【文化】39年間…作家・佐野洋さんが月刊小説誌「小説推理」で連載してきた名物コラム終了
日本推理作家協会賞に小松左京『日本沈没』が選ばれたことに、荒氏が見解を述べている。
『小松左京がちょっとへそをまげるならば、“いまさら「推理作家協会賞」などは貰いたくないよ。”というであろう』
それを読んで、そういう場合もあり得たな、と私は考えた。
小松は受賞の言葉を、つぎのように書いている。
『候補に、といわれた時も、枯木も山のにぎわいぐらいの気持で承諾した。
とても賞の対象にはなるまいと思っていたのである。
そんなわけで、正直言って仰天した。星新一さんに大急ぎで電話して、
受賞の心得をきいたが、この際参議院立候補を宣言したらどうだ、などと無責任な事しか教えてくれない。
SFといういわば「小説番外地」で、気ずい気ままにかけまわり、
いたずらしていたのを、こわいおとなに見つかったような気持ちである』
小松は星新一とともに、日本のSF界のリーダーと目されている。
一方、たしかに日本にはSFを「小説番外地」と見るような傾向が残っている。
SF界のリーダーである小松は、SFに、「市民権」を付与するためには、どうしたらいいか、
という問題を、始終考えているのではあるまいか。
つまり、小松は、SF界のために、賞を受ける気になったのかもしれない。
荒氏は書いている。
『反省すべきは推理小説のなかにめぼしいものがなかったので、「日本沈没」に代って貰った点である』
狭義の推理小説にめぼしい作品がなかったのを辛じて面目を保った形になった現象を
指摘していられるのであろう。
その見解には、同感する部分が多い。それは、私が「狭い意味の推理小説」を書いている人間であり、
SFのみが受賞したことに、一抹のさびしさを感じているからである。
だが、一方、私の中には、『日本沈没』はSFと決めつけてしまう必要もないのではないか、という考えもある。
それは、主として、作者の発想形態及びそれが作品になるまでの、思考過程を考えた場合である。
それらに関する限り、『日本沈没』は、やはり推理小説の範疇にはいってしまうのである。
私が『日本沈没』を推したのは、そうした面を認めたからであった。
ついでながら、各委員の推薦の理由を、つぎに引用してみる。
(笹沢左保委員は、この作品の受賞に反対した)
(後略)
佐野洋 「推理日記」