新幹線の開通は車窓の眺めを一変させる。難所だった群馬・長野県境の碓氷峠も、
今や長大なトンネルを突っ走るのみ。長野新幹線開業から10年半。
廃止された信越線(横川―軽井沢間)が懐かしくなる。
“終点”となってしまったJR横川駅へ降り立つ。岩場がせり出す妙義山系の威容は不変で、
柔らかな新緑に包まれている。だが駅の端で断ち切られた鉄路は封印された歴史を物語る。
このままなら街は寂れそうだが、横川は違った。鉄道を観光資源にした町おこしに
成功したからだ。
子供の歓声にひかれて歩くと、駅の脇にある「碓氷峠鉄道文化むら」へ出た。
機関区跡を活用した、1999年開設のテーマパークだ。
休日とあって家族連れが次々と吸い込まれる。
「各地の施設を視察した結果、実際に車両が動かないと、いずれ客足が落ちると思った」
と碓氷峠交流記念財団理事長の白石敏行さん(66)。
英国製のミニSLなど、動く車両に乗れる仕掛けに重きを置いた。
熱心なファンには、在来線で列車の後押しや先導をする“シェルパ”として活躍した
EF63形電気機関車の運転体験が人気だ。本物の電気機関車が操縦できる施設は、
国内でも珍しい。「来場者は年20万人。500回以上運転体験した人もいます」と白石さん。
「文化むら」からは、急勾配の在来線跡をトロッコ列車が温泉施設「峠の湯」まで走る。
かつての峠越えの雰囲気が約2・6キロにわたって味わえる。同じ廃線を使う遊歩道
「アプトの道」を歩くと、展望デッキに子供らを満載した列車が、あえぐように登ってきた。
2001年に完成した遊歩道は「峠の湯」から先、急坂用のアプト式機関車が行き来した
旧線跡に入る。レンガ造りの古風なトンネル類は明治期の建造で、
旧丸山変電所などと共に国の重要文化財となっている。
芽吹いたばかりの若葉の下、連なるトンネルを踏破するのは何とも愉快だ。
壁面に染み付いた黒煙が往時の難所越えをしのばせる。冷風が吹きわたる
5番目のトンネルを抜けると、いきなり視界が開け、名所「めがね橋」の上に出た。
日本最大のレンガアーチ橋とされ、碓氷川にかかる四つの半円形が今も美しい。
高さ31メートルからの眺めは、山深さを一層実感させる。
安中市松井田支所商工観光係長の新井潤さん(51)は
「3年後には昔、駅があった熊の平まで遊歩道が伸びる予定です。
もう一度、観光列車を軽井沢まで走らせる案には課題が多くて……」と話す。
◎
横川名物といえば「峠の釜めし」。全国屈指の人気駅弁は今年、発売から半世紀を迎えた。
信州への特急列車が発着したころは、乗客がこの駅のホームで買いに急ぐのが風物詩だった。
「今は新幹線の車内やドライブインが中心で、年間400万個。
累計では1億4000万個以上、売れました」と、おぎのや広報部の保科充洋さん(26)。
鶏肉やゴボウ煮に、炊き込みご飯という組み合わせは、確かに飽きが来ない。
碓氷バイパスを走るバスで軽井沢へ登った。
浅間山の黒々とした地肌に横たわる残雪が、まばゆかった。
●あし JR東京駅から新幹線で高崎まで50分。JR信越線に乗り換え横川まで33分。
●問い合わせ 安中市松井田支所地域振興課商工観光係=(電)027・382・1111。
読売新聞
http://www.yomiuri.co.jp/tabi/domestic/japan/20080519tb02.htm?from=yoltop http://www.yomiuri.co.jp/tabi/photo/TB20080519123830751L0.jpg 碓氷峠鉄道文化むら
http://www.usuitouge.com/bunkamura/