【歌舞伎】8年ぶり「澤瀉屋!」…二代目市川猿翁さんが歌舞伎の芝居に復帰 海老蔵さんと共演

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1.昭和38年、二代目猿之助の初代猿翁襲名、三代目團子の三代目猿之助襲名にあたり、
  十一代目團十郎がクレームを付けた。その内容は・・・
 ・「襲名にあたりあらかじめ市川宗家の当主である自分の了承を得ていない」。また、
  「襲名披露公演の口上では市川宗家の席を設けて自分が口上を述べるべきなのに、その用意がない」など。
 ・両家で揉めた挙句、團十郎によれば「自分は口上に出ない、ということで両者円満に落着した。」
  澤瀉屋の言い分では「團十郎さんの口上出演はお断りした。」

2.三代目猿之助(現猿翁)の「歌舞伎十八番の内 勧進帳」上演にあたり・・・
 ・團十郎は「宗家に伝わる型の通りにやれ。でないと上演は許さない。
  どうしても上演するなら外題から『歌舞伎十八番の内』を外せ」とクレーム。
 ・猿之助の言い分は「私の型は二代目段四郎が九代目團十郎から受け継いだ正統の型を
  そのまま曽祖父から代々受け継いだ型だから問題はない。
  今の時代、歌舞伎十八番上演には市川宗家の許可が必要、などとは時代錯誤も甚だしい。」

3.猿之助が初代猿翁の得意演目だった「猿翁十種」を澤瀉屋の家の芸として制定するにあたり・・・
 ・團十郎は「弟子筋の家がそんな制定をするのは宗家の許可を取った上でないとおかしい。
  制定演目の中には、猿翁が古典演目をアレンジしたものもあるが、古典という共有財産の私物化だ。」とクレーム。
 ・猿之助は「澤瀉屋内部の家の芸の制定にいちいち市川宗家の許可を得る必要はない。
  猿翁の改訂版を家の芸にしているのであり、古典そのものを独占しているわけではない。」と反発。

これらの反目を抱えたまま、十一代目團十郎は昭和40年に56歳の若さで胃癌のため死去。
確執の解消は息子の現團十郎の代に持ち越された。

以上が現時点で私が記憶により書き込めるギリギリの線の内容です。
本当に歌舞伎に詳しい方はもっと色々ご存知のはずです。