実は痛いサッカーU−16代表の敗退
[2014年9月18日21時50分]
20年東京五輪に暗雲−。
思わずそう嘆きたくなるような試合だった。
タイで行われているサッカーのU−16アジア選手権、日本は準々決勝で韓国に0−2と完敗。
FW李承佑に2ゴールを奪われ、力の差を見せつけられた。
試合前「日本には軽く勝てる」と言い放った李は、バルセロナのユースチームで得点を量産するストライカー。
日本の4選手を振り切って決めた2点目後の「ドヤ顔」は、うなだれるDF陣と対照的に自信に満ちあふれていた。
これで、来年チリで行われるU−17W杯出場も逃した。
過去4大会連続出場を続けていたが、今回はベスト8止まりで、アジアの4枠に入れなかった。
まだ16歳以下の大会ということもあって、日本ではそれほど大きなニュースにならなかったが、6年後の東京五輪を考えると敗退は深刻。
視察から帰国した日本協会の原博実専務理事は「この世代の強化を図りたい」と話していた。
五輪男子サッカーに「23歳以下」の出場制限がついたのは92年バルセロナ大会から。
かつては「プロのW杯、アマチュアの五輪」だったが、五輪がプロ選手の出場を容認し、この図式が崩れた。
国際サッカー連盟(FIFA)が、W杯との競合を避けるために年齢制限を採用。
国際オリンピック委員会(IOC)は反発したが、五輪で最大の「観客動員力」を誇る競技だけに受け入れざるをえなかった。
以来、U−20W杯、U−17W杯は、五輪を目指すチームの「前哨戦」として大きな意味を果たすことになる。
日本が初めてU−17W杯に出場したのは93年の日本開催だった。
開催国枠で出場し、ベスト8に進出。
このメンバーが翌年のアジア選手権を突破し、95年のU−20W杯に出場する。
79年に開催国として初出場して以来、初めて予選を通過しての出場だった。
2つの世代別W杯出場が日本の「経験」となり、96年アトランタ五輪出場を果たす。
銅メダルに輝いた68年メキシコ大会以来、実に28年ぶりの五輪出場。
この大会の1次リーグでブラジルから歴史的勝利をあげた日本は、その2年後にW杯初出場。
U−17、U−20で踏んだステップが、着実に上の世代につながった。
95年のU−17W杯に初めてアジア予選を突破して出場した選手たちは、99年にナイジェリアで行われたU−20W杯で準優勝。
00年シドニー五輪8強を経て、02年W杯で初の決勝トーナメント進出を果たす。
これもU−17が上の世代につながった好例だ。
もちろん、多くの選手は入れ替わるし、世代別代表を経験していないA代表選手もいる。
しかし、世界大会の経験は同じ世代にも伝わる。
今回のU−17W杯予選敗退で、東京五輪世代は「U−17の経験なし」で五輪本番を迎えなければならない。
16年リオデジャネイロ五輪世代となるU−21日本代表は今、韓国・仁川で行われているアジア大会に出場中。
この1つ下の世代は来月、ミャンマーでのU−19アジア選手権で来年のU−20W杯(ニュージーランド)出場を目指す。
20年東京五輪の主力となる選手たちのU−20W杯は17年に韓国で行われる。
その予選を兼ねるU−19アジア選手権は16年。
ここで世界に出られないようだと、東京五輪はますます厳しくなる。
http://www.nikkansports.com/sports/column/oggi/news/f-cl-tp0-20140918-1368957.html