…伏見区自然公園、深草ふれあいの森。此の場所は今、そう呼ばれている。
嘗て此処は、「いなり、こんこん、恋いろは」の聖地だった。
地元住民は其のマイナスイメージを嫌がった。
其処で政府は対策として、名前を変えることにした。
萌えのイメージが定着したその名前を、もっと馴染みやすい名前に変えたのだ。
深草ふれあいの森。申し訳程度に遊歩道を整備し、周辺区画を開発もした。
御得意の胡麻化しだ。陰惨なものの名前を、口当たりの良いものに変える。
彼等はそうやって、何もかもを胡麻化してきた。自らの都合のいいように。
今でも此処はヲタ達が聖地巡礼をしている。政府も地元住民も、最早此の土地を見捨てた。
廃墟と化した神社を抜け、誰も居ない「ふれあいの森」から奥地に入り、人々は此の神社で萌える。
年に2回、初冬と初夏に、政府がゴミを回収する。だが引き取り手は殆ど見付からないという。
引き取り手が居ない場合、其の儘焼却処分される。
私は其れ等を政府のサイトに公開し、光を当てる可きだと提案した事が在るが、議論する迄も無く却下された。
プライバシーの問題で、本人の権利を侵害して仕舞うらしい。個人名等を伏せるとしても、矢張り駄目だという。
光を当てずに、どんな権利を保障するというのか?彼等の足跡さえ葬って、他に何を認めようというのか?
そう、結局は何も認めてはいないのだ。只…只、捨てられていくだけなのだ。
声は、確かに此処に在る。
だからこそ、私は拾い上げていこうと思う。此の声を。
此れは、聖地に出逢う旅だ。社会が聞き届けようとせず、
或いは黙殺して捨てようとする声を、私が拾い上げ、光を当てる。
私は第17代おけいはんとして、此の活動に強い使命を感じている。
此の世界が今どのような姿に成って居るのか。其れを人々に伝える為の、私なりの方法なのだ。
私が、私なりに出来ること。私だからこそ、出来ること。
2050年5月2日、日本、京都府伏見区、稲荷大社にて記録する。
第17代おけいはん 浅葱けい子
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