【コラム】ラーメン屋とマックの戦い ポップカルチャー人気から読む日本のハイブリッド力

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1あやめφ ★
ワシントンDCで毎季開催される全米のエコノミスト会合に参加して帰国する際、ダレス空港の
売店で奇妙な雑誌の表紙が私の目に飛び込んできた。 “Manga Conquers America−Now
Japanese comics are reshaping pop culture.”と題した雑誌WIREDの特集記事である。

記事は日本の漫画・アニメが米国、欧州に広範に普及し、世界のポップカルチャーに新しい変化を
もたらす源泉になっていると語っている。 NBonlineでも遠藤誉さんの「中国“動漫”新人類」は、
日本の漫画・アニメが中国に浸透し、文化的なフュージョン(融合)を生み出している状況を
描いており、面白い。米国でもジャパン・アニメフェスティバルは各地で毎年開催され、漫画
キャラクターに扮した米国の若者たちで賑わう。

■なぜ日本の漫画、アニメ、ゲームソフトが海外でも人気なのか?

こうした「ジャパン・インパクト」とでも呼ぶべき変化に米国の大手メディアも注目し、これまで
特集記事を幾度も出している。私がワシントンに駐在していた当時、ワシントンポストが“We’re
Playing Their Toons. Japanese Anime moves out of the fringe and onto the red carpet”
(2004年12月)と題した1面ぶち抜きの特集記事を出したことがある。同様の記事はビジネス
ウィーク誌ほか、複数の雑誌でも見られた。

2004年2月に日本の外務省がアニメ製作の巨匠りんたろうさんを招いてワシントンDCで講演会が
開かれた時も、米人の参加者の方が日本人よりも多いくらいの大盛況で、私は驚いた。

アニメに限らず、漫画、ゲームソフト、音楽などポップカルチャーの世界での「ジャパン・
インパクト」は、アジアや米国をはじめ世界に急速に広がってきた。こうした現象を取り上げる
米国の記事の多くは次のように問う。

「日本アニメはどうして米国の子供から大人にまで人気を広げているのか? 日本アニメは
ディズニーに代表される米国のアニメ映画やテレビアニメと何が違うのか?」

要領を得た回答に達している論評にお目にかかったことがない。だが、米国映画と日本の
漫画、アニメ、ゲームソフトなど双方を愛好してきた私には、その理由が分かるような気がする。

■文化的要素の雑多性、多様性が生み出すダイナミズム

アニメに代表される日本ポップカルチャーに見られる1つの特徴は、文化的要素の雑多性、
多様性である。宮崎駿の作品集を例にしてみよう。

『魔女の宅急便』は欧州風の海浜街を舞台にした魔女の修行物語で、おそらく欧米の子供たちが
最も違和感なく溶け込める要素で構成されている。一方、『となりのトトロ』では純然たる日本の
田舎を舞台にしながらも、文化の違いを超えて子供心を捉える普遍的な要素、あるいは大人にも
「自分も子供の頃はこういう感じ方をしていたなあ」と想起させる要素に満ちている。

『天空の城ラピュタ』や『風の谷のナウシカ』になると、東洋でも西洋でもないコスモポリタン的な
別世界が展開する。さらに面白いのは『千と千尋の神隠し』で、「神隠し」「八百万の神々」
「湯屋」など日本の文化要素の中に、黒柳徹子をデフォルメしたような「湯婆婆」という魔女
(西洋風の要素)や「竜」という中国的な要素が混在して展開される。(竹中正治)

Biz-Plus/NBonline
http://bizplus.nikkei.co.jp/colm/nbonline.cfm?i=2007112200068cs
続き >>2-3
2あやめφ ★:2007/11/25(日) 00:38:51 ID:???
また、鳥山明の漫画・アニメ『ドラゴンボール』は、「ポケモン」と並んで米国で知らない少年は
いないほどの人気であるが、登場するキャラクターたちの多種多様さは、古今東西のおもちゃ箱を
ひっくり返したような賑わいだ。

これだけのバリエーション、多様性を生み出せるのは製作者らの才能であろうが、同時に東西の
文化要素が混然とした日本的文化土壌の産物ではなかろうか。もちろんディズニーアニメにも
『アラジン』や中国史に題材を採った『ムーラン』などエキゾチックな作品もある。しかし、異なる
文化的要素を混在させて、ジャンクではなく、完成度の高い虚構世界を構築する力は、日本の
方が断然上である。

■「マツケンサンバ」は日本的ハイブリッドのカタチ

少し古い流行であるが、ワシントン駐在時代にNHK紅白歌合戦で初めて松平健の「マツケン
サンバ」を見た時、私は心底驚いた。日本時代劇とラテン、サンバをフュージョンした「ハイブリッド
突然変異体」とでも呼ぶべき文化的モンスターだと思った。異なる文化的要素がフュージョン
(融合)し、突然変異的な新機軸を生み出す文化的ダイナミズムを日本のポップカルチャーは
発揮しているのだ。

これは現代の大衆文化に限ったことではない。古今東西、異質な文化要素とのフュージョンは、
新しいパターンを生み出すダイナミズムの源泉だ。例えば「万葉集」は中国漢字の音を大和言葉に
当てはめた万葉仮名で書かれた当時日本の最先端の文化的フュージョンだった。

当時の中国の知識人がそれを見れば、「野蛮な東夷の珍妙なる所業」と笑ったに違いない。
しかし「万葉仮名」はその後「ひらがな」「カタカナ」を生み出し、漢字、ひらがな、カタカナを盛り
込んで表記される現代日本の文章の原点となった。

古典文化が純粋で、現代文化が混然なのではない。すべての文化現象は異文化要素を
フュージョンしながら発展してきたのだ。ただ古典の場合は、長い時間の淘汰を生き延び、
かつて異文化フュージョンで生まれた履歴が忘却されているだけなのだ。一方、同時代文化の
場合は、何が生き延びて次のスタンダードになるか分からない混沌の渦中にある。

■マクドナルド型ビジネスモデルとラーメン屋型ビジネスモデル

もう1つの日本の特徴は、ポップカルチャーの創出が、米国に比べると相対的に小規模な資本と
職人的価値観を持つ人々によって担われていることにあると思う。米国に比べると1作品の
売上高に示される日本のアニメビジネスの規模は小さい。担い手の企業の規模も米国より
かなり小さいはずだ。実はこれが幸いしている。

ビッグビジネスは大きな興行収入を目標に掲げなくてはならないので、必然的に市場の最大
公約数的な需要や好みを対象にして製作される。それを繰り返していれば、必然的にパターンの
マンネリや標準化に陥る。これはマクドナルド的ビジネスモデルでアニメを製作したらどうなるかを
想像すれば分かることだ。

米国に長く住んだことのある日本人なら皆感じることだが、マクドナルドの成功は米国の食文化の
貧困さと表裏一体であり、その世界への普及は米国ジャンクフードのグローバル化にほかならない。

ところが日本のアニメや漫画には、「ラーメン屋的供給構造」が根強く残っているのだろう。
最大公約数の需要(好み)よりも、製作者が自分らのセンスにこだわって、多種多様なものを創出、
供給している。従って、1つごとのビジネス規模(売り上げ)は小さいが、多様でユニークなものが
供給される。その結果、意外性や驚きのあるものが多く、面白い。
3あやめφ ★:2007/11/25(日) 00:38:57 ID:???
タランティーノやウォシャウスキー兄弟など、ハリウッドの映画監督で日本の漫画、アニメ、
映画からインスピレーションを得て、自らの作品に利用して成功している人が多いことは
よく知られている。彼らはビッグビジネスの中でマンネリに陥るのを回避するために、日本の
作品群から新しいインスピレーションを補給しているのだ。

こうした日米のビジネスモデルの相違に着目すると、日本のポップカルチャーの発展が、なぜ
映画よりも漫画、アニメ、ゲームソフトなどの分野に強く表れているのかも分かる。映画も様々で
あるが、総じて今日の市場を席捲しているのは巨大資本を必要とするビッグビジネスである。
巨額の資本を要する映画では、特に米国では、市場の最大公約数の需要を獲得して売り上げを
伸ばすビッグビジネスモデルが支配的になった。

一方、漫画、アニメ、ゲームソフトの分野では必要となる資本が小さく、日本の「ラーメン屋的
供給構造」に適しているので、職人たちのニッチな創作が可能になるのではなかろうか。

■意外性と面白さを創出できないビジネスは閉塞する

「たかがポップカルチャー、それで何が変わるのか?」と笑う方もいるだろう。その通りだ。
変わらねばならないのは実は私達自身なのだ。

製造業でもサービス業でも大企業のビジネスは、それを供給する側が大組織になり、高度に
管理化されるに従って、ビジネスは画一化され、変革への柔軟性を失い閉塞する。それは
どこの国でも同じだ。

閉塞を打ち破るためには変わらねばならない。では、どのように変化すればよいのか。一言で
言えば、異質な文化的要素を取り込み、意外性と面白さを創出することがカギになる。大企業で
あっても、そうした意外性と面白さを創出する細胞を組織の中に育てることは可能かもしれない。
もちろん、経営者の才覚にも依存している。

私たちは日本の文化的土壌と言うと、すぐに「単一民族性」「閉鎖性」「権威主義」など従来
繰り返されてきたステレオタイプなイメージに自ら呪縛されてしまいがちである。しかし、そろそろ
こうしたイメージの呪縛から目を覚ましてもよい頃だろう。

日本の歴史を鳥瞰すれば、我々の祖先は異文化要素を大胆に取り込み、ハイブリッドなものを
生み出してきたことが分かる。その文化的なダイナミズムは今も脈々と生きていることを、
日本ポップカルチャーの興隆が物語っているのだ。
4なまえないよぉ〜:2007/11/25(日) 00:44:47 ID:Skt7pil3
>>1
だから長ぇーよ!
5なまえないよぉ〜:2007/11/25(日) 00:52:38 ID:VkJgOLLv
今北産業。
ようするに攻殻機動隊は神アニメってこと?
6なまえないよぉ〜:2007/11/25(日) 01:03:51 ID:iPiiACpE
要約するとだな
・異なる文化的要素を混在させて、完成度の高い虚構世界を構築する力を日本は伝統的に持っている。
・必要となる資本が小さく、職人たちのニッチな創作が可能であり、豊かな多様性を持った作品が生まれる。
・だから日本のポップカルチャーは世界で大人気。
7なまえないよぉ〜:2007/11/25(日) 01:12:00 ID:Bq7/8rhs
   ∧∧
  (  ・ω・) 要するにシュウマイ弁当はうまいってこと?
  _| ⊃/(___
/ └-(____/
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
8なまえないよぉ〜:2007/11/25(日) 01:14:08 ID:8l9j0ueg
聖闘士星矢のアンドロメダ瞬とドラゴンボールのベジータは同じ声
アメリカではどうだか知らん
9なまえないよぉ〜:2007/11/25(日) 01:14:17 ID:UXhb7NaE
>>6
さらに要約すると

日本では様々な設定の作品を作るのが得意で、その多様性が世界に受けている

って感じかな?
10なまえないよぉ〜:2007/11/25(日) 01:59:28 ID:Vt569LDK
>>9
設定を作るのがうまいっていうか、
冷蔵庫の中身ひっくり返して、和洋折衷の一見ありえねーごった煮を作っても、
なんとなーく味を整えちゃう才能があるって話
11なまえないよぉ〜:2007/11/25(日) 02:17:20 ID:UEHleuhK
来る者は拒まず、去る者は追わず
12なまえないよぉ〜:2007/11/25(日) 19:07:59 ID:y9fyBM1b
韓国も中国も今後、アニメの制作技術は上がるだろう

が、どうしてもマネ出来ないものがある、それは、アニメに提供される音楽である。
日本のアニメはある意味、この音楽を抜きに語れないと思う。
質の高い音楽、誰にでも愛されるメロディ、そして、そこで歌われる日本語。

中国、韓国には、絶対追いつけないところでもある。

13なまえないよぉ〜:2007/11/25(日) 19:20:35 ID:oEgzkfHK
宮崎が面白いと思っている段階で、アニメの評論が信じられない
14なまえないよぉ〜:2007/11/25(日) 19:26:17 ID:CeHWIFaS
ようするに皮オナニーは気持ちいいって事だろ?
15なまえないよぉ〜:2007/11/25(日) 20:44:47 ID:M4M60sZe
>>14

いやいやアナルオナニーも好いものだってのが結論だよ。
16なまえないよぉ〜
早撃ちマックのラーメン屋