◆J2第39節 福岡1―2松本(1日・レベルファイブスタジアム)
長野県初のJ1クラブが誕生した! 松本は後半12分にFW船山貴之(27)が先制ゴール。
同26分にはFW山本大貴(22)が追加点を決め、福岡を2―1で下した。3試合を残してJ1自動昇格となる2位以内が確定。
親会社を持たず地元市民の熱意で04年にプロを目指してから11年、悲願のJ1昇格を果たした。
「最高だぞ! 一生の仲間だ」。初のJ1昇格を決めると、故・松田直樹さんから背番号3を受け継いだDF田中がユニホームを脱ぎ捨て
「ありがとう 松田直樹」と書いた白いアンダーシャツを見せて、イレブンを呼び寄せた。
大号令とともに、天国の松田さんに届けとばかりに全員が天を指さした。松田さん、やったよ―。福岡の夜空に3度舞った反町康治監督(50)は
「非常に苦しかったけど、我々らしい試合ができた。アウェーにたくさんのサポーターが来てくれて力になった。これから恩返ししたい」と来季、J1への挑戦に思いをはせた。
「サッカー後進地域」と揶揄(やゆ)された土地からJ1に上り詰めた。1965年、JR松本駅前の喫茶店「山雅」に集まった選手たちが、前身の山雅SCを設立。
国体メンバーが集まるアマチュアチームの運命は02年の日韓W杯で一変した。「こんなに素晴らしいスタジアムがあるのに、なぜプロのクラブがないんだ」。
松本市で合宿したパラグアイ代表の世界的GKチラベルトが、収容2万人の競技場・アルウィンを見て発したひと言が市民の地元愛を刺激した。
「Jを目指したい」という地元の思いを受け止めたのは、酒店を営む若き経営者だった。
現社長の大月弘士氏(49)を中心に04年、NPO法人アルウィン・スポーツプロジェクトが発足し、Jへの一歩を踏み出した。
理事長を務めた八木誠・現取締役は「何もない中で4、5人で(チーム立ち上げの業務を)手分けした」。
赤字を出しても補填(ほてん)してくれる親会社はない。自腹を切って運営に没頭した。
専用グラウンドを持たず、練習は夜の小学校のグラウンドを転々とした。スタッフが自家用車を運転し、遠征に出かけた。
選手はクレープ店などでアルバイトをしながら生計を立てた。
苦しさに耐えられたのは「3、4人でもサポーターに夢を与えて途中で逃げるわけにはいかない」という思いから。
チームが本格始動した05年には、八木自ら天皇杯予選でゴール裏で旗を振って人を集めた。北信越リーグ時代は5人だった応援団は一気に1200人に増えた。
サポーターと選手が松本駅前で告知のティッシュを配り、少しずつ認知度を高めた。
東京からは特急で3時間という地理的に恵まれない信州に、地域のシンボルが誕生した。
11年には元日本代表DF松田直樹さんが練習中に亡くなる悲劇も経験しながら、サポーターは増え続けた。
新参者でも温かく仲間に迎え入れる土地柄が「Jリーグで最も熱い」と言われる集団に成長した理由。
今季はホーム平均1万2000人を動員し、J2平均の約2倍に達した。チーム創設から来年で50年。プロを目指して11年。
合言葉は「何年でJ1に上がる」ではなく「アルウィンを満員にする」だった。J1という日本サッカーの最高峰まで導くことで、その思いを松本山雅は形にした。
http://www.hochi.co.jp/soccer/national/20141101-OHT1T50187.html 【サッカー】J1昇格を決めた松本山雅、人口24万人の松本市 ルーツは喫茶店 半世紀を経て、J1の舞台(c)2ch.net
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