【サッカー/Jリーグ】柿谷曜一朗、早熟の天才が過ごした雌伏の時…精神的な成長を遂げ、“帰るべき場所”へ
■充実した環境で遂げた精神的な成長
大阪から海を隔てて車で約2時間。合宿所のような、山奥にある徳島の練習場。一見、厳しい環境
に追い込まれたかに見えたが、徳島の練習環境は、J2では異例とも言える立派なものだった。クラブ
ハウスはもちろん、風呂、サウナに筋トレルーム。天然芝が2面あり、医療設備も整っている。サッカー
に打ち込むには最適の環境だった。さらに、この地で柿谷は、後に恩師と慕うことになる美濃部直彦
(現・京都産業大ヘッドコーチ)と出会う。
選手との個別の対話は少ないクルピと違い、京都の育成出身の美濃部は、柿谷と何度も粘り強く
対話を繰り返した。時に、「香川や乾にあって、お前に足りないものは何か」といった直接的な言葉
で刺激することもあった。徳島に来た当初は危機感を持っていたメンタルが緩みかけている、と見るや、
即座に言葉で引き締めた。美濃部はそれを、“注射”と呼び、「今日は強めのやつを打ってやった(笑)」と、
したり顔で話すこともあった。
移籍した初年度は、“注射”の回数も多かった。例えば、第39節の愛媛との四国ダービー。徳島は
勝利したが、柿谷はベンチスタートを命じられ、出場も後半のラスト15分間にとどまった。試合後に
サポーターと勝利を分かち合い、チームメートがピッチを後にする中、柿谷は一瞬、不満気な態度を見せた。
それを美濃部が見逃すはずもなく、厳しく叱責(しっせき)した。ただし、単にしかるだけではなく、柿谷に
気持ち良くプレーさせるための配慮を欠かさなかったことも付け加えておきたい。
「曜一朗が豊かな才能を持っていることは、誰もが一目で分かる。ただ、それでも今J2のここにいると
いうことは、何かが足りないということ。自分が曜一朗を変えるとか、そんなことを言うつもりはないけど、
彼にとって必要だと思われることを言い続けることで、彼のサッカー人生が変わるきっかけになれば。
将来的に、徳島に来て良かった、と思えるようなキャリアになってくれればいい」
柿谷について、当時の美濃部は、このようなことを何度も言っていた。そういった親心とも言える美濃部
の熱心な指導は、次第に柿谷にも伝わる。徳島移籍3年目となった昨季は副将も任され、最終節までJ1
昇格を争ったチームをけん引した。途中交代を命じられた試合後も、「最後までピッチに立てなくて残念。
監督に、最後までピッチに残しておきたい、と思われるような選手になりたい」という殊勝なコメントも残すなど、
精神的な成長も見て取れた。最終的に、目標のJ1昇格はかなわなかったが、徳島の2年半で経験した
試合数は101。弱冠22才にして、すでにJリーグ通算試合数は149を数えている。
C大阪を放出された直接の原因にもなった遅刻癖も、徳島ではチームメートと同じアパートに住み、ともに
クラブハウスに通うことで改善され、その後はJ2最多の408試合出場記録を持つ倉貫一毅(現・京都サンガ
F.C.)の高いプロ意識に感化され、練習開始前の準備も自然と行うようになった。プロとして飛躍するための
下地を作った徳島時代であった。余談になるが、昨季の東日本大震災による中断期間中に、C大阪対徳島の
練習試合がC大阪の練習場で行われた際、柿谷は試合後にクルピの元へ歩み寄り、握手と言葉を交わした。
クルピはそこで、「ゴールという結果で、自分の価値を示していけ」と香川、乾、家長昭博、清武弘嗣といった
歴代の攻撃的MFの選手と同じ言葉を柿谷に投げかけ、エールを送った。両者のわだかまりが解けた瞬間
として、スタンドからは大きな拍手が送られた。
■C大阪へ帰還「帰ってくるべき時が来た」
そして2012年、柿谷はC大阪に帰還した。このタイミングについて、チーム編成を司る梶野智強化部長は、
「帰ってくるべき時が来たということ。それがすべて」と話す。時を同じくしてクルピもC大阪を離れたが、柿谷
本人が、「クルピ監督がいなくなったから、戻ってきたと思われるかも知れないけど、それは関係ない。クルピ
がいたとしても、戻ってくる選択をした」と話すように、大きな問題ではない。
では、“帰ってくるべき時”とは何を指すのか。それは、生まれ育ったC大阪で雄姿を見せるための、柿谷の
状態が整った、ということだろう。新加入(復帰)会見の様子からも、本人のやる気は伝わってくる。「僕が育った
のはC大阪であり、またここでプレーしたい気持ちがいつもどこかにありました。C大阪から話があった時、もう
一度チャンスをもらったと思いました。今年のクラブの目標はタイトルですが、僕ら前の選手がたくさん点を取る
ことによって、それに近づく。結果にこだわってチームに貢献したいです」。
そして、徳島で得たものとしては、「試合に出られる喜び。チームメートと一緒に試合で勝つ喜び。負けること
の悔しさ。チームとして戦うこと」を挙げている。放出の際にクルピが苦言を呈した「チームやサポーターに対する
敬意が見られない」という部分に関して、問題は解消されたと見ていいだろう。
■清武らとの融合はいかに
C大阪でのデビュー時から柿谷を知り、今季は主将に就任したC大阪一筋8年目の藤本康太も、柿谷の変化
を感じ取る選手の一人だ。始動2日目の練習後、「今日の練習でも早く来ているし、成長したのかな」と目を細めた。
ただし、次のような一言も付け加えた。「どんなプレーをするのか、早く見てみたいですね」。
“どんなプレーをするのか”。プロサッカー選手である以上、そこが事の本質だ。どんなにメンタル的な成長を
遂げようと、C大阪に対する思いが強かろうと、プロはピッチ上での結果がすべて。そんなことは、本人も百も
承知だと思うが、柿谷が見せるべきは、グラウンドでの活躍ということになる。昨季終盤は、J1昇格を目指す
チームの勝利を第一とするプレーを続けていた柿谷だが、C大阪では、献身的なプレーに加えて、攻撃面での
個の能力の違いを見せなければ、スタメン奪取はおぼつかない。前線でスタメンを争うライバルは、つわものぞろいだ。
2列目には、清武、キム・ボギョンの日韓A代表コンビに加え、昨季終盤にブレイクした2年目の村田和哉、
そしてセルジオ・ソアレス新監督が直々に日本に呼び寄せたブランキーニョが集う。FWも、昨季のブラジル
全国選手権で13点を挙げたケンペスに、杉本健勇と永井龍の伸び盛りのU−23コンビ、J1通算100ゴール
まであと15点に迫った播戸竜二も健在だ。この中から、新監督のお眼鏡にかなうプレーを見せなければならない。
「DFラインと中盤を4枚の2ラインにして、2トップの1.5列目に清武を置き、彼を自由にプレーさせるプラン
もある」「清武、キム・ボギョン、ブランキーニョの3シャドーも、可能性のひとつ」。宮崎キャンプに行くまでの間、
大阪市内の練習場で発した新監督の構想に、柿谷の名前は出てこなかった。ただし、それはある意味当然でも
ある。監督が見た昨季のC大阪の試合映像に、柿谷の姿はないからだ。だからこそ、宮崎キャンプは、自分の
プレーに対する予備知識の少ないソアレス監督にアピールする絶好のチャンス。昨季、チーム全体で67得点
を挙げた魅惑の攻撃陣に、柿谷がどのような色を加えるのか。それが、今季のC大阪の注目点の大きな一つである。
チームの大黒柱であり、柿谷が「一緒にプレーするのは楽しみ」と話した清武は、残念ながら五輪代表の
練習試合で全治6週間のけがを負って離脱したが、清武復帰後の2人の“競演”にも期待が集まる。ミスター
セレッソ・森島寛晃氏に始まり、近年の香川、乾、家長、清武、キム・ボギョンと続いたC大阪アタッカーの歴史に、
柿谷がその名を刻むことができるか。遅れてきた“天才”の、真のチャレンジが始まった。
<了>