【文化】39年間…作家・佐野洋さんが月刊小説誌「小説推理」で連載してきた名物コラム終了
1 :
禿の月φ ★:
日本推理作家協会理事長も務めたミステリー界の重鎮、作家の佐野洋さん(84)が、
月刊小説誌「小説推理」(双葉社)で39年間、連載してきた名物批評コラム「推理日記」を、
同誌7月号(5月末発売)に発表済みの474回で終了することを明らかにした。
佐野さんは、「体力と気力が衰え、これ以上続けると苦労すると考えた」としている。
推理日記」は1973年2月号からスタートし、実作者の視点で作品批評や推理小説論を展開。
名探偵の必要性を巡る故都筑道夫さんとの論争や、デビュー当初の宮部みゆきさんらを評価したことで知られる。
ミステリー界のご意見番的コラムとして親しまれ、菊池寛賞(2009年)の受賞理由にもなった。
ソース:YOMIURI ONLINE(読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/national/culture/news/20120826-OYT1T00362.htm
3 :
名無しさん@恐縮です:2012/08/26(日) 13:40:25.02 ID:jVj38cLr0
小説三億円事件だけ読んだことある
かなり面白かった
キャシーの旦那か
そんなコラム知らねーよw
6 :
名無しさん@恐縮です:2012/08/26(日) 13:57:19.70 ID:ESeERaCj0
ラーメンの人か
俺が大学生の時からやってたのか
読者「辞めた本当の理由が別にあるのでは?」
はい!これホント!
ソープ行け
ミステリ作家志望なら、絶対に読むべき
実際の作品をあげて
書くときの注意点などを解説してる
本年度の江戸川乱歩賞作品『原子炉の蟹』を一応面白く読んだ。
そして、私は安心した。これなら、そんなに悪くはない……。
実はその前に、未知の読者から手紙をいただいた。
『サンデー毎日』(7月26日号)に載った著者の記事を読んで、これは問題とお手紙しました。
それには「エンターテインメントは書けないから」「いろいろ考えたり、調べものしたり、組み立てたりすることなら得意なので、
推理小説ならひねり出せそうだ」と書いてある。
また「とりわけ、最後の“現代的舞台”が重要なファクターになりそうである」などの受賞のためのノーハウらしきものが書いてあり、
その記事が“社会的題材に推理小説的な味つけをすれば、誰でも推理小説が書ける”とでも
言いたげな文章のような気がしたからです。
手紙には、記事のコピーも同封してあった。
それによると、『原子炉の蟹』の長井さんは、毎日新聞を定年退職すると、
江戸川乱歩賞をとると決め、これまでの乱歩賞作品に全部目を通したという。
しかも、受賞作の最大公約数的な要素を摘出し、それに合わせて、『原子炉の蟹』を書いたらしい。
もし、この記事が事実なら、困った人が受賞したものだ、と私は思った。
発想が逆ではないだろうか。
一般に推理作家は、推理小説ファンからの転身者である。
ところが、長井氏の場合は「推理小説などこれまで身を入れて読んだことない」という。
そして、乱歩賞作品だけ(落選作も含めたらしいが)読んで、どのような作品なら受賞できるという目安を立てた……。
これでは、まるで受験参考書に取り組む受験勉強と同じではないか。
つまり『原子炉の蟹』は、いわば受験答案ということになる。
そんな受験答案は、たとえよくできていても、推理小説として果たして面白いか。
これが、私の先入観であった。
しかし、実際に読んでみると、一応面白かったし、南條さんが選評で言っているように「よく調べて書いたものだ」と、私も感心した。まあ、悪いものではない……。
だが、「この方面での新しい旗手」というほどの期待は、私には持てない。
それは、長井氏が、推理小説というものに安易な取組み方をしているように思えてならないからだ。
佐野洋「推理日記」
くだらんな 記事のコピーを読まずに作品を読んだら同じ感想になったのかどうか これだから老害は
まず、私の著書について語るのをお許しいただきたい。
『同名異人の四人が死んだ』の中に、つぎのような箇所がある。
(中略)
さて、読者は以上の文を読んで、何かに気づかれたであろうか。
実は、この部分にミスがあるのである。
その指摘をしたのは、講談社の原田裕さんである。
そして、現在までのところ、そのミスに気づいたのは原田さんだけらしい。
読者カードでもこの部分を指摘したものはないということだ。
(中略)
この『推理日記』で、かつて、小峰元の『アルキメデスは手を汚さない』を取り上げたとき、
「考えようによっては、アンフェアのそしりを免れない」と書いた。
その論法でいくと、この部分も、やはり読者によけいな神経を使わせる文章だということになる。
(中略)
しかし、自己弁護をするようだが、このミスは、致命的なミスとは言えない。
この小説においては、犯行方法は必ずしも問題ではないからだ。
ところが、推理小説の場合、一ヵ所のミスが、作品全体の価値を、根底から揺るがしてしまうものもある。
その代表的なものとして、カトリーヌ・アルレー『藁の女』のミスが、挙げられよう。
(中略)
しかし、このミスだけで、作品の価値が下落するものかどうか、という意見も一方にはあった。
現実の社会をふまえた推理小説の場合、登場人物は当然その社会の約束事である法律に拘束される
という前提が要求されており、でければ、読者は安心して物語についていけず、
推理を愉しむこともできない。
私もある意味では結城の説に賛成である。では、致命的とそうでないものの区別をどこでつけるか?
(中略)
このように、世評高い名著の中にも、ミスは存在する。
もう一つ例を上げよう。コーネル・ウールリッチ『喪服のランデヴー』にも、重大なミスがある。
(中略)
今回は、推理小説におけるミスについてくどくどと書いた。
これは実は、私は高木彬光氏の『邪馬台国の秘密』に重大なミスに気がついた。
高木氏もそのミスを認め、早速、その訂正作業にかかられたという。
私の考えでは、それは、ちょっと訂正不可能なのではないかと思えるのだが、お手並を待っているところである。
佐野洋 「推理日記」
推理作家協会賞は、西村京太郎氏『終着駅殺人事件』に決まった。
氏は、これまで四回もノミネートされながら、受賞を逸してきた。
西村氏は着想の卓抜さ、ストーリー・テリングの巧みさに特徴があったが、構想が奔放すぎるために、
どこかに無理がある、という傾向があった。
(中略)
七一年に発表された『名探偵なんか怖くない』である。
私は予選委員をしていたのだが今年はこれで決まるのではないかと考えていた。
ところが読み終わって、よく考えてみると、どうしても納得できない点がある。
私は西村氏に電話をし、この疑問をただしたが、答えはあいまいだった。
私は、予選委員会で「もしこれが受賞した場合、ファンがこの欠陥を指摘してくることが予想される」と主張、
結局、候補に残らなかった。
ところが、そのあと本選委員が病気で倒れてしまい、
私が本選の委員もやることになってしまった(予選委員が本選の委員も兼ねた唯一の例外である)。
結局、この年は、「授賞作品なし」になった。
だが私は、ふと思った。ここに『名探偵なんか怖くない』が残っていたら案外受賞したのではないか。
名作といわれるジャプリゾの『シンデレラの罠』にしても、作者の重大な錯覚があり、よく似ている。
その意味では、取り立てて問題にしなくてもよかったのではないか。
そのようないきさつがあっただけに、今回の西村氏の受賞が、私には嬉しい。
それとは別に、『終着駅殺人事件』についていささか、注文がある。
それは評価とは離れて、私が気になった点である。
(中略)
これは、ほんの一例だが、このようにしても小説の展開には支障ないと思う。
要は作家が、警察の越権的指示を許すか、一般市民の人権感覚を持っているか否かに
かかっているのではないだろうか。
いったいに、西村氏は、警察官に対して甘いようだ。
細かいことだから差し支えあるまい、という意見もあるかもしれない。だが、テレビの刑事物を始め、
警察の違法捜査を、肯定するような風潮が、広がりつつあるように思われる時期だけに、せめて、
推理小説においては、基本的ルールを、作中の警察官に厳重に守らせたいと思うのだ。
氏が、多くの読者を持っている作家だけに、受賞の機会に、敢えて直言した次第である。
佐野洋 「推理日記」
第一回横溝正史賞は、斎藤澪氏の『この子の七つのお祝いに』に与えられた。
(中略)
ことに「女の執念」の描写は、すさまじいばかりで、これならば殺人事件をいくつ起こしても不思議はない
と思わせるだけの説得力を持っている。
私は、書きながら、ときどき、人間は果たしてこんなことで人を殺したりするものだろうか、
と疑問を持つことがある。(しかし、そんなことを言っていては、仕事にならないから、
たいていは、目をつぶって犯行をさせてしまうのだが……)。
しかし、『この子……』の犯人については、そんな疑問は浮かばなかった。
授賞式で、選考委員土屋隆夫氏は、「この小説には、とくに大きなトリックがあるわけでもない」と言われたが、
私はそうではないと思う。
(中略)
だから、読者にそれを納得させるには、書く側に、それだけの文章力がなければならない。
私も、例えば、つぎのような描写に接したとき、うまいなあと思った。
(中略)
たしかに、筆力は非凡である。今後も、男女間の愛憎を描いたミステリーで佳品を生んでくれるだろうことは、間違いない。
だがこの作品を読んだ限りでは、その他の世界については、作者があまり詳しくないように思った。
たとえば、秦一毅という人物が出てくる。政界の黒幕と言われているらしい。
(中略)
いや、小説の世界は、作者は絶対である。作者が「秦一毅は政界の黒幕だ」と書いたら、
読者はそれを受け入れてるべきという議論もあろう。
しかし、読者に受け入れさせるためには、読者が持っている常識とあまりかけ離れていないことが必要なのではあるまいか。
(中略)
つまりしばらくの間は、よけいな背のびをしないで、得意な世界のみを描いたほうがいいのではないか、
と助言したいのである。
もっとも、私には自分が間違っているかもしれない、という気持ちもある。
実は、かつて、夏樹静子氏にも、同様なことを言ったことがあるのだ。
夏樹氏は、自分は会社に勤めた経験がないから、企業のからくりなどがよくわからなくて、
苦心している、という意味のことを言われた。私は、「わからないことを無理に書くことはないですよ」と言った。
だが、そのとき書いていたのは『蒸発』であり、それは日本推理作家協会賞を受賞した。
佐野洋 「推理日記」
17 :
名無しさん@恐縮です:2012/08/26(日) 16:42:59.07 ID:QYBIRk3s0
翻訳作品の場合、ミスは誤訳の可能性もあるんじゃないかな。
wikiの著作一覧を見て「直線大外強襲」は読んだ気がするが
内容は覚えてないなあ。
北方謙三氏が『眠りなき夜』で吉川英治文学新人賞を受賞した。
実は私も選考委員だった。
氏は、魅力的な文体を持ち、人物の造型も見事であり、有能なハードボイルド作家であることは論を俟たない。
がややもすれば、構成に厳密さを欠くうらみがあり、この作品にもそれは見られた。
私は他の作品を推したが、他の四人の方が、すべて北方氏の名を挙げた。
だが、野坂委員の『この人は、受賞で一段と大きく伸びると思う』という意見には同感だったので、
賞を贈ることに賛成した。
前々回に、栗本薫氏『絃の聖域』が選ばれたときも、私は、推理小説として見た場合に欠点があると指摘し、他の選考委員から、
「作品への授賞ではなく、作家に贈ると思えばいいじゃないか」と言われ、なるほど伸びる可能性は、
たしかに栗本氏に一番あると考え直したのだった。
その例もあることだし、今回も欠点には目をつぶり、北方氏の今後に期待しようと私は考えたのである。
その欠点とは……。
いや、その前に、優れた点を挙げてみよう。例えば――、
――事務所は閉まっていた。
私は鍵を使ってドアを開けた。応接用のソファに旅行鞄を放り出し、黒板の予定表に眼をやる。
私の欄に書きこまれた出張、という字を拭き消した。
神山千恵は、出てきてはいるらしい。ドアのそばの彼女のデスクに、レース編みが鉤針をつけたまま置いてある――
これは、『眠りなき夜』の冒頭の部分だ。簡潔な文章のどこにも無駄がない
(読点の打ち方に、一箇所疑問があるが……、ひとには、それぞれ、流儀があるのだろう)。
とくに私が感心したのは、いきなり神山千恵という名を持ってきて、それについて、何の説明もしないことである。
実際に小説を書いていると、なかなかこうは書けない。いきなり名前だけを出したのでは、読者が戸惑うのではないか、
という意識が働くせいか、つい「事務員の」などと書きたくなる。
(中略)
作者のこの方法は、ほとんど全編に貫かれている。ちょこっと顔を出す「その他大勢」の登場人物たちに対しても例外ではない。
肩書、職業などをちょっと書けば用が足りるところを、それをしない。
(中略)
では、不満はどこにあるのか。
(後略)
佐野洋 「推理日記」
『問題小説』三月号の表紙を目にしたとき、非常に新鮮な感じを受けた。
「話題の俊才 長編一挙掲載! 冒険推理 君よ憤怒の河を渉れ 西村寿行」
と、そこにはあった。他の小説の題名や作者名は、ほかには全くなかった。
これは異例のことである。非常に失礼な言い方をさせてもらえば、一昨年までは、雑誌の編集者の間で、
西村寿行の名を知っている方は少なかった。
その西村寿行の作品が、表紙にこのような破格の扱いを受けている……。私には、それが新鮮だったのだ。
私は、大きな期待をもって、早速それを読んだ。
だが、正直言って、私の期待は裏切られた。というよりも、これはいかん、
彼は、誤まった道を進もうとしているのではないか、というのが私の感想だった。
先日、あるパーティで、『問題小説』の徳間書店の徳間社長にお会いした。
「どうだね、西村寿行は?」
徳間氏は、私の顔を見るなり言った。
「どうだねって、あの『憤怒の河』という奴? あれは、ちょっとひどいな」
「ひどい? しかし、映画会社の申し込みが大変なんだよ」
「そう? 映画にするには、主人公があっちこっち動き回り、おまけに飛行機だ、潜水だと絵になるところが多いからね。
しかし、小説としては……」
私は、二、三気になる点を指摘した。だが、徳間氏は、必ずしも納得していないようであった。
私は、『君よ憤怒の……』について意見を求められたら、今後もやはり「ひどい」という表現を使うことであろう。
(中略)
ここまで読んでくると、こうした設定が、作者の無知から出発していることがわかる。
検察庁、警察組織などについて、何の知識も持っていないからこそ、
こんなに、自由奔放に、登場人物たちを動かすことができたのであろう。
いや、そうではない、と作者は言うかもしれない。そんなことは百も承知で、こういう警部を設定したのだと――。
(中略)
こうした指摘は、ことさらに重箱の隅をつっついているように見えるかもしれない。しかし、こうした部分的不自然さが、
作品全体のトーンを著しく損ねてしまうことも事実ではあるまいか。
はみ出し警部については、推理小説論から離れて問題にしたいことがある。いずれ、この『推理日記』で触れるつもりである。
(後略)
佐野洋 「推理日記」
この人はサッカーでいうところのセルジオみたいな無産無能解説者でおk?
コラムの抜粋書き込んでくれてる人いるけど面白いね。
単行本とかになってるのあれば買いたいな。
『推理小説年鑑』に序文を書いている私のところに、読者から、電話で質問があった。
これに納められている、加納一朗の「猫ババ野郎」が、アンフェアではないのか、という質問だった。
「確かにそうですね。つい、作者の筆が滑ったのでしょうが……」
私は、そう答えた。
そのアンフェアというのは――
『いつものように店を出していた上沢は、一通の封筒が、掲示板に貼られたグラフとベニヤ板の隙間に
はさみこまれているのを発見した。七、八人客が寄ってきて、声を嗄らす前にはなかったはずだから、
客のなかの誰かが置いていったのかも知れない。上沢は封筒を眺めた。
ありふれたうす茶の、どこの文具屋でも売っているようなものだ。
表裏とも何も書いてない。上沢は中の便箋を引き出して文面を読み下すと、顔色を変え、駈け出した』
これは三人称で書いてあるが、決して、客観描写ではない。上沢に視点を置いた文章である。
だからこそ、『客のなかの誰かが置いていったのかも知れない』という形の文がでて来るのであろう。
(もっとも、上沢に視点を置いたものと考えると、『顔色を変え』というのがおかしい。
顔色が変ったかどうかは、本人にはわからないことなのだ。
しかし、この程度の「視点の混乱」は、他の作家にも、き見られることである)
ところで、その便箋に書かれたものは、脅迫状であった。
だが、やがて、読者は、つぎのような文章にぶつかる。
『上沢はポケットから取り出した脅迫状を破り棄てると、傍のゴミ箱に投げこんだ。
《馬鹿な奴だ》と、思う。こんな簡単な方法で二人から金を捲き上げられたのは、一にも二にも奴等が馬鹿だからだ……』
つまり、脅迫状は上沢自身が書いたものだったのだ。
こうなると、前の描写は、嘘が書かれている、と言わざるを得ない。
加納は前にも、ある長編で、これと同種の誤りを犯したことがあった。
加納がこれを一つのテクニック――読者をミスリードするための技術として、意識的に使ったものなら、問題である。
一方、これと同種のアンフェアを犯しているように見えながら、実は、それが考え抜かれた技巧であるという場合もある。
夏樹静子『誰知らぬ殺意』などもその一つである。
作品について説明しよう。
(後略)
佐野洋 「推理日記」
すべての意見に賛同できるわけではないけれど推理小説の読み方というものを教わったとは思う。
よくなあ84なんて歳まで続けられたもので、お疲れ様でした。
>>22 > 単行本とかになってるのあれば買いたいな。
講談社文庫版をブコフあたりで探すのが手っ取り早いんじゃないかな
『見習い天使』は、佐野洋さんが三十四、五歳のころの作である。
今回、読みかえして、そのうまさを再認識した。
読み切り連作となると、たいてい同一の主人公でと考えるものだ。
しかし、それをやると、結末の意外性に枠がはめられ、あっという効果を上げられない。
天使の声で、さらに大きなどんでん返しをやった作品もある。
再認識は、ほかにもある。古びていないのだ。
風俗描写は不要と、切り捨てているためである。そして、バラエティのはばの広さである。
本書など、推理小説を書こうという人への、最適の教材になるのではなかろうか。
また、なににも増して驚かされるのは、作家となってから推理小説ひとすじ、
今日まで休むことなく書きつづけ、一定の高水準を保っていることである。
これは、気の遠くなるような航跡なのだ。雑誌などで、佐野さんの短編がのっていると、つい読んでしまう。
そして、ああ面白かったと思う。読者が裏切られたと感じることはないのだ。
さすが佐野さんの才気と片づける人もいようが、それがどれだけの苦労の産物か、同じ文筆業者として、ただただ敬服する。
その苦労のあとを作中に残さないのも、苦労のひとつなのである。
佐野さんは執筆について、三つの信条を持っているとのことだ。
@小説としての面白さ。A一貫性と構成美。B先人の試みへの挑戦。
そして、それを実作でやってのけているのだから、感嘆のきわみ。
推理小説のひとつの完成を示した中興の祖と、後世において評価されるのではなかろうか。
なぜ、中興なのか。問題はBなのである。時は流れる。
佐野さん自身がいまや先人となり、新人はそれへの挑戦をやらなくてはならないのだ。
これは、ただごとではない。乗り越えるべき対象の山脈としてみて、はじめてどんなに大変な存在かわかる。
佐野さんの作風について、強烈な個性がないとの感想を持つ人もいるらしい。
それなら、亜流が出てきてもいいはずだが、それらしき新人はいない。
佐野洋の世界が、独自性を持ち、いかに高い所にあるか、こう考えてやっと気づくのである。
佐野さんと同じ分野を進まなくてよかったと、私はあらためて、ほっとしている。
競争していたら、とっくに息切れしていただろう。
星新一(きまぐれフレンドシップ)
私が初めて横溝さんにお目にかかったのは、一九六一年のたぶん七月ごろだったと思う。
『週刊文春』が、横溝さん、有馬頼義氏、私の三人に、プロ野球についての鼎談をさせたのである。
その年に私は『完全試合』というプロ野球を扱った推理小説を発表しているので、目をつけられたのだろう。
そのとき、どのようなことを喋ったか全く覚えがない。
二人の先輩作家を前にして、緊張のしっぱなしだったのだろう。
だが鼎談が終わったあと、横溝さんから言われた言葉だけは、はっきりと覚えている。
「ぼくは佐野君に注目しているんだよ。
それはね、君の『完全試合』、まだ読んでいないんだが、目次に趣向を凝らしているね。
趣向というのは、遊びの精神で、探偵小説には一番必要なものだと思うんだ。
だから、目次を見たとき、ああこの新人は、探偵小説を知っているな、と思ったんだよ」
このようなことを横溝さんは、穏やかな笑みを浮かべて言ってくださった。
横溝さんは、年齢的には、父と同年輩であり、あとでも触れるが、学生時代から敬愛していた作家である。
その大先輩にこう言われたことが、どれだけ私を勇気づけたかは、くどくどと説明するまでもなく、
読者にはおわかりいただけたと思う。
(中略)
あれは何年だったか、近鉄が初めてパ・リーグの後期優勝を遂げたときだ。
横溝さんは軽井沢におられたので、そちらにお電話した。
最初に出られたのは奥さんだったが、横溝さんは、ラジオを耳に当て、西本監督の談話を聞きながら祝盃を上げているという。
「ああ、それでは、わざわざお呼びいただかなくても……。優勝おめでとうとお伝えください」
私は、こう言った。
私自身もプロ野球ファンだから、誰にも邪魔されずに、放送を聞きたい心理はわかる。
かえって申しわけないことをしたと恐縮したのだ。
だが、奥さんが取り次いでくださり、やがて、横溝さんが電話口に出た。
「佐野君もプロ野球ファンだからわかるだろう。とにかく嬉しいよ。
西本というのは、大した男だね。それに、大事な試合に鈴木が投げて勝ったということが、何よりも嬉しい。
こんなうまい酒は、ここしばらく飲んだことはない……」
私が話す暇もなく、嬉しいの連発であった。
(後略)
佐野洋 「推理日記」
松本清張氏が、『黒の回廊』を発表した。
氏にとって初の書き下ろし推理小説であると同時に、初めて「フーダニット」形式の小説に挑戦したという意味を持っている。
『黒の回廊』には、つぎのような部分がある。
(中略)
読者の中には、このところを読んで、あれっと思われた方もいることだろう。
「たしか、これと同じような文を読んだことがある。」と。
そして、本年度の江戸川乱歩賞作品『蝶たちは今……』の中にあった、という事実を思い出す。
そう、それは、次のように書かれている。
(中略)
私が証言したいのは、両方の作品に、これが取り入れられたのは、全くの偶然だという事実なのである。
(中略)
奥付を調べると、『黒の回廊』は本年の九月五日、『蝶たちは今……』は八月二十五日に、それぞれ発行されている。
従って、ほぼ同期であり、偶然の一致と判断される性質のことだ。
しかし、『黒の回廊』の一般市販が大幅におくれるという事情があるため、
誤解が生じる余地ができてしまったのである。
推理小説のファンは、得てして、物事を疑ってかかる傾向がある。
『蝶たちは今……』は、乱歩賞の応募作品である。
一方松本氏は、五月まで推理作家協会の会長をしていた。
従って、生原稿で『蝶たちは今……』を見る機会があったのではないだろうか……。
(このような推理は、推理小説の中に、よくあるパターンである)
悪意を持って考えれば、いかような勘繰りもできるのだから……。
「江戸川乱歩賞の募集というのは、実は既成作家が、新人のアイデアを盗むための手段なのではないか」
笑いごとではない。仮りに中傷しようと思えば、このような論理の発展もできるのである。
私は、一方、日下氏についても心配になった。
『黒の回廊』は、前述のように、月報に連載されたものであり、日下氏が、応募の前に、
読んでいる可能性もないわけではない。
そこで、松本氏と電話で話した際、私は月報ではどうなっていたかを質問してみた。
月報に連載したときには、書いていない。あれは、新しく書き直した段階で、書き加えたことだ。
――それが松本氏の答えであった。
以上、くどくどと書いたが、全くの偶然の一致であることが、ご理解いただけたであろうか。
佐野洋 「推理日記」
筒井 それほど推理小説の骨法を心得ているわけではないし、トリックを考えるのだってそんなに好きではなかったですから。
中島 しかし推理小説の押えるべきところは、きちっと押えているという気がしましたけれど。
これは、『波』五月号に載った筒井康隆氏と中島梓氏との対談で、筒井氏の『富豪刑事』に触れる一節である。
これを読んで、私は、あれっと思った。
いわゆる純文学畑の中島梓氏が『推理小説の押えるべきところは、きちっと押えている』と言い、
しかも、それは、私が持った所感と一致していた点に、興味を持ったのである。
(中島氏は栗本薫名義で、推理小説の時評を書いていたし、さらに江戸川乱歩賞の受賞者になった。
中島氏=栗本氏ということを知っていれば、驚くには当たらないことだったのだが……)
ところで、『富豪刑事』が出版されて以来、いろいろな新聞、週刊誌が書評をしているが、私の読んだ限りでは、
『推理小説の押えるべきところは、きちっと押えている』と指摘したのは、中島氏だけのようである。
筒井氏が、大富豪刑事ものを書いてるという話は、筒井氏からの電話で知っていた。
電話の用件は、彼が考案した密室殺人のトリックが、過去に使われているかどうか、
ということであった。
いや、使われていないだろう、と私は答えた。
「それに仮りに、誰かが使っていたって、差支えありませんよ。
おそらく、あなたの場合は、いわゆる本格ではないのだろうし、そう厳密に考えなくてもいいのではないかな」
「いや、一応、本格のつもりなんですよ。だから、その点が聞きたかったのです」
筒井は、私が「本格ではないだろう」と言ったことが、不満のようであった。
ところが、この『密室の富豪刑事』は、彼の予言通り、「本格推理小説」であった。
そして、こんど一冊にまとまった機会に改めて通読し、私は唸ってしまった。
四篇が、シリーズ物でありながら、それぞれ、別のパターンの小説になっているのである。
扱われている犯罪にしても強盗、放火、殺人、誘拐、暴力団の抗争であり、どれ一つとして、同種類のものはない。
そればかりか、作者は、この四篇に、必ず一つは、いわゆるトリックを用い、しかもそのトリックを、使いわけているのだ。
(後略)
佐野洋 「推理日記」
そろそろ通報せなあかん?
30 :
名無しさん@恐縮です:2012/08/26(日) 21:53:57.63 ID:EnkJAwys0
肝心なところを省略する抜粋はやめてくれ
密会の宿、書いてる人か
存命だったとは知らなかった
32 :
名無しさん@恐縮です:2012/08/26(日) 22:13:47.66 ID:EnkJAwys0
え、もう死んでたよな。
と思ったらそれは佐野洋子だった。
33 :
名無しさん@恐縮です:2012/08/27(月) 01:07:25.34 ID:1koL/feo0
34 :
名無しさん@恐縮です:2012/08/27(月) 01:09:49.82 ID:1koL/feo0
>>29 無産無能解説者とか書いてたくせに、まともなレビューが並んでるのをみて
あせって封殺かw
どうせ誰か批判された作家のオタだろ
おまえみたいな粘着がいるから、批評ができなくなって
ステマみたいなちょうちんレビューばかりになるんだよ
>>30 肝心の部分は買ってねってこれは宣伝としてすごい有効だな
昔は
名探偵論争とか、矛盾に突っ込んだとこに本人から反論が来たり、、、
ここで業界最先端のミステリー論争が行われてたわけだがなぁ
文庫版は6以降出てないよね?
日本推理作家協会賞に小松左京『日本沈没』が選ばれたことに、荒氏が見解を述べている。
『小松左京がちょっとへそをまげるならば、“いまさら「推理作家協会賞」などは貰いたくないよ。”というであろう』
それを読んで、そういう場合もあり得たな、と私は考えた。
小松は受賞の言葉を、つぎのように書いている。
『候補に、といわれた時も、枯木も山のにぎわいぐらいの気持で承諾した。
とても賞の対象にはなるまいと思っていたのである。
そんなわけで、正直言って仰天した。星新一さんに大急ぎで電話して、
受賞の心得をきいたが、この際参議院立候補を宣言したらどうだ、などと無責任な事しか教えてくれない。
SFといういわば「小説番外地」で、気ずい気ままにかけまわり、
いたずらしていたのを、こわいおとなに見つかったような気持ちである』
小松は星新一とともに、日本のSF界のリーダーと目されている。
一方、たしかに日本にはSFを「小説番外地」と見るような傾向が残っている。
SF界のリーダーである小松は、SFに、「市民権」を付与するためには、どうしたらいいか、
という問題を、始終考えているのではあるまいか。
つまり、小松は、SF界のために、賞を受ける気になったのかもしれない。
荒氏は書いている。
『反省すべきは推理小説のなかにめぼしいものがなかったので、「日本沈没」に代って貰った点である』
狭義の推理小説にめぼしい作品がなかったのを辛じて面目を保った形になった現象を
指摘していられるのであろう。
その見解には、同感する部分が多い。それは、私が「狭い意味の推理小説」を書いている人間であり、
SFのみが受賞したことに、一抹のさびしさを感じているからである。
だが、一方、私の中には、『日本沈没』はSFと決めつけてしまう必要もないのではないか、という考えもある。
それは、主として、作者の発想形態及びそれが作品になるまでの、思考過程を考えた場合である。
それらに関する限り、『日本沈没』は、やはり推理小説の範疇にはいってしまうのである。
私が『日本沈没』を推したのは、そうした面を認めたからであった。
ついでながら、各委員の推薦の理由を、つぎに引用してみる。
(笹沢左保委員は、この作品の受賞に反対した)
(後略)
佐野洋 「推理日記」
『やっぱり一番好きな佐野洋の「推理小説を読みましょう」からいきましょう。
これは、佐野氏としては珍しい失敗作。昔懐かしビーストン風のドンデン返しの効果をねらったのだが、
解決の仕方がいかにも陳腐かつアンフェアで、全くの逆効果を生んでしまった。
こうなるとゲーム派作家のお遊びを通り越して、完全なエスケープになる。残念ながら、どうもいただけませんでした』
これは、昔の推理小説専門誌『宝石』の『小さな鍵』欄に載ったものである。
ここには毎月、各雑誌に発表された推理小説について、大内茂男氏が短評を試みていた。
(現在、このような欄が、どの雑誌にもないのはさびしい……)
当時の私は、この大内氏の批評に、納得できなかった。
ことに『アンフェア』と言われた点に承服できず、反論を書こうと思ったほどだ。
その作品を、簡単に紹介させていただく。
(中略)
大内氏は、最後まで読み、何だ人を馬鹿にしている、と考えたのだろう。
だが、私は私なりに、アンフェアと言われないための伏線を張っておいたつもりなのである。
(中略)
しかし、と現在私は思っている。そんな伏線は、やはり、作者のひとりよがりであり、
アンフェアだと言われてもしかたがないものであろう。
まあ、アンフェアではないにしても、『陳腐』という批評は当たっている。
私が石川喬司氏の『次号予告』を買わないというのは、
『次号予告』にも、同じような手が使われているからである。
もっとも、石川氏は、提出したその謎を、『小説中小説』の中で、一応解決はしている。
したがって、私の作品ほどには、ペテンでもないが、
その解決は、決して、手際のいいものではない。
作者も、その『不手際』は気になったのであろう。
作品の最後の方で、作中人物たちに、つぎのような会話を交わさせている。
(中略)
ことによると、石川喬司氏は、最初はこのような形の小説にするつもりはなかったのではあるまいか。
だが、自分が納得できる解決が思いつかないため、解決を逃げた……私はそう勘繰ったのだが。
とすれば、やはり、大内氏のいう『エスケープ』である。
こう書きながら、私は内心忸怩たるものがある。私の近作にも、『エスケープ』したものがあるからだった。
佐野洋 「推理日記」
41 :
名無しさん@恐縮です:2012/08/29(水) 02:34:36.62 ID:u0XYo3wu0
見事なステマスレだ
ていうか佐野洋の作品にも突っ込みどころってないの?
43 :
名無しさん@恐縮です:2012/08/29(水) 07:21:48.69 ID:N7wMqO74O
でもすげーよ。こういう批評って意外と出来ない。つか殆ど見ない。
自分の立ち位置をはっきり持って、そこから公平で客観的に「批評」出来る人なんて今いるんだろうか?
推理小説批評に限らず世の「評論家」でこれが出来る人って数える位じゃね?
大抵は吉本隆明の亜流みたいな奴ばっかりやん。
44 :
名無しさん@恐縮です:2012/08/29(水) 07:37:16.85 ID:ND7RDfhN0
佐野洋ってまだ生きてたのか。
45 :
名無しさん@恐縮です:2012/08/29(水) 07:47:58.17 ID:NT8TG2NI0
推理としての巧妙さ、秀逸さ、驚きを堪能できる
ここ10年くらいに出た推理小説てあるの?
46 :
名無しさん@恐縮です:2012/08/29(水) 22:14:52.58 ID:RENEb1hA0
作家が同業者批判とか、絶対にブーメランになって
かえってくるのに、よほどの覚悟があるかバカかどっちか
て、実際、
>>40みたいになってるし
>>41 ステマって、肝心の本が入手難だぞ。
古本探すしかない状態。
出版社もちゃんとまとめて再販しろ
佐野洋と佐賀僭はふざけた名前だなw
48 :
名無しさん@恐縮です:2012/08/30(木) 00:27:41.41 ID:NGHyAZ0U0
佐野洋と佐野洋子ってまぎらわしい。
49 :
名無しさん@恐縮です:2012/08/31(金) 01:38:14.57 ID:GlyRHp6J0
昔のやつが売ってない
もうとっくに亡くなってたと思ってたわ
1冊くらいは昔読んだ気がするんだけどタイトルも内容も思い出せない