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この日は、五輪代表監督も務めた同体育学校近代五種班の才藤浩監督(51)らと来庁。県出身で女子バレー
ボール・モスクワ五輪代表だった竹島晶代(まさよ)さん(54)や西山昌男・県体育協会会長らが迎え、中沢
教育長は「高知の多くの児童・生徒が五輪を身近に感じ、後に続きたいと思ったはず」とねぎらった。
競技を始めて3年足らずで最高峰の舞台に立った山中選手は「試合が始まるまではプレッシャーを感じて大変
だったが、本番は歓声のすごさなどに鳥肌が立った」と振り返り、「(30位は)今の実力では妥当な成績。一つ
ひとつ試合を戦い、さらに経験を積んでいきたい」と意欲を見せた。
◇「総合力高め、リオへ」
県庁訪問後、山中選手と才藤監督は自衛隊高知地方協力本部(高知市栄田町)で読売新聞などの取材に応じ、
五輪での戦いを振り返った。
出場36人が総当たりで戦うフェンシングは最も苦手な種目で、五輪でも「体が動かなかった」と悔しがった。7勝
28敗の568点で最下位。才藤監督は「技術的にも進歩し、600〜700点はいけると思っていた。一本勝負の
難しさ」と厳しさを痛感したという。
水泳も、平常心とはいかなかった。「準備運動からスタート台に移動するまでバタバタしてしまった」(山中選手)。
体勢が整う前に「用意」の声がかかり、完全に出遅れたという。
巻き返しに成功した馬術も、実はトラブル続きだった。試乗では馬が暴れ、競技終盤には左足があぶみから
抜けた。この窮地を打開したのは、攻めの姿勢。外れたまま競技を続けることを決意し、巧みなバランスで馬を
コントロール。大きなミスなく乗り切った。
自慢の走力で上位に入ったコンバインドでは、海外選手から「グレート」と称賛されて手応えをつかんだ。山中
選手は「五輪に出場して、この舞台に戻ってきたいという気持ちが強くなった。総合力を高めるため、体づくりから
取り組みたい」と意気込み、まず11月の全日本選手権(東京都など)で初優勝を目指すという。