【サッカー/Jリーグ】「勝ち負けよりもクラブの存続」という苦悩・・・ガイナーレ鳥取、強小軍団が直面する昇格3年目の危機
それでも前半、風上に立った鳥取は、相手との戦力差を感じさせないほど積極果敢な攻撃を見せた。ロングボールを多用しながら、
セカンドボールを拾いまくるシンプルな戦い方が奏功し、相手陣内でプレーする時間帯が思いのほか長く続く。時おり相手のパスワーク
による崩しに押し戻されることもあったが、ディフェンス陣が集中を切らさずに対応したため、前半の相手のシュートは2本に抑えることが
できた。ただし、いくら試合の主導権を握っていても、バイタル付近での連係とフィニッシュに精度が足りていないため、鳥取からゴール
のにおいはほとんど感じられない。それでも前半41分、ペナルティーエリア手前でFKのチャンスを得ると、林堂眞のキックが見事に
決まり、最下位の鳥取が先制するという意外な展開で前半は終了した。
後半の立ち上がりも、鳥取のペースがしばらく続いた。後半14分、左サイドでのスローインによるリスタートからチャンスを作り、
最後は廣田隆治が右足の鋭い振りでミドルシュートを狙う。しかし、無情にもポスト左を直撃。そこから神戸は一気にカウンターを
仕掛け、森岡亮太のドリブルから途中出場の田代有三へラストパスが通る。田代は鳥取の守護神、小針清允の飛び出しを冷静
に読んで、無人のゴールに流し込んだ。鳥取にしてみれば、追加点のチャンスから同点に追いつかれる、まさに悪夢のような展開。
この田代のゴールによって、試合の流れは一気に神戸に傾く。それは両チームの選手たちの表情やプレーにも色濃く現れていた。
神戸の選手たちが「いつでも逆転できる」と自信満々なのに対し、鳥取の選手たちは「このまま、また負けてしまうのか」という疑心と
焦燥ばかりが感じられる。案の定、同点ゴールからわずか7分後に、神戸はFKのチャンスから田代が空中戦に競り勝ち、最後は
岩波拓也が頭で決めて逆転に成功。その後は「1点リードで十分」とばかりに守りを固めた神戸に、鳥取の攻撃はなすすべなく
はじき返され、1?2でタイムアップ。終了のホイッスルと同時に、がっくりと肩を落とす選手たちの姿を見て、鳥取の状況が予想
していた以上に深刻であることをあらためて痛感した。
「勝ち負けよりもクラブの存続」という苦悩
今回、私が鳥取を訪れたのは、実に3年ぶりのことであった。最後に当地を訪れたのは2010年11月28日、JFL最終節の対FC
琉球戦である。この年、松田岳夫監督に率いられ、首位を独走中だった鳥取は、念願のJ2昇格の条件をすべてクリアし、10シーズン
にわたって過ごしたJFLを晴れて卒業することとなった(編注:前身のSC鳥取時代を含む)。
当時のJFLは、J2昇格を目指す準加盟クラブには「4位以内の成績」が求められており、08年と09年のシーズンで、いずれもあと
一歩のところで昇格を逃し続けてきた鳥取は、「5位ナーレ」という有り難くない呼ばれ方をされていた。鳥取が「強小元年」というクラブ
スローガンを打ち出したのは、その前年の09年のこと。小さいけれど強い、すなわち「強小」。身の丈経営の中で、最大限の力を発揮
しようとするコンセプトは、1年遅れにはなったものの、翌10年には見事に結実することとなった。だが、続く11年からスタートするJ2で
の戦いにおいて、クラブ関係者もサポーターも、小さな地方クラブゆえの困難と苦難を嫌というほど思い知らされることとなる。
「JFLで優勝した年の売上が3億円くらい。で、J2初年度(11年)が6億円くらいで3600万円の黒字でした。鳥取市だけで試合をした
初めてのシーズンでしたが、それでも観客は微増でしたね。スポンサー(収入)も、JFL時代の1億3000万円から1億9000万円まで
伸びたし、入場料収入も9600万円で前年の2倍。ただし2年目はきつくて、胸スポンサーさんが撤退したり、観客数が減ったりして
600万円の赤字でした」
そう語るのは、ガイナーレ鳥取を運営するSC鳥取の代表取締役社長、塚野真樹である。「Jリーグ初の元Jリーガー社長」として脚光
を浴びた塚野だが、今ではすっかり社長然とした雰囲気を漂わせ、こちらの質問に対して即座に具体的な数字を返してくる。Jリーグ3年目
となる今季は、新たな胸スポンサーも決まり、観客数も平均で4200人以上、伸び率は3割を超えているという。「あと1000万円から2000
万円(売上を)伸ばしたら黒字」というから、ホームタウンの規模と立地を考えたら大健闘と言えよう。
問題は成績面だ。「絶対残留」という新たな目標を掲げた今季終盤、J1昇格プレーオフをめぐる盛り上がりとは遠く離れた場所で、鳥取は
粛々と連敗街道をひた走っている(編注:その後、11月17日の第41節で、今季最下位が確定)。シーズン途中で監督交代を決断したこと
について、今はどう考えているのだろうか。塚野は「うーん、難しい質問ですねえ」と一言置いてから、クラブのトップとしての苦しい胸の内を
語った。
「クラブOBの小村さんにチームを率いてもらおうとスタートして、シーズン序盤はうまくいっていたんですが、その後どうしても立て直さな
ければという決断を下さなければなりませんでした。その点については、自分の決定責任を感じています。ただ今年に限った話ではないの
ですが、ウチの場合はチームを強くすることのほかに、経営環境や経営資源なども把握している、マネジャーとしての能力も監督には求め
られるんですよね。クラブライセンス制度が導入され、環境が変わった中で『強小』を目指すウチとしては、もちろん勝ち負けも大切ですけど、
それ以上にクラブを存続させていかなければならない。そんな中、今の前田監督はよくやってくれていると思っています」
守護神・小針が語る「勝てない要因」
勝ち負けよりも、まずはクラブの存続。いささか誤解を招くかもしれないが、塚野の言葉にはJ2の地方小クラブに共通する苦悩が痛いほど
感じられる。とはいえ、最下位から脱するための有効な手立てが見当たらないのは、フロントのみならず選手やサポーターにとっても辛い
ことだ。では、7月からずっと未勝利の状態が続いている今季の状況について、選手はどのように感じているのであろうか。クラブ事務所の
会議室に通されて、待つこと10数分。ドレッドヘアをなびかせて190センチ近い大男が入ってきた。鳥取の守護神、小針清允である。あいさつ
もそこそこに、まずは先日の神戸戦を振り返ってもらった。
「自分たちがやろうとしていることは、やれている感じはあったし、手応えもありました。(1点リードで迎えた)ハーフタイムでは、前半やれた
ことはやれていると確認しつつ、後半の入りもしっかりやろうという話をしていたんです。ただ(廣田のシュートがポストを直撃した)あの瞬間、
実は嫌な予感がありました。そう思っていたら、その通りになって(苦笑)。今季は多いんですよ、そういうのが」
いささか自嘲気味に語る小針だが、2つの失点を喫してしまったものの、後半には少なくとも2度のファインセーブを見せている。神戸との
戦力差を考えるなら、むしろ「よくぞ2点で抑えた」と言ってもよいだろう。プロ18年目の36歳。J1からJFLまで3つのカテゴリーで、さまざま
なクラブを渡り歩きながらゴールマウスを守り続けてきた、その経験値はやはり伊達ではない。だからこそ、失点してからのチームの極端な
バイオリズムの低下も、小針には手に取るように把握できていた。
「失点した時、個々の選手は『まだまだいける』と思っていても、チーム全体でガクっとダメージがくる感じなんですよね。あの時点で、まだ
30分以上の時間があったのに、ですよ。つまり、トータル90分での1試合でとらえるのでなく、直近の1失点でダメージを受けてしまう。
(なかなか勝てない要因は)そこにあると思います。試合後の雰囲気は、もちろん重苦しかったですよ。それでも、何とか前向きに切り替え
ていこうという話は、選手同士でしていましたね」
小針のフットボーラーとしてのキャリアは、まさに「正GKの座」を巡る闘争の歴史そのものである。読売ユースから1996年にトップチーム
に昇格したものの、この時のヴェルディ川崎(現東京ヴェルディ)の守護神は菊池新吉と本並健治であったため、5シーズンで4試合の出場
機会にとどまった。その後、01年に神戸への移籍を志願するも、ここでも出番に恵まれずに翌02年にベガルタ仙台へ。高桑大二朗という
良きライバルにも恵まれ、正GKの座を確保した時代もあったが、最終的には林卓人にその座を譲ることとなった。08年からは、当時JFL
だった栃木SCに移籍し、J2昇格に大きく貢献するものの、クラブが若返りの方針を打ち出したため、09年オフに戦力外となった。
「で、その年のトライアルで声をかけてくれたのが、鳥取のGMだった竹鼻(快)さんでした。『ウチは2年連続でJ2昇格を逃しているので、
センターラインの陣容をしっかりしたものにしたい。他のポジションについては、ある程度は固まっている。GKのポジションで、ガイナーレで
昇格のために戦ってくれないか』というようなことを言われました」
ちなみに「他のポジション」とは、MFの服部年宏と美尾敦、DFの喜多靖、内間安路など、まさに「強小軍団」と言える面々だ。GMの竹鼻は、
当時34歳。大卒プロパーで入ったベルマーレ平塚(現湘南ベルマーレ)で、フットボールクラブに関するさまざまな役職のノウハウを学び、07年
に「何もない土地でイチからJクラブを立ち上げる仕事がしたい」と、それまで縁もゆかりもなかった鳥取に身を投じることになる。その後、鳥取を
J2のクラブに押し上げて以降は、東北リーグ1部だった福島ユナイテッドFCのクラブダイレクターに転じ、JFL昇格に尽力した。あくまで個人的
な見解だが、現場もマネジメントも両方を見ることができる竹鼻が、もしあのまま鳥取のGMにとどまっていたら、今季の戦いはこれほど苦しい
ものにならなかったように思う。余談ながら、服部や美尾といった当時の主力は、竹鼻がいなくなってから次々と鳥取を離れてしまった。
話を小針に戻す。プレーヤーとして、再びJFLでプレーすることについては、やはり若干のためらいはあったと打ち明ける。しかもクラブの
ホームタウンは鳥取。東京育ちの当人にとっては「砂丘以外に何も思い浮かばない」土地であった。幸い、家族も一緒に来てくれることに同意
してくれた。もちろん生活に不便を感じることも少なくないが、生活環境の近くに海も山も川もあり、食べ物も水もおいしいので子供たちを育てる
上では申し分ない。地元の人々も排他的かと思ったら、実に親しみを込めて声をかけてくれる。気が付けば、鳥取という小さな街を、心から愛して
いる自分に気がついたという。
今から20年前の1993年、日本で開催されたU?17世界選手権(現U?17ワールドカップ)出場経験がある小針も、そのキャリアの最後を
鳥取で迎えようとしている。プロ人生で初めて、3ケタの出場数を刻んだクラブは、しかし今、泥沼の連敗街道から脱出できずにもがき続けている。
「落ちることに対してのプレッシャーより、落としてはいけないという責任感のほうが今は強いですね」と語る小針。残留争いは03年の仙台でも
経験済みだが(結果としてJ2降格)、J2からの降格の危機というのはベテランの彼にとっても未体験ゾーンだ。最後に、今のチームに最も必要
なものは何か、問うてみる。しばらくの沈黙ののち、鳥取の守護神は自らに言い聞かせるように、こう語った。
「すごくシンプルですけど、勝利に対する貪欲さ。勝てていないからこそ、そういうメンタル面での貪欲さが必要だと思います。もちろん相手の状況
もあると思いますが、まずは自分たちがやり切ることが大前提。その中で、何が自分にできるか。どうチームに貢献できるのかを考えていきたいです」
(了)
ほーんで?
地方にチームを持たす権限をもっと厳しくしろや
長いけど
結局は経営だから
フロントが駄目なだけ
大学生に馬鹿にされるクラブはちょっと