【映画】「大きな物語の喪失」を「知らんがな、そんなの!」で飛び越えろ 「劇場版 交響詩篇エウレカセブン」京田監督インタビュー2

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3あやめφ ★
■ 自分のノウハウを解体する

京田 それを乗り越えようともがいているうちに、気がつくと今回の劇場版「エウレカ」では、
今まで僕自身が作ってきた演出家としてのノウハウとかロジックをどんどん壊していくことに
なってしまったんです。

僕は今年、演出歴10年目になるんですけど、5年くらい前とかTVシリーズの「エウレカ」を
始めたころの自分だったら、今回の絵コンテにNGを出したと思うんですよ。

できたフィルムをカットごとに見ちゃうと、結構つじつまが合わないところができていたりしてね。
カットのアングルとか、タイミングとかも含めて、特にアングルとかカットの切り取り方が
すごく甘いんです。カットの繋ぎ方や話の持っていき方も、たぶん5年前の自分だったら
あり得ない。

―― それはどうしてそうなったんですか?

京田 物語を経験則やノウハウによってコントロールすればするほど、つまらなくなっていって
しまったからなんです。

「こういう話の流れになっているから、次のシーンではこう展開させるとストーリーがうまく繋がるな」
……と頭で考えてやっていくと、なぜだかつまらなくなってしまって。

それで、もう時間的に切羽詰まってギリギリになって追い込まれた、っていうのもあるんですけれど
……普通、絵コンテというのは、最初にどんなカットの繋ぎにするかという構想をラフで描いて、
その後に清書をするものなんですが、予定調和…というか、単に「お上手」っていうだけの、
フィルムの中に人間が生きていないものにしかなっていない気がしたんです。だからもう
ラストのほうは「送り描き」ですよね。1コマ1コマを清書まで描いてしまうという。そして次のコマで、
「さて次に何をしようか……」、と悩む(笑)。

―― それはまた大変な作り方を……。

京田 そうしたら、予想外のところに話が転がっていって、そっちのほうが面白かった。

行き当たりばったりのような作り方をしたら、物語が後半に行くに従って、キャラクターたちが
勝手に感情を持って動き始めたんです。そしてある種の熱狂みたいなものも出てきたんです、
僕自身にも。

―― フィルムの作り方も、感情を優先したところがあったのですね。

京田 そうですね(笑)。いろいろと試行錯誤した末に感情を優先して。それがかえって面白い
フィルムになった。

あとは、物語の中に「ブラックボックス」を作ろうと思いました。
物語の中で、主人公たちの思い通りには行かないような、不確定な存在を入れたんです。

■ ブラックボックスを自ら置いた

京田 ニルヴァーシュという人型機動マシンがいるのですが、TVシリーズでは単なるロボット
だったんですね。劇場版では、レントンたちの相棒として、小さなかわいい生き物として登場する。
で、このニルヴァーシュは基本的に何も考えてないんです。レントンのことを考えているようで、
実はあんまり考えていない。途中で違うことに興味が移っちゃって、そっちの方に行っちゃったりね(笑)。
レントンがこうしなきゃいけないと思っているときに、勝手にちょっと脇道にそれてしまう。
するとそこで物語の本筋や、レントンがこうしたいという意図と離れてしまう。

ニルヴァーシュというのは、菊千代みたいなもんなんですよ。「七人の侍」の。