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>>1の続き)
こうした価値の錯乱の上に成立するのが《B層文化》だ。前回も述べたように《B層》とは平成17年の郵政選挙の
際、内閣府から依頼された広告会社が作った概念で「マスメディアに踊らされやすい知的弱者」、ひいては
「近代的諸価値を妄信する層」を指す。この《B層》が現在消費者の主流になっている。そこでは大企業の
エリート社員が、マーケティングを駆使し、大量の資本を投入することにより、《B層》の琴線に触れるコンテンツを
量産している。
たとえばポップスなら、音楽そのものよりも、歌い手の容姿や生い立ち、持病、スカートの丈の短さなどが
重視される。ニーチェは言う。「畜群人間は、例外人間や超人がいだくのとは異なった事物のところで美の
価値感情をいだくであろう」(『権力への意志』)
畜群はまさに《B層》である。真っ当な価値判断ができない人々だ。彼ら《B層》は、圧倒的な自信の下、
自分たちの浅薄な価値観を社会に押し付けようとする。そして、無知であることに恥じらいをもたず、素人で
あることに誇りをもつ。ありとあらゆるプロの領域、職人の領域が侵食され、しまいには素人が社会を導こうと
決心する。これこそがニーチェが警鐘を鳴らした近代大衆社会の最終的な姿だ。
与党政府も素人に陥落されつつある。前防衛相の一川保夫は「(自分は)安全保障の素人」と誇らしげに語り、
続いて防衛相になった田中直紀は素人以前の「ド素人」だった。閣僚から地方首長にいたるまで政治家の劣化が
急速に進んだ背景には、《偽装した神=近代イデオロギー》による価値の錯乱という問題が潜んでいる。