米国で卵子提供を受け50歳で出産した現職の衆議院議員・野田聖子氏と今年1月6日に
1歳の誕生日を迎えた息子・真輝くんに密着したドキュメンタリー『私は母になりたかった 〜
野田聖子 愛するわが子との411日〜』が、フジテレビ系金曜プレステージ(1月20日、後9:00〜10:52)で
放送されることが8日、わかった。野田氏本人から「ありのままの自分を取材して欲しい」という
依頼を受け、出産前から密着。真輝くんの誕生とともに始まった壮絶なる闘病の日々を追った。
1年2ヶ月にわたり密着取材したフジテレビ情報制作センターの岡康治プロデューサーは
「子供の授かり方についてはさまざまな論議があります。野田さんには、卵子提供という方法しか
残されていませんでした。これもまた、一つの現実です。野田さんが取材に協力してくれたのは、
“子を望む母の想いを少しでも感じてもらえたら、不妊という事実にもがき苦しんでいる女性たちに
何かのヒントになれば、一人の女性として記録に残したい”との思いでした」と、背景を語る。
野田氏は、40歳の時に自然妊娠が不可能な体であることが判明。14回の不妊治療を繰り返すも、
残念ながら出産にまでは至らなかった。流産という悲しい出来事も経験。そして、彼女は“卵子提供”
という道を選択する。2010年初春、卵子提供が法律で認められている米国・ネバダ州で、
夫・文信氏の精子とアメリカ人の卵子による受精卵が野田氏の子宮に戻され、念願の妊娠をした。
しかし、その時から母と子の闘いが始まった。母体は「切迫流産」の危険性と「羊水過多」による
身体的な苦痛に見舞われた。一方、お腹の中の子どもはエコー検査で「臍帯ヘルニア」と「心臓疾患」の
可能性の指摘を受けたのだった。2011年1月6日、野田家に待望の男児、真輝くんが誕生するも、
すぐに臍帯ヘルニアの手術を受けることに。同時に「食道閉鎖症」の所見がみられ、食道に対する
緊急手術も行われた。さらに、出産から2週間後の野田氏も子宮を摘出する手術を受け、2度と子供を
産むことができなくなってしまう。
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