■タレント(48歳)
■「走る男」上がって落ちて今
こんにちは、森脇健児です。
「まだおったんか」「こいつ誰やねん」。色んな声が聞こえてきそうですが、
最近は企業の社長さんらを対象に講演もしているんですよ。
題して「森脇健児の天国と地獄」とか「森脇健児の地獄からの脱出」とか。
僕の人生、上がって落ちて、今があるんです。
今は「走る」が新しい「芸」になりつつあり、各地のマラソンイベントに呼ばれたりしています。
枚方市に生まれ育って、小学生のときに学校で披露した歌手の西城秀樹さんのモノマネが
ウケたのをきっかけに芸人になろうと決めたんです。
高校は陸上の強豪校で知られる京都の洛南に行きました。
卒業までの日数を毎日数えるくらい練習はきつかったですけど、目標だったインターハイに出場しました。
努力は報われる、陸上競技は僕を裏切らないという原体験ですね。
高校2年の春休みに松竹芸能のオーディションを受けて合格。
卒業後、大学に通いながら漫談家の故若井はやと師匠の付き人をして、
当時道頓堀にあった浪花座などに出させてもらいました。
関西のテレビ番組で呼んでもらうようになると、次第に東京での仕事が増えて、
24歳のころ拠点を東京に移したんです。
ピークの時は、SMAPと共演した「夢がMORIMORI」(フジテレビ)などレギュラーの仕事が12本。
早送りしているみたいに忙しい毎日でした。
でも、ここは芸能界。潮がすーっと引いて行くように仕事が無くなりました。
スキャンダルも事件も事故も一切起こしてないんですけどね。
今振り返れば、勢いだけで、実力が足りなかったんです。
妻と幼い子ども2人を連れて30歳で関西に戻りました。
「帰れば仕事はあるやろう」って思ったけど甘かったです。レギュラーはラジオ1本だけという状況になりました。
イベントの司会などの仕事もありましたが暇で、体を動かすのが好きだったので走り始めました。
朝から京都競馬場に行って馬券を買わずに全レースを見て、
終わったら嵐山の家までの約20キロを走って帰る。そんな日が何日もありました。
(
>>2以降に続く)
ソースに画像多数
http://www.asahi.com/articles/ASH1V3GB4H1VPTIL00C.html ※前スレ
【芸能】森脇健児「潮がすーっと引いて行くように仕事が無くなりました。今振り返れば、実力が足りなかったんです」 [転載禁止]??2ch.net
http://hayabusa3.2ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1423808408/