C's subjective

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39C ◆7sqafLs07s
僕がエミネムを支持するのは
コバーン的な矛盾を解消できるかもしれない
一つの方法論を提示したからでもある。

スターでありながらなおかつグローバリズム的偏狭に対抗する術を。
それはエミネムの(精神科医お墨付きの)「分裂症的表現」にある。

彼は幾つものキャラを使い分けて
シリアスな歌詞からふざけた歌までを演じ分ける。
ラッパーになる前に漫画家を目指していた彼には
通常ラップミュージックがおこなう
「俺はこうやって苦しんでるんだぜ、ヨー」的な
無軌道にほとばしる劣情とは少し違う
(そういうものが無いとは言わないが)
「観察」の目があるように思う。
世間に中指立てている自分を「構図」として捉えているような。

キャラを使い分けることで
単純な二分法に陥る危険もない。
ある意味では「その場その場で一貫性がない」
という潔癖症的な音楽ファンからは嫌がられる表現かもしれないが
商業主義的な音楽、というものに
商業主義の真っ只中から抵抗するには
このスタンスは有効なんじゃないかと思うのだ。
たとえばインディーズ時代「メッセージ性」とか「音楽の音楽としての純粋さ」
みたいなところでマニアックな(ヲタク連中からの)支持を受けていたのに
まさにその音楽性の豊かさゆえにメジャーになってしまうと
マニア連中から冷ややかな目を向けられるミュージシャン、という現象は
(もしくはマニアが必死に商業的成功の「裏の意味」を語ろうとする現象も)
よく見られるけど、僕はとても愚かなことだと思う。

コバーンの死を無駄にしているだけだと思う。