【陸上】恵まれた環境にある選手達へ…セミヌード陸上選手中西麻耶を直撃!義足ヌードの真相激白
1 :
ノーチェンジ!@ウェザーρ ★:
2 :
ノーチェンジ!@ウェザーρ ★:2012/03/14(水) 17:25:21.16 ID:???0
※
>>1の続き
−−カメラマンの越智貴雄さんには“スッポンポンになりたい”と伝えたとか
「普通の写真集などではインパクトがないと思いました。大勢の方たちにここまで支援してもらい、
自分自身も現状にしっかりと向きあわなければならいという気持ちもありました。それなら、嘘偽りの
ない自分を見せようと。私だけでなく資金難と戦っている選手はたくさんいます。後輩に同じ思いを
してほしくない。実力のある選手が大会に出られなかったり、練習ができないなんてありえない」
−−撮影は緊張しましたか
「いいえ。いいものをつくりたいというスタッフがプロフェッショナルに徹してくれたので、抵抗は
ありませんでした。いいものを作れば、いい方向にいくと思ったので2日間の撮影は必死でした」
−−反響は?
「賛否両論があるのは覚悟していましたが、思ったほどバッシングが少なかったので驚きました。
ちゃんと真意が伝わったのかな、とうれしかった。いやらしいものではなく、美しいものを届けられたらと。
注目を集めて、何か社会に影響を与えるものであったらいいと思います」
−−自分の写真を見てどう思った
「写真を選ぶとき、越智さんと私の意見が合わないんです。越智さんは全身のバランスを見て
選びますが、私は筋肉がきれいに写っているものを選んでしまって。どうしても、腹筋が割れたり
しているものがいいような気がして」
−−勇気が必要だったのでは
「私は直感を大事にしています。右足を切断したときも、切った方がいいと思ったので決断しました。
切らずに治療する方法もありましたが、医師から『治っても右足では体重を100%支えることは
できないかもしれない』といわれていたので。地元開催の大分国体が迫っていて、どうしてもソフト
テニスで出場したかった、その一心でした」
3 :
ノーチェンジ!@ウェザーρ ★:2012/03/14(水) 17:25:35.93 ID:???0
−−復帰までの期間は
「再手術もあって入院は半年ぐらい。退院したらすぐにコートへ向かいました。最初は義足も合う
ものがなくて、思ったようには動けませんでした。周りには『現実を見ろ』といわれましたが、私が
なくしたのは右足だけでテニスへの思いはなくしていません。復帰の可能性を信じてくれない人たちへの
対抗心は、とても強かった」
−−陸上に挑戦することになったのは
「障害者として競技をすることは考えていませんでしたが、競技を見に行って“私だったらもっと
早く走れる、そうすればテニスもできる”と考えて」
−−夢は
「自分のすべてを失っていいという覚悟で、世の中に注目してもらうためにカレンダーを出しました。
世界記録を無限大に追求していきたいです」
■なかにし・まや 1985年6月3日、大分県由布市生まれ。明豊高時代はソフトテニスで高校総体
などに出場。2006年、仕事先の塗装店で荷崩れした鉄骨に挟まれ右ひざ下十数センチを切断した。
07年から陸上を始め、08年北京パラリンピックは100メートル6位、200メートル4位。100メートル
(13秒84)、200メートル(28秒52)、走り幅跳び(4メートル96)の日本記録を持つ。現在はロンドンの
選考会となる6月2、3日のジャパンパラ陸上競技大会を目指し、サンディエゴで練習中。
▽参考画像
http://hochi.yomiuri.co.jp/photo/20120303-376805-1-L.jpg http://ec2.images-amazon.com/images/I/51rmLjsAVRL.jpg