http://mainichi.jp/senbatsu/news/20120313ddn041050020000c.html 初球、わざとスローカーブを投げた。31年前の甲子園のマウンド。今も後悔している。ど真ん中を狙って
ストレートを投げ込み、勢いをつけるのが自分のスタイルだった。「完全に浮かれていた」
81年、高崎(群馬)がセンバツに初出場した時のエース、川端俊介さん(48)。エースのスローカーブを
武器に関東大会で準優勝した弱小校の快進撃を、スポーツライターの故・山際淳司さんが描き、
センバツ直前に発表したエッセー「スローカーブを、もう一球」の主人公だ。有名政治家も輩出した
県内屈指の進学校。「文武両道」と脚光を浴び、センバツ出場で取材が殺到した。他校の女子生徒も
練習を見に来た。ファンレターは段ボール4箱に達した。
山際さんの取材は高崎駅前の飲食店で受けた。有力選手でもない自分に注目してくれたのがうれしかった。
「なぜ野球を続けているのかって聞かれれば惰性ですね、惰性」「東京学芸大で甲子園出場歴を生かすか、
青山学院大にいって遊びたい」。格好をつけた言葉がそのまま活字になった。「あの本が出るまで、
スローカーブなんて一度も意識したことはなかった。どこかで『見せてやろう』という気持ちがあった」
1回戦の対星稜(石川)戦。三回2死一塁、インコースの直球を投げた。打者を翻弄(ほんろう)しようと、
一番練習した決め球だ。しかし、高く上がった打球は風に流されてホームラン。「これを持って行かれるのが
甲子園なのか」。自信が音を立てて崩れた。
四回にも4点を失った。もう怖くてインコースもスローカーブも投げられなくなった。被安打13、1対11の大敗。
その恥ずかしさから自信を取り戻せず、夏の県大会は2回戦で負けた。川端さんは大学で野球から離れ、
小学校の教員になった。当時の作品や新聞を読み返すことも、OBで集まることもなかった。マスコミも
避け続けた。
しかし、今回の母校のセンバツ出場に心が躍った。不完全燃焼でグラウンドを去った自分たち。後輩たちの
はつらつとしたプレーが「やり直したい」との後悔を晴らしてくれる気がする。