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1934年 吉本せいが山口組二代目山口登組長と接触。
1942年 吉本せい依頼の興行トラブルを請け負った為に山口組二代目山口登組長死去。
1948年 吉本せいの弟、林正之助社長就任。
1968年 林正之助社長、山口組三代目田岡組長と共にレコード会社乗っ取り容疑で逮捕。兵庫県警内部資料『広域暴力団山口組壊滅史』には「山口組準構成員 吉本興業前社長 林正之助」と記載。
1999年 ・林正之助の娘婿の林裕章社長就任。
・元プロボクシング世界王者の渡辺二郎が銃刀法違反容疑で逮捕された際、翌年の公判で島田紳助が証人として出廷していた。 後に、渡辺二郎は山口組系極心連合会相談役就任
・、中田カウスは山口組五代目渡辺組長のパーティに出席し、渡辺と知り合いになったことをいいことに「五代目と懇意である」と殊更に芸人の前でアピールし、自分に逆らうと五代目が黙っていないと芸人を脅かすようになった。芸人は誰もカウスに逆らえなくなった。
・島田紳助が渡辺組長から時計を贈られたことがあった。ところが、これがすぐにカウスの知るところになって問題になった。 カウスはすぐさま紳助を呼び出して、もらった時計を返却させた。 カウスは、この話を社員に語る際、「紳助よりもワシのほ
ワシのほうが渡辺五代目とのつきあいは太いんや」と話した。
・中田カウスは林マサ(林裕章社長夫人・林正之助の娘)の依頼で林裕章社長の女性スキャンダル解決に山口組系組員を紹介した。
2003年 ・島田紳助は自宅の造園業者とのトラブルに山口組系極心連合会の名を語った。
2004年 ・中邨(なかむら)秀雄元会長が、在任中だった数年間に、子会社から金銭を横領。その際、中田カウスはその回収役を受け、山口組の渡辺組長がバックと脅した。
・林裕章社長の寵愛を受けていた中田カウス吉本特別顧問に就任。
2005年 ・林裕章社長死去。林裕章社長は逝去の際に中田カウスに「紳助を頼む」と遺言。
・東大阪市内の土地・建物を巡る競売入札妨害事件などの関係先として、山口組若頭補佐、橋本弘文極心連合会長宅捜査で、島田紳助から同幹部に宛てた直筆の手紙や、飲食の場で一緒に撮影した写真などが見つかっていた。