サッカー日本代表を復活させるには、まず「思い」を断て!
DAILY NOBORDER 6月30日(月)10時2分配信
日本代表チームが我々の代表であるかぎり、日本代表チームの敗北は、また、我々の敗北でもあるはずだ。
もちろん彼らが「我々以上の力」を発揮して、素晴らしいプレイをブラジルの地で見せてくれるのが、いちばん望ましい日本代表チームの姿と言える。
たとえば、フィギュアスケートの日本代表選手である浅田真央が、ソチ五輪で見せてくれた活躍のように……。
スポーツの素晴らしさ、スポーツが多くの人々をを感動させるのは、優勝や順位ではないのだから……。
「我々の代表」たるサッカーの日本代表チームは、残念ながら「我々以上の力」を発揮してはくれなかった。
我々の暮らす日本社会……世界の中で物質的豊かさに恵まれた社会にありがちな「精神的弱さ」を露呈してしまった。
そのことについては、広瀬一郎氏が、犀利な考察とともに述べたので繰り返さないが、
彼の触れなかった点――すなわち、メディアの使った言葉の「意味のなさ」について書いておきたい。
「絶対に負けられない闘い」などという空疎な言葉については、もはや批判する気にもなれないし、
その言葉が単なる視聴率獲得用の煽り文句であることくらい、誰もが心得ていると思えるので、取りあげる必要はないだろう。
もちろん「絶対に負けられない」などと言いながら、負けてしまった結果、その言葉を使ったメディアが、
次に何の行動も起こさなかった――その言葉が裏切られたことに対する、その言葉に見合った責任の追及を行わなかったことは、
やはり咎められるべきことで、「絶対に負けられない」などという言葉を、言葉の使用に敏感であるべきメディアは、
軽々しく使うべきでない、ということは言っておきたい。
が、それ以上に問題だったのは、対コロンビア戦の試合中にアナウンサーが何度か口にした「勝利に対する強い思い」という言葉である。
「思い」などという、どうとでも取れる曖昧なボンヤリした感情を示す言葉は、「強い」などという形容詞を付けたところで、
全然「強く」ならない。
これほど「強さ」のない弱々しい不明瞭な言葉もあるまい。
どうして「勝利に対する強い意志」とか「餓え」「渇望」「執念」「執着」……という言葉を使わないのか!? いや、使えないのか!?
「思い」などという言葉を使っている限り、日本人はそれほど勝利を望んでいないのだ、ということを言葉で証明しているようなものだ
(成田に帰国した日本代表チームを、温かく迎えた人々の様子を見ると、なるほどこの国の社会は、
W杯での勝利にそれほど執着していなかったのだなあ……とも思えるが……)。
日本代表の不様な闘いぷりに対する批判も、きちんと行わないといけないが、メディアが日本代表を勝利へと導きたいと思うのなら、
まず「隗より初めよ」。
おのれの言葉遣いから糺すべきだろう。
玉木 正之
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140630-00010000-noborder-socc