2006年1月11日 日本史概論 A級戦犯と靖国問題について
社会科教育法・後期課題レポート
(1)実施した授業の概要
私は2005年11月4日の社会科・公民科教育法Uの講義で人口爆発についての
模擬授業を行った。本来なら廣瀬君とのチーム・ティーチングをやる予定であったが、
廣瀬君が教材を忘れたために、自分一人で模擬授業を行うことになった。
模擬授業の制限時間は15分で、授業の概要は、まず現在の人口はおよそ65億人で、
中国とインドの2カ国だけで世界の人口の3分の1を占めていることについて述べた。
次に世界の人口は20世紀の100年間で16億人から60億へ、約4倍近くにも
膨れ上がり、人口爆発と呼ばれる人口の急激な増加は、主にアジアを中心とした
発展途上国地域で起こっていることについて触れた。そして人口爆発によって
増えた人口を養うために農村部では過度の焼畑農業や放牧が行われ、その結果、
土地が荒廃して農業ができなくなり、食料を求めての争いや紛争が世界各地で
頻発するようになり、食料問題が国際的な問題に発展していることについて説明した。
時間の関係上、模擬授業はここまでで打ち切ったが、時間が許すのであれば、
世界の食料問題を解決するための具体的な方法についてグループで討議させ、
話し合った内容をグループの代表者がクラスの前で発表するという形式を取りたかった。
今回の授業で強調したかった点は、人口爆発の原因のことである。
発展途上国で爆発的に人口が増加している背景には貧困がある。人々は貧困のため、
自分の将来に明るい展望が持てない。さらに、子供が乳幼児期に死亡する確率が
高いため、貧しい地域の人々はできるだけたくさんの子供をつくろうとする。
そしてその子供たちを小さいころから資本家の経営する農場や工場などで働かせ、
少しでも多くの家計の助けを得ようとするのである。その結果として、
発展途上国の都市部ではストリートチルドレンと呼ばれる、劣悪な条件下で
生活をする子供たちが大量に発生することとなった。人口爆発を抑えるためには、
まず社会が貧困から抜け出すことが第一である。ただしこれには国レベルの
努力が必要であり、国際社会が一致団結して貧しい国への支援や援助を
行わなければならないだろう。さらに医療問題も挙げられる。医療レベルが
向上し、子供が小さいうちに死ぬ可能性が低くなれば、子供をたくさん生む必要は
なくなるのである。このことを生徒たちに理解させたかった。
今回の模擬授業でうまくいった点は、事前準備の際に授業案を細かく丁寧に作成したため、
自分が頭に思い描いていた通りの模擬授業が進められたということだ。
もし授業案の作成に手を抜いていたりしたら、授業を進めていくときに
次にやるべきことがわからなくなって、慌てふためいていたかもしれない。
ほかの人の授業案をみていても、授業案をきちんと書いている人ほどうまく模擬授業を
展開できていたように思える。また、板書する際は事前に何をどこにかくのか
あらかじめ決めていたために、誤字脱字もなく冷静に黒板に字を書くことができた。
これも自分ではうまくいった点であると思う。
今回の模擬授業で反省すべき点は、何と言っても真っ先に挙げられるのは、
配布する資料が人数分足りなかったことだ。これは模擬授業が始まる前に人数を
確認しておけばよかったのだが、それを怠ってしまったために3人ほど隣にいる人に
見せてもらうという形になってしまった。本番の授業ではこのようなことが
起こらないように、事前に生徒の人数を正確に把握しておきたいと思う。
また、一応資料は配布したものの、OHPやパワーポイントといった機材は今回の
模擬授業では使用しなかった。本番の授業ではこれらの機材を使用して、
生徒の視覚に訴えるといった工夫を凝らしてみたい。
(2)生徒役からのコメント
生徒役からのコメントとして一番多かったのは、声が小さくて聞き取りづらい
というものだった。自分でははっきりと言葉を喋っているつもりだったが、
生徒役からすればそれでも聞き取りづらいのだとわかった。また、早口で言葉が
聞きづらいというのもあった。これからは後ろにいる人にもはっきりと聞こえるように、
ゆっくりと、わかりやすく、大きな声で話をしようと思う。また、話をしているときは
うつむき加減で、生徒の顔を見ていないという指摘もあった。板書に力が入っていたために、
生徒一人一人の表情をうかがう心構えが足りなくなったのかもしれない。
これからはもう少し授業中は生徒の一人一人の様子をしっかりと観察するように
していきたい。
ここまでマイナスの面でのコメントを挙げてきたが、プラスの面でのコメントは、
アンダーラインを教科書に引かせたのがよかったというのがあった。あと、
授業の出だしで行った、5択の選択肢を提示して現在の世界の人口(65億人)
を当てさせるクイズは好評で、授業の内容に興味を持ったという反応が見られた。
これらの長所はさらにアレンジして、実際の授業の組み立てに上手に生かしたいと思う。
(3)マイクロ・ティーチングの経験から学んだもの
私は今回のマイクロ・ティーチングで、人にものを教えることの難しさを
身に染みて感じた。教える内容を自分ではしっかりと理解しているつもりでいても、
それを人に伝えることは決して簡単なことではない。いろいろと工夫したり
しなければならないこともあり、生徒の目線に合わせたりもしなければならないので
大変な労力がいる作業であると感じた。これを毎日やる学校の先生方は陰では
ものすごい苦労をなさっているのだと思った。しかし、人にものを教えることは
大変だと思う反面、そのことにたいしての一種の楽しさみたいなものを感じた。
生徒役からのコメントの中で、「今まで人口問題のことは何も知らずに生きてきたけど、
授業を聞いて初めてそれが大変なことになっているのだと分かった」、「これから新聞とかで
人口問題についての記事があったらそれを読んでみようと思う」などというというのがあった。
それを読んで、私はとてもうれしかった。模擬授業で一生懸命授業をやった甲斐が
あったというものだ。これまで自分は模擬授業の教材研究や準備などでいろいろと
忙しくて大変であったが、この生徒役のコメントでそれらがすべて報われたような気がした。
教員というのは大変ではあるけれども、同時にやりがいのある職業であるのだなと思った。
私はこれでよりいっそう教員を目指す心が強くなった。この気持ちを大事にしながら、
来年度に受ける予定の教員採用試験に向けて努力していこうと思う。
(4)社会科教育の課題
近年、高度情報化社会の進展は著しい。それは単にコンピュータ等のIT機器が
発達したということではなく、情報通信機器の発達と関連して、社会のあり方が
大きく変わろうとしているのである。この状況を踏まえて、政府のIT戦略本部は
2001年1月22日に「e−Japan戦略」を策定した。これはIT革命を
産業革命に匹敵するほどの歴史的大変革と捉え、5年以内に日本が世界最先端の
IT国家となることを画策したものである。その中で教育分野は重点5分野のうちの
1つとして定められ、文部科学省が中心となって教育の情報化を推進してきた。
教育の情報化政策は、児童・生徒に変化の激しい時代に主体的に対応できる力、
すなわち「情報活用能力」を身につけさせることを目標としている。その目標達成のための
具体的な施策として、学校の情報環境の整備や教員のIT研修、教育用コンテンツの
開発が進められてきた。その結果、2004年3月現在で、インターネット接続校は
全体の99.8%、そのうち高速回線接続は71.6%にもなっており、
コンピュータの操作ができる教員は93.0%に達している。教育コンテンツでは、
各省庁のWebサイトには、児童・生徒の利用を目的としたキッズページなどが
開設されるようになった。また、制度面では、中学校「技術・家庭」の必修領域に
コンピュータに関する内容を盛り込み、高等学校では必修普通教科として
「情報」を設置するなどの対応が図られている。
高度情報社会の進展は、社会科教育に関してもその内容や方法に大きな変化を
もたらそうとしている。高度情報社会においては、必要とされる情報はますます
増大するが、学校教育の中で必要な「情報」のすべてを扱うことは不可能であるし、
「情報」の陳腐化も早い。こうした社会では、普遍的・基礎的な「情報」を
「知識」として定着させることと、必要に応じて「知識」を獲得していく方法を
学ばせることに教育上の力点が置かれることは当然のことであると言えよう。
こうした学校教育の方向性が、「自ら学ぶ力」と「基礎基本の定着」・「見方・考え方の重視」と
表現されるのである。社会科に関連して考えれば、ここ10数年の間に、
冷戦の終結、旧ソ連の崩壊、EUの拡大、アメリカにおける同時多発テロ、
イラク戦争など新たな出来事が次々と起こった。世界情勢は目まぐるしく
変化をしているのである。こうした世界情勢の変化は、児童・生徒が学校を
卒業したあとも続くことは確実である。だとするなら、ある事実を単純に
記憶させるだけの社会科教育では意味がない。社会科教育では、変化の激しい
社会に常に関心を持つと同時に、それらに主体的に対応できるような能力の育成が
求められているのである。すなわち、ある事実を単純に暗記させるのではなく、
そのことの歴史的・地理的・政治的背景や、他の事実との関連性などを、
多面的・多角的に考察させるような授業を構築する必要がある。社会化教育とは
単に知識を注入する教科ではなく、諸資料に基づいて社会の諸相を考察する教科
なのである。しかも、それらの知識や技術をもとに、社会の中で実践・行動していく
ような態度・姿勢の育成を目指している。
社会科のこうした性格は、「社会」が第2次大戦後わが国の初頭中等教育で
「社会」が採用されて以来かわることなく引き継がれている。確かに、初期の
「社会」の経験主義あるいは問題解決学習は、様々な批判を受け、系統主義への
移行が見られた。そしてその中で、児童・生徒が知識的な内容は格段に増加した
ことは事実である。そのため、ややもすれば教育内容が暗記重視になる傾向が
あったことは否定されない。しかし、「社会」は事実に基づいて、事実を分析・考察
することによって成り立っているということ自体は全く変わっていない。また、
経験主義的要素が薄らいだとはいえ、現実社会との交流は社会科教育の本質と関わる
ために無視することはできない。そのため、学習指導要領では、地理的分野の
内容に「身近な地域」が含まれている。また、歴史的分野や公民的分野でも
調査や見学が重要な手法の一つとして明記されている。
社会科とは、現実社会を題材として、現実社会の中で学んでいくという性質の
教科である。身近な地域であれば、観察や調査など直接体験をすることができるし、
そのことは何事にも変えがたい意義を持っている。しかしながら、すべての事柄を
体験できるわけではない。例えば埼玉県の中学生が沖縄でサトウキビの栽培から
収穫に至るまでの一連の作業を学ぶとする。時間と費用があれば現地で直接体験
することもできるだろうが、現実には不可能である。ここで、IT(Information Technology、
情報技術)の活用のことについて考えてみようと思う。
近年のIT機器の発達は目覚しいものがある。学校にコンピュータなどのIT機器の
導入が図られるようになったのは1980年代からである。しかし、この時期の
コンピュータは機能性が低く、コンピュータ自体の活用技術の習得やドリル形式の
問題に利用される程度で、社会科の多様な課題に対応できるような代物ではなかった。
しかし今日でのコンピュータ等のIT機器は、データベース機能、計算機能、
文書作成機能、プレゼンテーション機能など実に多彩な機能を持っている。
単体としてのコンピュータが改良されただけではなく、それらが相互に結ばれて
情報通信機器の役割も果たすようになった。
社会科学習におけるIT活用のメリットとして、教室と現実社会を結ぶツールと
しての利用が考えられる。現実社会へ参加しようとする態度を育成するためには、
実際に現実社会に連れ出すことが最もよい方法だと考えられる。しかし、さまざまな面から
無理がある場合が多い。例えば、先に挙げた沖縄でのサトウキビの収穫の例のように、
時間的・経済的負担・家庭や地域との関連など多面的な調整が必要となってくる。
ところで、児童・生徒に理論や概念を習得させる方法として、効果的な方法のひとつに
シミュレーション学習がある。これは、現実社会を抽象化・モデル化した教材を作成し、
その教材を使うことで、現実社会を模擬的に体験させようという学習方法である。
現実社会が抽象化・モデル化されているため、理論・概念の獲得が容易になっている
ことが大きな特徴である。シミュレーション学習は、必ずしもITを用いたものに
限定されないが、現在では一般企業によってIT化されたものが数多く存在する。
例えば、中学校社会科公民的分野、高等学校政治・経済の教材用に日本証券業協会、
東京証券取引場、証券広報センターが作成し、運営している「株式学習ゲーム」は、
シミュレーション・ゲームでありながら、現実の株価の動きを用いているので、
リアルな類似体験を経験できるという。こうした経験が、現実の社会に向き合ったときに、
ふさわしい態度をとる指針となろう。