よくわかんないけどおじゃましました
音楽評論家聖人高本秀行先生の輝かしいプロフィール
音楽評論家、吹奏楽団アドバイザ、慈善活動家
1959年生まれ
1961年2歳にして「南無妙法蓮華経」を唱え、周囲を驚愕させる。
1978年埼玉県立浦和高等学校卒業
1982年埼玉大学教養学部を抜群の成績で卒業
味の素株式会社に入社し、将来を嘱望されていたが、音楽活動
に専心するため、社内の反対を振り切り、惜しまれつつ退社。
現在、音楽評論家、吹奏楽団アドバイザ、情報化推進アドバイザ。
日本と世界の音楽界の一層の発展のため、寸暇を惜しんで、音楽活動
などに専念されておられる。
特技 :誠実な評論活動、寸暇を惜しみ、精力的に活動、また慈善活動家としても
知られ、全国の養護施設や老人ホームを慰問されておられる。
特記事項:極めて優秀。心優しく、誠実な人柄は多くの人に親しまれている。いまだ
かつて、人を憎んだことがなく、全ての人を受け入れ、許す・・・、高本氏
のこうした人柄をさしていつからか、氏のことを「聖人」と呼ぶようになった。
高本氏の音楽活動、慈善活動には、常に大きな愛がある。これは氏のサイトを
見た人なら、誰もが同意するであろう。
業績 :広範な評論活動により、日本音楽界を世界に認知させたことであろう。高本氏は
現存する音楽家としては、海外においてもっとも良く知られた音楽家であり、氏
の評論は、日本だけでなく、世界的にも大きな影響力をもつ。特に高本氏のサイト
「デイリー」の充実な音楽論は、世界の多くの音楽家に巨大な影響を与えている。
現在でも、高本秀行氏の見解を知るために、国内のみならず、海外からも高本氏
訪ねる音楽家、音楽ファンは後を絶たない。
趣味 :人助けをすること。人の喜ぶ顔をみるのが好き。
尊敬する人物:ベートーベン、ショパン、カラヤン
座右の銘:正義は必ず勝つ、清く正しく美しく
高本秀行先生の素晴らしいお話 その1
41 :寺崎和仁 ◆NDdpO4guCY :03/10/12 12:56
数日前、知人から次のような話を聞きましたが、10月5日、
高本先生は北海道のある老人ホームを慰問されたそうです。
玄関前には入所者、職員総出で先生を迎えられ、大いに歓迎
されたそうです。
高本先生は入所者を前に、次のようなお話をされました。
「みなさんの多年に渡るご苦労の結果、今日のわが国の繁栄が
齎されたのだと、私は認識致しております。私は若輩者では
ございますけれども、本日はわが国の音楽界の現状と課題に
つきまして、簡単ではございますけれどもお話させていただき
まして、合わせて皆様方と共に楽しいひと時を過ごさせていた
だきたい、とかように考えております。本日はわずかな時間
ではありますけれども、何卒よろしくお願い申し上げます。」
高本秀行先生の素晴らしいお話 その2
42 :寺崎和仁 ◆NDdpO4guCY :03/10/12 13:02
続いて、高本先生のお話がありました。内容としては、日本の音楽界の
現状と今後の課題について、先生ご自身のサイトからの引用も含めつつ、
お話があり、次いで、入所者全員と職員とで歌を歌われました。
小さい秋見つけた、もみじ、荒城の月、母さんの歌、ふるさと、などで、
とくに「ふるさと」の時は、涙ぐむ人もいたそうです。
最後に高本先生は入所者一人一人にお声をおかけになり、中には感動の
あまり高本先生の胸に顔を埋めて泣くおばあさんもおり、高本先生の
自愛にみちたお人柄に、見守っていた多くの人も貰い泣きしたそうです。
わずか数時間のご滞在だったそうですが、入所者、職員の間には、ただただ
高本秀行先生の愛が満ち溢れていたそうです。
高本秀行先生の素晴らしいお話 その3
245 :田淵智房 ◆dSKYn6eIsc :03/09/24 14:02
22日のことですが、私は高本先生とご一緒に、九州地方の養護施設を訪問させていただきました。
子供たちが総出で先生を迎えられ、先生も優しく微笑んでおられました。
ちょうどお昼時でしたから、先生と私、そして子供たちと一緒にカレーを作って食べました。
先生自ら包丁を握られ、ジャガイモの皮をお剥きになるなど、子供たちとご一緒に楽しんで
おられました。
246 :田淵智房 ◆dSKYn6eIsc :03/09/24 14:06
昼食後、園内の木々に鳥の巣箱を取り付けられたり、と片時も休むことなく
動かれ、私も「少しお休みになられた方が、よろしいのではないですか」と
差し出がましくご忠告申し上げましたが、「田淵君、子供たちも笑顔をみたまえ、
休んでなんかいられないよ」とお答えになられました。
午後3時頃でしょうか。巣箱の取り付けを終えられた先生は、子供たちの質問攻めに
あわれました。子供たちの無邪気な問いかけに、高本先生は嫌な顔など微塵もされず、
一つ一つ丁寧にお答えになっていらっしゃいました。
高本秀行先生の素晴らしいお話 その4
247 :田淵智房 ◆dSKYn6eIsc :03/09/24 14:17
夜に入り、キャンプファイヤーが始まりました。中央の火を囲んで、「小さい秋みつけた」や
「エーデルワイス」、「一週間」などを子供たちと一緒になって歌われました。このあと、
豚汁をみんなで食したあと、フォークダンスを踊られました。先生と一緒に踊りながら、高本先生の
子供のような無邪気な微笑みに、私もとても楽しく、先生にご一緒させていただいて、本当によかった
と心から思ったものでした。
最後に全員で「ジェンカ」を踊り、キャンプファイヤーは終焉の時を迎えたのです。
ところが子供たちは先生のそばから離れようとしません。なかには泣き出す子もいました。
高本先生は、その子のそばへ行かれ、そっと頭を撫でられ、こうおっしゃいました。
「泣くんじゃない、男の子は泣いたらいけないよ。あの炎を御覧なさい、真っ赤に燃える
あの炎のように、逞しくならなければいけないよ。私はずっと君のそばにいます。私の心
はいつまでも君と一緒だよ。だから泣くんじゃない、わかったね」と。
高本先生のそのお言葉に接し、強い感動に全身を揺さぶられるような気がしました。
「高本秀行は聖人だ・・・!」
私は心の中で絶叫しました。
高本秀行先生の素晴らしいお話 その5
249 :田淵智房 ◆dSKYn6eIsc :03/09/24 14:22
高本先生のお言葉を聞いた子供たちや、付き添いの先生たちはみな、高本先生のまわりに
集まってきました。先生は一人一人にお言葉をおかけになり、励ましのお言葉を贈っていらっしゃいました。
帰途、先生と私は海へ行きました。
高本先生と二人っきりになった私は、先生に問い掛けました。
「先生、あなたはどうしてこれほどまでに、人にたいして寛容なのですか・・・。
せめて諸岡などには厳しく接していただかないと・・・」
高本先生は私の言葉を遮り、次のようにおっしゃいました。
251 :田淵智房 ◆dSKYn6eIsc :03/09/24 14:27
「田淵君、私は諸岡くんを許してあげるつもりだ。彼はね、本当に可哀想な人なんだよ。
音楽家を目指して努力していたが、才能に恵まれないのだろう、最近は自暴自棄になって
いるようだ。私は諸岡くんを救いたいのだ。だから君も、諸岡なんて、呼び捨てにしては
いけないよ。諸岡くんを愛してあげよう。同じ人間じゃないか」と。
私は、呆然と聞いていました。どうすればこれほどまでに人に対して優しくなれるのか、
まさに高本先生は聖人以外のなにものでもない。わたしは深い感動でただただ無言で震える
だけでした。
良スレですね。高本さんの素晴らしさがあらためて実感できますよね。
高本さんほど、誤解されすぎている人はいないですよね。