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たとえば「レッド・ツェッペリンII」を愛聴していた人が
「レッド・ツェッペリンIII」を聴くとアコースティック・ギター
ばかりが活躍するそのB面に失望したものだ。しかしパープルの
場合「イン・ロック」でファンになった人が「ファイアボール」を
すっ飛ばして「マシン・ヘッド」を聴けば、ますますファンになる
だろうし、順当に「ファイアボール」を手に入れても失望すること
はないだろうと思う。しかし落とし穴は、この先にあるのだ。
「ライブ・イン・ジャパン」を聴いて初めてファンになった若い人
が、今のパープル最新作「紫の聖戦」を聞いたらどのように感じる
だろうか?はっきりいって失望するだろう。しかしこれは決して、
出来の悪いアルバムだからではない。そこに「ライブ・イン・ジャ
パン」と同じような迸るエネルギーが介在しないからなのである。
それに対し「レッド・ツェッペリンIV」で初めてファンになった人が
「カバーデル・ペイジ」(その逆も可)を聴いてもそれなりに納得
出来るだろう。つまり決定的な違いは、若かりし頃出来るだけの
エネルギーを使ってギターを弾き、それを自らのスタイルとした
リッチーが歳をとって円熟した様を、ファンは素直に受け入れる
事が出来ない。一方、若い頃から爆発的なエネルギーとは無縁の
ジミー・ペイジは、いつまでたってもジミー・ペイジで居られる
のだ。
冗談じゃない!もしこれが本当の答えならば僕を含む多くの人が
パープルに費やした青春は無駄だったということになってしまう
ではないか。そんなの心情的に許せない!!そう考えていた所に
タイムリーに、このアルバムが登場する。
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