>>72 俺は、何かを思い出すよりも、いつかはこの秋のことも、どういう風にか、思い出したりするんだろうなぁ、
なんて、考えたりすることの方が多いかなぁ。あんまり感傷的になってしまうけど、秋はそういう季節だよ。
>>74 他人のうんこ見ると気分が悪くなるから、そこにうんこがあるって分かったら、二度と見ないようにする。
これって別に、他人のうんこを見て気分が悪くなったっていう経験のある人間の自己分析ではないでしょ?
慣性による何かであると言えるか、まぁまずは大方、事故分析に基づいた、判断であると言うよね、普通。
そもそもうんこに意味なんか見出そうとする奴がおかしい。2レスも続いてるから、誤爆ではないのだろうし、
このスレに書かれてるってことは、俺に対して批判的に書かれたものなんだろうとそう思うから、言うけど、
大体のこの世の中、俺にとっては、衝突しようとすら思えないような、うんこみたいな存在ばかりなんだよ。
で、「大体この世の中俺にとっては、衝突しようとすら思えないような、うんこみたいな存在ばかりだよ。」
と言うのは、主体的な価値判断だよね。俺は今君の必要に思っていることをしているし公にもしている(糞
>>75 逆に弱点になりやすいのは、認め合おうとする、或いは認め合おうとしない、その二つの間に何があるか、
個人的な分析がされやすい、ってことだと思うんだけどな。「する・しない」の例があれば、傾向は掴めるし、
まぁ「あるなしクイズ」みたいなもんだよね。で、君が分析的に語ってるヲタクっていう人たちのことだけど、
彼らは価値判断を下していると思うし、そもそも、身に現れる行動って、判断に付随しているんだと思うよ。
というか、価値判断を下すのには価値基準が必要で、価値基準の形成に、多くの知識との衝突が
必要だと言うのは分かるけど、心理学の分野ではそれは21歳までにおおよそ修了するって言われてる。
子供じゃないんだし、「新しい見方を探す」とか、「新しい知識」とか言うの、やめようよ。
この板の話を、卑怯でないやり方で単刀直入にさせてもらうと、俺が進んで関わろうとしない人たちについて、
俺はまぁまず間違いなく全員うんこだと思ってるよ。もちろん既知の範囲でだけど。ただ例外というのもあって、
関わらないけど、しっかりスレなんか見させて貰ってるっていうのが、隣のキング君。彼のことは凄く好き。
>>74-75の君の話に基づいて、もう少し書いてみようか。既に、この2つか3つ前の書き込みの中で、
「身に現れる行動は、大方判断に基づいている」と言ったけど、それは自分の今の生活を省みてということ。
ヲタクの彼らが価値判断を下していると俺が思うのは、実際に自分で価値判断を下しながら生活していると
思っている俺自身の個人的な分析から、それを基に、彼らに対して分析をしてみてのことだ。
ヲタクにシンパシーなんか感じないし、言うなれば、この板の連中のように、「うんこ」みたいな存在だと、
俺はそう思っているから、自分の価値判断と、「ヲタク連中」とを衝突させて疲れようだなんて思えない。
だからつまらない分析というか、ふざけた言及程度で終わってしまってそこから先へは行かないのだけど、
ただ、至極適当だと言えども、彼らに対するその分析を、実際にここにこうして書いてみようしているのは、
俺自身の「判断」以外の何でもない。
>>74-79の書き込みなんて、読んだって書いたって、ちっとも面白くなんかないだろ?こういうことばかり
やってる2ちゃんねらーに、「個人的な価値判断に基づいて判断を」だの、「その基準を公に」だのって、
言われること自体が、少々癇に障った。
俺は他人と衝突するのなんてもう懲り懲りだと思う。たった一人で、自分の愛する人たちについても、
「他人と分かり合おうと努力してきた自分は、こうして今孤独でいる自分。愛する彼らは、愛する彼ら。
今頃どこかで、俺のことなど頭の片隅にも置かずに、お互い分かり合えたようなつもりになって、
心安らかに抱き合っている。人は全て個人であって、絶対に分かり合えたりなんかしない」だなんて
考えながらこの先ずっと生き続けなきゃならないくらいなら、他人のその価値基準との衝突を生む、
自分自身の勝手な価値基準と、その前に、露見を恐れて逃避する自分の恐れを結果的に誘発する、
他の価値判断との衝突ってやつを、自身の生活能力の限り避ける努力をし、或いはおよそ全て放棄し、
その後、自身の価値基準を、愛する人たちの価値基準に、出来る限り似せることに尽力していこう、
言わば、単純で、つまり「多くと同じような程度に」複雑な人たちの内の中から、俺を孤独にしておかない、
俺に興味を持っていてくれる、「愛すべき人達」にだけは、媚を売って生きていこうと、そう思っている。
価値基準を捨てたところで、「そんなもの無しでも生きていこう」という判断だけは、携えていられる。
うんこみたいな人達のことはほんとどうでもいいや。俺は、女の子が好き。ネックレスを作ってくれた
あの娘のことも好きだし、一昨日帽子を拾ってくれてそれから知り合った女の子のことも好きだし、
昨日の帰りの電車の中で俺にサボらずちゃんと学校に来て欲しいって言ったあの娘のことも好きだし、
声を掛ければ明け方までお酒とその後にセックスの相手をしてくれる女の子達のことも好きだ。
愛するって概念が日本には元来ありえず、
明治の間に入ってきた西洋文学からの借り物であって
決して東洋人の思想に男女間もしくは友人や肉親との愛はないと、
伊藤整が言ってました。
キリスト教的な神、自然よりは人間の抽象概念に潜む
そういった存在を見いださない限り
愛もまた存在し得ないものなのだろうか。
無条件で、自己犠牲的な。
俺はむしろ原始的な日本人の素朴な真心のなかに
あったそれが、歴史の狭間で、権力の出現とその興亡の狭間で、
そして近代的な生産力の向上とともに
消え失せていったように思える。
要するに現代人は愛を無くしていると。
代わりに消費主義の盾代わりとなる
欲望が代価してんじゃねえかな。
しかもみんなそれに気づかずに生活してさ。
セカチューを観てなんの疑念もわかずにさ。
気づいたら気づいたで、
どうせニヒリズムに陥るケースばっかだし。
っといった具合に。
ヒゲの伸びが早くなったような気がする。付け髭をしてみたことがあるけど、あまり似合ってなかった。
なんか鬱陶しい。手袋が欲しい。あそこの店のショーウィンドウの人形にはめられてるやつ。凄く欲しい。
>>83 この世界は、Bさんを妻に持つA氏と、A氏を夫に持つBさんが、AB夫妻と共に現れることの無い世界だ。
東洋人である俺と、東洋人である君は、一緒に街を闊歩できるけど、その隣に「東洋人一般」という概念を
歩かせることはできない。「東洋人の思想に愛の概念が無い」に対しては、僕の中に在る「愛」というのは、
種類こそ似ていども、そのどちらかは、間違いでなければならん。そして僕は君より僕が好きだ。
>>83 欲望と愛って、矛盾しないし、関わりの浅いものだと思うな。セックスはしてくれるけど愛しちゃくれない、
そんな女の子を、捜してごらんよ。それから、君を愛してくれるし、セックスもしてくれるっていう女の子。
セックスはしてくれないけど君を愛してくれる女性、なんていうのは、まず間違いなく知ってるよね。