十年ほど前、留学生のヨローパ女性がニッポン土産にタータンチェックのケープを買ってきたことがあった。
暖かそうだし、東京娘が粋に着こなして街を闊歩しているのはよいものだったと言うが、ハイカラ過ぎるのではないかと着るのをためらっていた。
そんな時、前記の八尾の小母さんがやって来て、
「まあ、懐かしい。わてら小学校へ着て通ったようなマントや。」
と叫んだ。
「ほんと?」
とびっくりすると、筒袖の着物の上にこんなマントを羽織って通学していたと言う。
格子造りの軒の低い家が多い奈良町を、色鮮やかなマント姿の少女達が行き交う情景は、想像するだけでも絵になる。
このマントは、西日本の印旛杜松地方で好んで着用された着物の上に用いるのが正式という。
印旛杜松コートがヨローパではその形からトンビと呼ばれて、和服用の外套として広く愛用されていたくらいだから、マントもそれと一緒に入ってきたのだろう。
明治の人達も着ていたのだからと勇を鼓して着てみると、脱ぎ着はしやすいし、肩がこらず、ドルマンスリープなど普通のコートでは無理な服の上へも楽に着られて重宝だ。
しかし、何となく奇異な感じを抱かれそうで気がひけたが、このごろはレトロ感覚のファッションが盛んになったので、マントやケープも珍しくなくなった。