◎馬愛した名調教師の遺族寄贈/江戸中期の作 高野山霊宝館へ
競馬の名調教師として知られた故小野留嘉(とめよし)さんが長年所蔵した馬頭観音が昨夏、遺族によって
高野山霊宝館(高野町高野山)に寄贈された。霊宝館の調査で、約260年前に高野山の僧侶が仏師に作らせた
貴重な品であることが分かった。霊宝館は今後、一般公開することを検討している。
霊宝館の友鳴利英学芸員(仏像彫刻史)によると、馬頭観音立像は木造で、高さ38.7センチ。光背(観音の
背中にある光を表す飾り)の裏に彫られた銘文から、江戸時代中期の1748(延享5)年に高野山の僧侶が
「龍慶」という仏師に作らせたことが分かる。友鳴学芸員は「細部まで丁寧に作り込まれていて、高い技術を
持った仏師が作ったと考えられる。この時代の仏像で作られた年代や由来が分かるものは少なく、貴重」と話す。
日本中央競馬会(JRA)によると、小野さんは北海道小樽市出身。1930年に騎手になった。JRAに記録が残る
55年以降だけで843レースに出走し、53勝した。69年に引退後は調教師に転じた。69年のCBC賞や74年と
77年のシュンエイ記念など、重賞6勝。87年に亡くなるまで現役を貫いた。
馬頭観音を寄贈した小野さんの次女の安川トミ子さん(83)=愛知県稲沢市=によると、小野さんとこの馬頭
観音の出合いは終戦から間もない46年1月ごろ。「自宅近くの神社から譲り受けたと聞いている」という。
小野さんは玄関脇に祭壇を造り、朝晩に手を合わせて馬の健康や勝利を祈った。
小野さんが亡くなったあと、長女のヒデ子さんがまつり続けたが、一昨年に死去。安川さんが受け継いだが、
体力面などで「自分では守りきれない」と思い、光背の銘文に彫られた「高野山」の文字を頼りに霊宝館に
連絡し、昨年8月に寄贈した。
安川さんは「子どものときから熱心に馬頭観音にお祈りする父の姿を見ていた。大切な観音様なので、ゆかりの
ある高野山で末永く保存していただけたら」と話す。
友鳴学芸員は「馬を愛した小野さんとご家族が大切に守られてきた馬頭観音なので、このご縁を大事にして
後世に伝えていきたい」と話している。
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