「当時時のキティに対する社会通念等(焦っているようですねw)」や「家を守る」という件に関して。
おそらく肛門クンのこの辺のレスを読んだ人のなかには、
「おや?ポンチは正しいことを言っている?」「ひょっとすると、肛門の論のほうが正しい?」
と思った方もいるかと思います。
そしてその一方で「でも何か引っかかるな」と考えた人も。
実は「気違い」に対する周囲の人間の考え方とか、「家」に対する意識といった部分は、
細かい部分はともかくとして、肛門クンは大枠ではそれほど間違ったことは言っていないのですよ。
だからその部分については俺も追及はしていませんし、「正しい」と思った人がいるのは当然というわけです。
ただし正しいのは、あくまで「一般論としては」ですがね。
肛門クンの論考をよく読むと、その一般論から「それゆえ獄門島では」という具合に
一足飛びに結論に持っていっていることがわかります。
つまり「別の要素は考えられないのか?」「一般論はそうだが、この場合もそれが当てはまるのか?」
というようなたぐいの試行錯誤を一切していないのです。
都合のいい事実だけを並べ立て、何の説明もなく「だから」「つまり」という形で結論を導き出す。
その事象に対してあまり詳しくなかったり、流し読みをしている人は、
ついつい初めに並べられた事実を見て正しいと考えてしまい、「ならば結論も」と思ってしまいがちです。
こういう手法は、一部の「プロパガンダ」やいわゆる「トンデモ科学」等によく見られるものですが、
実は肛門クンの「論考」にはこの手の論理展開がもの凄く多いのです。
でも客観的事実と手前勝手な結論がまったく噛み合っていませんから、他の人が見ると違和感を感じのです。
次に「話し合い」や「説得」について。
肛門クンは再三この点に触れていますね。
おそらく自分で「素晴らしい理論だ」などと思っているのでしょうが、これが実は大きな勘違い。
三人娘には話し合いが通じないキチガイだから殺した?話し合いができる状態ならば殺人は怒らなかった?
何を馬鹿なことを言っているのでしょうね。
三人娘が異常でも、話し合いは出来るでしょうが。
その周囲の人間同士ならば。
殺人という悲劇を避けうる話し合いには、本人達が参加している必然性は全くありません。
彼女たちの周りの人間が合議し、月代に本鬼頭の息のかかった男性を婿にとらせて実権を与えるなり、
後見人を立てて娘たちの暴走を止めるようにするなど、いくらでも話し合う余地はありますよねえ。
本人達が異論をとなえたらどうする?押し込めるという手がありますよ。
そんな乱暴な、と言いたくなるかもしれませんが、殺してしまうよりはましでしょう。
はい、三人娘が正常ではない場合でも立派に「話し合いの可能性」がありますね。
> 話し合いの可能性があるとした場合には、ストーリー展開等が非常に不自然なもの
> となり「獄門島」という作品は成立し得ないと言い得る。
つまり肛門クンにとっては、「獄門島」という作品は成立していないというわけですね。
今後この点について肛門クンが反論したいというのであれば、どうぞご自由に。
その反論そのものが、君の「論考」の首を絞める結果になりますからねw
ではどうして三人娘は殺されたのか、犯人の動機は?
簡単なことですよ。
原作に書かれた通りであることに何の問題もないのですから、当然(888のメール欄)ということになります。
キチガイだから殺されたと考えると(894のメール欄)が矛盾しますものね。
それだったら(メール欄)ためにも殺人は犯すはずですが、それは犯人が明確に否定していますしね。
ならば当然、犯人の「殺しても惜しくない云々」という言葉は、何度も言うように「自己弁護」でしょう。
ということで
肛門クンに対する「論考」批判・終了