【業界】奥谷海人のAccess Accepted第273回「ゲームは芸術なのか?芸術になり得るのか?」[08/09]

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1甘味処「冷奴」φ ★
 欧米ゲーム業界で時々聞かれるのが,「ゲームは芸術なのか? そうでないとしたら,芸術になり得るのか?」という話である。
ゲームがアートなのかどうかの議論は,何も今に始まったことではなく,ずいぶん前から開発者の間で論争が交わされてきた。
 ゲームがアートであるかないかは,我々エンドユーザーにとって,あまり重要な問題ではないが,
アーティストの社会的地位が高い欧米においては,それを気にするデベロッパも多いようだ。
もっとも,「芸術的な」映画や小説がしばしば退屈であることを考えると,アートじゃないほうがいいと思うゲーマーが多いかもしれない。

 主観で恐縮だが,アーティスティックなゲームとして最初に認知されたのは,おそらく1993年に発売されたアドベンチャー「Myst」だろう。
当時の New York Timesは,「ゲームがアートとして発展していく可能性を見せてくれたタイトル」と評していたようだが,
その評論には明確に「ゲームはアートではない」という前提があり,それが当時の一般的な認識だった。
 ちなみに,Mystを制作したロン・ミラー(Ron Miller)氏は,筆者のインタビューに答えて
「自分はゲームデザイナーであり,アーティストだとは思っていない。せいぜいが,アルティザン(職人)だろう」と語ったのを,
もう10年以上前の話だが,今でも覚えている。

 こうした議論で思い出すのが,世界的な映画評論家であるロジャー・エバート(Roger Ebert)氏だ。
以前から「ゲームは芸術ではない」と発言していたエバート氏だが,2007年に急にその意見を撤回し
「何でもアートになり得る。たとえ(アンディ・ウォーホルの絵画で有名な)キャンベルのスープ缶だってね。
 だから私は,ゲームは“ハイアート”(高級芸術)にはなり得ないと言うべきだった」と語り,さらに物議をかもしている。

 この発言は,ゲーム業界とハリウッドの連携を図る目的で開催されたカンファレンス,
「Hollywood and Games Summit」において行われたものだ。
カンファレンスの基調講演に登壇した小説家/映画監督のクライヴ・バーカー(Clive Baker)氏が,
エバート氏が行った「ゲームはアートではない」という意見に反論したことに対し,エバート氏が反論で返したのである。

 映画「ヘルレイザー」などが有名なバーカー氏だが,
2001年にはElectronic Artsから,「Clive Barker's Undying」というホラーゲームを出している。
 「遊ぶ側に何かしらの感情を抱かせられるなら,それはアートと呼べるのではないだろうか?」というバーカー氏に対し,エバート氏は
「数年前に病気で声が出なくなり大きなショックを受けたが,それをアートと呼ぶことはできない。
 アートとは,受け取る側に,避けてはとおれない結末を強要するもので,いくつもの選択肢を与えるものではないのだ」と反論。
ゲームと芸術を,きっぱり分けたのである。

 エバート氏は,プレイヤーが結末をコントロールできることに加え,
敵を撃つ行為を繰り返すこと,ひたすらトレジャーハントを続けること,という要素を挙げ,
これらが芸術性の向上に関係があるとは思えず,ゲームはよりスポーツに近いのではないか,としている。
 さらに,バーカー氏の「そもそも芸術とは何か?については一生かかっても議論し尽くせない」という意見に同調しつつも,
「キャンベルのスープ缶が芸術なのではなく,ウォーホル氏が描き上げたスープ缶が芸術になったのだ。
 ウォーホル氏は,Clive Barker's Undyingを芸術かと思ったかな? まあ,そう思った可能性もあるね。
 でも,たぶん彼はラップをはがさず,そのままずっと飾っていただろうけど」と付け加えている。

ソース 4Gamer.net 2010/08/09 12:08
http://www.4gamer.net/games/036/G003691/20100806089/

続きます
2甘味処「冷奴」φ ★:2010/08/09(月) 21:44:52 ID:???
>>1の続き

 こうしてゲーマーやゲーム業界の反感を買ったエバート氏だが,
個人的には「敵を撃ったり,トレジャーハントをするだけ」という彼のゲーム像は,ちょっと古いような気がする。
 もっとも,いわゆる古典的芸術においては,ほとんどの場合,
受け手の感情を作者/アーティストが完全にコントロールすることで芸術として成立しているのに対して,
それをプレイヤー側に委ねるゲームは芸術たり得ないとする彼の主張にも一理あるのかもしれない。

 そんなエバート氏に対し,公の場で久々に反論を行なったのが,
「flOw」などで知られるデベロッパ,thatgamecompanyのケリー・サンティアゴ(Kellee Santiago)氏だ。
 2009年3月,サンティアゴ氏は南カリフォルニア大学で開催された討論イベントで
「Video Games are Art. So What’s Next?」と題された基調講演を行なっており,のちにYouTubeなどでも公開されている。
壇上,彼女は「Waco Resurrection」「Braid」,そしてthatgamecompanyの「flower」といった作品名を挙げ,
「単純な初期の映画が,やがて芸術として認知されたように,ゲームも進化している。
 現在のゲームは,我々の感情にインパクトを与えているのだ」と語った。

 これに対して2010年7月,エバート氏は反論を加えており,
「ゲームには(他の芸術にはない)ルールがあり,目的があり,結果がある。
 サンティアゴ氏なら,ルールや目的がないのに感情移入できるゲームを挙げて来るだろうが,
 それはもはやゲームではなく,小説や劇,ダンスや映画をゲームという媒体を使って表現しているに過ぎない」としている。
 さらに
「彼女が例として挙げた3つのゲームは実に痛々しく,何の希望も見えない。
 何度も言うが,いやしくも批評家なら,ゲームを偉大な詩人,映画監督,小説家の作品と比較する者はいない」
と,いささか感情的になっているようだ。

 最近では,映画「プリンス・オブ・ペルシャ 忘却の砂」の監督を務めたイギリス出身のマイク・ニューウェル監督も
ゲームがアートではないとする陣営に加わっており,
エバート氏に同意するような発言をアメリカのゲーム情報サイト,CVGとのインタビューの中で行っている。
 インタビュー記事によれば,ニューウェル監督は「14歳の息子がゲームをしているが,しばらく会話したあとで銃を乱射するばかり。
そのようなものは到底受け入れられない。もっと人間としての複雑さが描かれるべきだろう」と語り,
表現媒体としてのゲームに関心がないと打ち明けているのだ。

 こうした議論がぎこちなく繰り返される理由として,エバート氏にせよ,サンティアゴ氏にせよ,あるいはニューウェル氏にせよ,
それぞれ独自に芸術とゲームを定義していることが挙げられる。
「そもそも芸術とは何か?」という部分が未定義,というか「一生かかっても議論し切れない」(バーカー氏)ものである以上,
端から見ると際限ない水かけ論のようなものになってしまうのは仕方ない話でもあるのだ。
 技術の進歩が著しい分野であり,ゲームの概念が短時間でどんどん変わっていくことも,議論の混乱に拍車をかける理由の一つになっているだろう。

 Microsoftは,Xboxの発売準備を進めているとき,デベロッパに対して,
「ゲームはアートであり,Xboxはそのカンバスとなる」という趣旨のキャンペーンを進めたことがあるが,
これに対しては,賛同する開発者も多かったものの,同時に反対の声も少なくなかった。
もちろん,ゲームハードのメーカーに「あなた達は芸術家」といわれても,いささか困惑してしまうのは仕方ないが,
ともあれ,開発者の間でも意見は割れているのだ。
 ジャズ,映画,アメコミなど,かつては「通俗的」で「芸術ではない」とされていたジャンルが,現在ではアートとして社会的に認知されている。
ゲームに関しても,こうした議論が繰り返されることで,やがてコンセンサスが形成されていくのだろう。

ここまで
3なまえないよぉ〜:2010/08/09(月) 21:51:49 ID:FgPbIDZu
芸術的なゲームは作ろうと思えば作れるかもしれないけど
それは多分面白くないだろうな。
4なまえないよぉ〜:2010/08/09(月) 21:52:25 ID:/VZ1DI6H
読む気にもならない。
長くて。くだらなくて。
5ベジータ ◆miyaBI/38w @ベジータφ ★:2010/08/09(月) 21:54:06 ID:???
うむ
6なまえないよぉ〜:2010/08/09(月) 22:04:44 ID:HyisqAJ+
芸術の定義なんて腐るほどあるからなぁ
辞書にのってるような定義でいってもゲームは芸術と強弁できないこともないだろうし
どうでもいいわ
7なまえないよぉ〜:2010/08/09(月) 22:06:42 ID:lvZm7IwO
作者でも客でも批評家でもいいが誰かが「これはアート」と言ったらアートになる
芸術なんてそんなもの
8なまえないよぉ〜:2010/08/09(月) 23:53:32 ID:DefpYuY0
BLゲーはゲイ術
9なまえないよぉ〜:2010/08/10(火) 01:19:25 ID:qdtIXrl5
模造紙を壁に無造作に貼っただけで、アートだと主張する。
10なまえないよぉ〜:2010/08/10(火) 03:39:59 ID:TR3HPk7o
投機で競り落とせた物が芸術
どの様に競り落とすのか?が芸術学(学問)

TVゲームは出回りすぎて希少価値皆無
ダイヤと同じ事をされてもplayerとしては困るが
11なまえないよぉ〜:2010/08/10(火) 03:48:04 ID:x928tstH
ゲーム批判する人間ってみんな同じような紋切り型批判ばっかりだよな。
プレイする方からしたら芸術だろうとなかろうと自分にあったゲームがあれば嬉しいんだけど、
敵を撃つゲームばかりとか、アイテム集めばかりとか、そういう批判はもう腹いっぱい。
で、その手の批判がうまくいかないと、今度はクソみたいな屁理屈しか出せなくなってきてね。
プレイしたこともない洋ゲーを批判する奴らとかも全く同じで見てて痛々しい。
12なまえないよぉ〜:2010/08/10(火) 11:44:23 ID:1Ep7OFMF
ゲームに対して芸術「的」だな、と感じる事はたまにあるが、
芸術そのものは求めてないよ。


13なまえないよぉ〜
頭悪すぎてドン引きするような議論

17cの美術史家だって、もうちょっとマシな議論してるぞ
もっと言えば、紀元前のアリストテレスの芸術論>>>>こいつら