【サッカー/Jリーグ】ヴァンフォーレ甲府、海野会長の苦闘…政争に巻き込まれクラブハウス・練習場建設に15年かかる

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1真・ソニック ◆zRjjuglb6U @S_SONICφ ★
15年かけて手に入れた念願の練習施設 奇跡の甲府再建・海野一幸会長 第6回

念願のクラブハウスと練習場が完成

 季節外れの厳しい暑さの中、ヴァンフォーレ甲府の会長、海野一幸は胸の震えを隠せなかった。
笑顔がはじけている。クラブが優先使用できるクラブハウスと芝のピッチが韮崎中央公園(韮崎市)
に完成し、10月6日、照りつける太陽のもと、竣工式が行われた。それは真の拠点を手に入れた
クラブと関係者が大願の成就を祝うセレモニーだった。

 総工費は1億2200万円。スポーツ振興くじ(toto)からの助成のほか、韮崎市、山梨県、甲府市
から支援を受け、自己資金も加え夢がかなった。竣工式のあいさつに立った海野は「サッカーの
まち・韮崎にプロチームの拠点があって良かったな、当時の関係者は本当に良いことをしたなと
末代まで思われるように、我々はチームづくり、クラブづくりを進めていきます」と深い謝意と恩返し
の決意を口にした。

「考えてみると、いろいろ遠回りをしたもんですよ。ここまでが長かった」と海野は述懐する。2001年の
社長就任当初、チームが置かれた劣悪な環境にあぜんとしたという。特定の練習場を持たないため、
韮崎市、甲府市などの公営グラウンドやテルモ、NTTなど企業の施設を借りて、チームは転々とした。
明日、どこで練習するかが、ぎりぎりまで決まらない日もあった。グラウンドを確保できたとしても、
シャワーも更衣室もないところがほとんどで、選手たちは濡れたタオルで体をぬぐい、プロだというの
に自分の車の中や、青空のもとで着替えた。

http://sportsnavi.yahoo.co.jp/sports/soccer/jleague/2013/columndtl/201310280004-spnavi
念願であった「韮崎クラブハウス」竣工式テープカットの様子【写真:ヴァンフォーレ甲府】
http://sports.yimg.jp/im_siggHf8LfvJ9RlMp1BOD.GECpQ---x490-y490/text/images/spnavi/20131028/201310280004-spnavi_2013102800013_view.jpg
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(続きは>>2-10
2名無しさん@恐縮です:2013/11/03(日) 15:59:04.12 ID:HVLqcZS8O
2ゲットン☆
3真・ソニック ◆zRjjuglb6U @S_SONICφ ★:2013/11/03(日) 15:59:28.16 ID:???0
プロなのにグラウンドの確保に奔走する日々

 01年からマネジャーを務める鶴田好樹は日々、グラウンドの確保に奔走した。グラウンドがどうしても取れず、ゲリラ的に荒川の河川敷の
空き地を使ったこともあるという。 「GKだけは芝生で練習したいというので、小瀬スポーツ公園(甲府市)の中にある芝生の広場でやったこと
もあった。もちろんゴールはないんですけどね。本当はやってはいけない場所なので、見つかったら逃げようということにして」

 雨が降ると使わせてもらえないグラウンドが多い。鶴田は天気が崩れそうになると、前の晩から気になって仕方がなかった。
「そういうときは朝4時、5時に目が覚めてしまって、雨が降っていると、朝から電話を掛けまくって使える施設を探した」
 どうしても施設が見つからず、海野に相談し、その母校の一宮西小や一宮中学(ともに笛吹市)を使わせてもらった
こともある。プロが河川敷の空き地や小中学校で練習するしかなかったというのだから、何とも哀れだ。当然、プロの
練習場のように整備された施設はほとんどなく、グラウンドはでこぼこだった。それでも選手たちはその環境を受け入れ、
元日本代表FW・小倉隆史のようなスター選手でも不平は口にしなかったという。

 練習場はほとんど毎日、変わる。その日になってから、鶴田が電話の連絡網を使って練習場所を選手に伝えることもあった。携帯電話の
普及していなかった時代のことだから、今のように一斉メールで伝えることなどできなかった。プロだからといって、優先的にグラウンドを借り
られるわけではない。まだ、クラブの認知度が低く、その価値が理解されていなかったからだろう。クラブの顔はまったく利かなかった。
快く貸してもらうため、鶴田は日ごろから関係者のもとに足を運んで、いい関係をつくろうとした。
 拠点が定まっていない悲しさで、毎日、ボールをはじめ、アイスボックス、マッサージ用のベッドなどの用具を
軽トラックで運ぶ必要があった。練習着は2着ずつ選手に渡しておいて、洗濯は自分でしてもらった。ウェアは
メーカーから提供されたものだが、サイズによっては足りないものがあり、ある強豪チームのおさがりだとしか
思えなかったという。鶴田は「あんなに劣悪な練習環境だったのに、よくJ2入りが承認されたものだと思いますよ」と笑う。
4真・ソニック ◆zRjjuglb6U @S_SONICφ ★:2013/11/03(日) 15:59:54.95 ID:???0
まず先にジュニアユースの練習施設を確保

 いくら選手たちが、その劣悪な環境に耐え、黙々と練習に励んでいるといっても、そのままではクラブに未来がない。
明るい未来を切り開くにはクラブの拠点がほしい。海野はそう考え、練習場にできる土地はないかと、暇さえあれば車で
遊休地や廃校の跡などを見て回った。

 まず進めたのは、ジュニアユースの練習施設の確保だった。海野の社長就任当初、ジュニアユースは甲府城西高
や甲府東高など高校のグラウンドを借りて練習を重ねていた。高校のサッカー部の練習が終わるのを待たなければ
ならず、練習開始は午後8時をゆうに過ぎた。

 ある日、海野は釜無川(かまなしがわ)の河川敷(南アルプス市)に土のグラウンドがあり、地元の人がたまにサッカー
をしているのに目を付けた。国土交通省から南アルプス市が借り、さらに山梨県サッカー協会が借りている土地だった。
ここを練習場にできないかと思ったが、防球ネットと照明施設が必要になる。国交省の出先事務所に相談すると、大雨
で冠水したときに流される恐れがあるため、普通のネットや照明灯はつけられないという。そこで防球ネットは巻き上げ式
、照明灯は寝かせられるものとするという条件で整備の許可をもらった。3000万円の整備費はクラブが負担し、
アカデミー(育成組織)の練習場を確保することができた。後に人工芝も張り、すぐ隣の遊休地にクラブハウスも建てている。

政争に巻き込まれトップチームの拠点づくりが難航

しかし、肝心のトップチームの拠点づくりはスムーズに進まなかった。地元の政治が複雑に絡み、話は曲折した。クラブが
自前で施設を整備する財力を持ち合わせておらず、自治体の力を借りざるをえないがゆえに、手間がかかった。ちょうど
そのころ、日本サッカー協会(JFA)が02年ワールドカップ(W杯)日韓大会で出た7億円の余剰金のうち、3億5000万円
をスポーツ環境整備モデル事業に回す制度を整えていた。審査を通れば、総事業費の3分の2を補助してもらえる。この
助成を見逃す手はなかった。
5真・ソニック ◆zRjjuglb6U @S_SONICφ ★:2013/11/03(日) 16:00:29.69 ID:???0
 もちろん、それ以前に土地を確保しなければ何も始まらない。最初に候補に挙がったのは小瀬競技場に近い笛吹市
石和町富士見地区の農地だった。海野は、高校の同級生の荻野正直(まさなお)町長に話を持ちかけると、甲府市の
ゴミ処理場の煙害対策のための補助金に余剰があるので、それを投じてスポーツ施設を整備しようということになった。
海野はJFAから助成を受けるための申請の準備を始めた。ところが思わぬ横やりが入った。町議会内から反対の声が
挙がり、JFAも「反対があるところに助成しない」と計画はあっさり頓挫した。つまらぬ政争に巻き込まれた感があるが、
クラブの存在意義がまだ地元で理解されていなかったということでもある。

 しばらくすると、今度は中巨摩郡(なかこまぐん)昭和町の佐野精一町長から防災事業の補助金でスポーツ公園
(押原公園)をつくるという話が持ち込まれた。ピッチ2面とクラブハウスを整備し、「甲府に優先使用してもらう」という。
話は順調に進み、当時Jリーグ理事だった海野の強い働きかけもあり、JFAから2億800万円の助成を受け、06年
6月着工、07年3月完成という計画が立った。

 しかし、またも政治の力に泣かされる。町長選挙で佐野・前町長の後継候補が敗れると、新町長が事業の規模縮小
を含めた見直しを訴えたため、工事は止まった。公園の利用方法などについて「パブリックコメント制度」を使って町民
の意見を聞いた結果、「ピッチは甲府の優先使用ではなく週2日」となった。しかも使用料は減免されない。他の施設
ではアマ規定の料金で済んでいるのに、プロ規定の高額料金を払うことになった。海野は「クラブの努力でJFAから
補助金を引っ張ってきているのに、非常にシビアな対応をされた」と今でも不満を口にする。
6真・ソニック ◆zRjjuglb6U @S_SONICφ ★:2013/11/03(日) 16:00:40.63 ID:???0
韮崎市と思惑が一致した中央公園の再整備

 もっと自由に使える施設が必要だった。海野は次に山梨大学医学部のグラウンド(中央市)に目を向け、前田秀一郎
学長らに「クラブが山梨一の芝にするし、管理もする」と再整備を訴えた。ここの小児科病棟には慰問で訪れたこともあり、
前田学長や島田眞路病院長らは極めて協力的だった。クラブは7000万円を投じ、ピッチの整備に加えて、防球ネット、
自動散水機、更衣室、シャワー室を備えたプレハブ小屋を整え、大学に寄贈した。その代わり、週4日、年に160日以上
を甲府が優先使用できるようにした。08年4月にできた昭和町の押原公園は週2日、10年3月に完成した山梨大医大部
グラウンドは週4日使える。2つの練習場がそろったが、依然として芝の養生期間にはあちこちを転々とした。

 そこで海野はチームがJ2で快進撃を続けた昨年、韮崎市の横内公明(こうめい)市長に「もう一つ拠点がほしい」と
懇願した。韮崎市に数あるグランドの中でも、中央公園の芝生広場は林に囲まれた環境が素晴らしかった。海野は
「totoの助成を受けて、芝生広場を小瀬競技場や山梨大学医学部と同じ質の高いピッチにし、管理棟をクラブハウス
に建て替えましょう」と持ちかけた。

 韮崎市は10年から「サッカーのまちプロジェクト」を展開中で、甲府からはゼネラルマネジャー(GM)の佐久間悟が
プロジェクトのメンバーに加わり、普及・強化の面で手を貸していた。地元のプロクラブをサッカーのまちのシンボルと
して活用したい韮崎市と、拠点がほしい甲府の思惑は一致。山梨県の横内正明(しょうめい)知事の後押しもあり、
中央公園の施設の再整備が急ピッチで進んだ。
7真・ソニック ◆zRjjuglb6U @S_SONICφ ★:2013/11/03(日) 16:00:52.42 ID:???0
otoの助成金をJクラブは受けることができない!?

 完成した2階建てのクラブハウスには広々としたロッカールーム、浴槽付きのシャワールーム、監督室やウエイ
トトレーニングルームがそろい、隣の芝のピッチを臨む展望デッキが張り出している。

 竣工式の後、関係者に施設を案内した海野は、クラブが初めて整えた監督室で足を止め、思い出話を口にした。
かつて甲府を率いた大木武が清水エスパルスの監督に就任後、海野はそのクラブハウスを訪れたことがある。
大木に与えられていた部屋に案内され、「こういうゆったりとした監督室をいつかウチの監督にもつくってあげたい」
と思い描いたという。その夢もついに実現した。元高校の学生寮を自力で修繕し、山梨県から借りていた選手寮も
買い上げた。J2加入から15年目で、ハード面の整備をほぼ終えたいま、海野はこう話す。

「私の知る限り、ほとんどのJクラブは、親会社や地元自治体の大きな力を借りて練習環境を整備している。
クラブが自前で土地を買い、グラウンドをつくるのは容易ではない」
 そういう環境下でtotoの助成は大きな支えになる。しかし、その助成金は地方公共団体かスポーツ団体が
対象となり、株式会社であるJクラブは直接的に助成を受けることはできない。そこで海野は問題提起する。

「totoはJリーグの公式試合を対象に行っている。ならばその対象者であるJクラブに助成していいのではないか」

 これまでの甲府のように、アカデミーも含めた練習環境の充実という点で壁にぶち当たっている小クラブが
J2を中心にいまだ少なくない。その窮状を知るからこそ、海野は黙っていられない。

(了)
8名無しさん@恐縮です:2013/11/03(日) 16:00:54.30 ID:m4V3sn+q0
この社長ほしい><
9名無しさん@恐縮です:2013/11/03(日) 16:02:12.70 ID:GHBPXsL30
川崎のプレハブクラハの写真↓
10名無しさん@恐縮です:2013/11/03(日) 16:02:19.62 ID:D2dvFctV0
鳥栖とどっちが悲惨?