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社会に出れば思い通りにならないことはたくさんある。そのための予行演習を
スポーツでやっておく。やらせておく。なぜ1年生はグラウンド整備をしなければならないのか。
大切なのはその理由を考えることではなく、ただ従うこと。そういう人間であれば、
上司からの理不尽な要求にも耐えることができる。一時期、日本のサラリーマンが
“エコノミック・アニマル”とまで称されたのは、スポーツという名の修業によって、
理不尽に対する強固な耐性を獲得していたからなのかもしれない。
体罰問題は、だから体罰をした人間を非難するだけでは何も変わらない。この問題の根っこは、
日本の問題点であると同時にストロング・ポイントでもある。欧米人には楽しみでしかない
スポーツというものの中から、日本人は精神的な意味を汲(く)み出し、試練の場ともした。
あなたの中に、グラウンド整備をやらない人間に対する怒り、反発、侮蔑はないか。
わたしの中にはあったし、おそらくはいまもある。スポーツに、スポーツ以上の意味と
効能を求めている時点で、日本のスポーツは体罰の芽を内包しているのである。
(スポーツライター)
(了)