>>1【山田暢久伝説2】
・実は小学生の時に世界一になってる
・中学、高校では日本一に・さらにプロ選手になりJリーグ、ナビスコカップ、天皇杯と国内タイトルをすべて取ってる
・ACLで優勝しアジアNo.1に
・でも決勝戦は怪我で出場できず、優勝カップ掲げるのを嫌がる
・珍しく怪我なんてするから心配していたら精悍になっていた
・スローイン成功率はJリーグ屈指
・高校時代、県選抜中に藤枝東組で抜け出して焼肉を食べに行き叱られる
・車で帰省して練習当日に帰ってくるつもりが間に合わなくて、風邪引いたことにしてズル休みした
・真ん中(トップ下)をやりたいと言ってたら、スイーパーをやらされた
・でも、最盛期のカズを余裕で封じ込め「案外難しくなかった」「カズさん調子悪かったみたい」
・長年愛用した背番号2番から6番に変えた理由は2番に飽きたから
・気温と調子が反比例してると言われ、ある雑誌ではリーグ終盤を山田暢久の季節到来とまで紹介された
・CWCへの意気込みの言葉は「俺、頑張る」
・でも怪我の影響で試合に少ししか出られず、本人曰く「ミランの凄さがわからなかった」
・現役中なのになぜか自伝本を発売。タイトルは『火の玉ボーイ』サポからはタリーさんと呼ばれてるのに
・キャプテンらしくしようと、選手やコーチ等30人に鰻重を奢ったら、スポーツ誌に大々的な記事にされた
・監督を差し置いてハーフタイム中にホワイトボードを使って戦況分析&戦術指示
・パチンコだけかと思ってたら、地方競馬も嗜む。スポーツ紙に浦和競馬の天才と記事にされる
・なぜか助っ人外人をベンチに追いやり、CBでスタメンを確保
・相手に倒され脱臼したのに主審の判定はシミュレーションでイエロー
・最多警告新記録樹立に「いまだにイエローの基準がよく分からない」
・史上初のナビスコカップ100試合出場達成
・世界でも稀、J史上初の同一クラブ所属20年、リーグ戦500試合出場