【芸能】寺山修司「書を捨てよ町へ出よう」主演俳優と撮影監督が42年ぶり対面、思い出語る…『寺山修司◎映像詩展』

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1禿の月φ ★
1960年代から詩作、演劇、写真、映画など多方面でマルチな才能を発揮し、
83年に47歳で死去した寺山修司の没後30年を記念し、渋谷・シネクイントで
開催中の特集企画「幻想と死とエロチシズムの『寺山修司◎映像詩展』」で、
寺山の長編デビュー作「書を捨てよ町へ出よう」(71)が4月14日上映された。
主演の佐々木英明氏と撮影監督を務めた写真家の鋤田正義氏が42年ぶりに対面し、
製作当時を振り返った。

60〜80年代にかけて非商業的な芸術的映画を製作・配給していた映画会社ATG
(日本アート・シアター・ギルド)で寺山が手掛けた本作は、ゲリラ撮影を行うなど
実験的精神にあふれた、映像表現に満ちた青春映画。スクリーンから観客に語りかける
東北なまりの主人公の青年とその家族、そして青年を取り巻く人間関係を虚実入り混じった構成で描く。
昨年末の紅白歌合戦出演で話題を集めた美輪明宏も丸山明宏名義で出演しており、妖艶な姿を披露している。

寺山の死後、青森に帰郷し本格的な詩作に入り、現在は三沢市寺山修司記念館館長を務める佐々木氏は、
「寺山さんは高校の後輩なんです、僕が雑誌『高三コース』に詩を投稿して、寺山さんが選んでくれた。
青森高校という名前が出ていたのがうれしかったのでは」と、寺山との出会いのきっかけを語る。
その後、佐々木氏は寺山に呼ばれて上京、寺山が主宰する劇団「天井桟敷」で活動を共にし、
本作に主演した。「シナリオはあるけれど、その通りになることはなかった。次のシーンが
どうなるかもわからない状態で『英明、何か話せよ』と言われて困りました」と、即興に近い形で
つくられたことを明かす。(>>2以降に続きます)

ソース:eiga.com
http://eiga.com/news/20130415/8/
画像:「書を捨てよ町へ出よう」主演の佐々木英明(左)と撮影監督の鋤田正義
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