● 日本人を勝たせたくないと公言し美談扱いされる、五輪の姦酷女性審判 〜 スポーツ朝鮮 ( 2004/08/16 )
「 ( デビュー戦が日本人選手の試合で ) 目の前が真っ暗でした。 」
92年バルセロナ五輪の柔道金メダリストだった私 ( 金美廷 ) だが、
審判として再び五輪でデビューすることになりとても緊張した。
審判資格を取得し国際大会で2度経験を積んだが、
オリンピックの大舞台では何の役にも立たなかった。
柔道競技が行なわれたアノリオシア・ホールで、私は初出場選手みたいだった。
さらに、私はアテネ五輪の審判24人で唯一の女性であるだけでなく、
実は他の大きなプレッシャーがあった。
私が五輪で主審デビューを飾ったのは男子60キロ級3回戦の野村 ( 日本 ) の試合だったのだ。
その時は韓国の崔敏浩 ( チェ・ミンホ ) がまだ勝ち進んでおり、
「 なぜ韓国の金メダルを阻害する日本人の試合なのか!? 」 と心から恨んだ。
野村が開始57秒で一本勝ちした瞬間、
右腕は絶対上げたくなかったというのが私の心情だったのだ。 ← ★★★
だが誰が見てもあざやかな一本勝ちの手前、私の右腕は野村の勝利を渋々宣言せざるをえなかった。
それでも審判評価で高得点をもらい、3位決定戦での審判に選ばれた。
KBSテレビの解説席で見守っていた夫 ( 金炳周。 89年世界選手権王者 ) の前で
審判としてデビューすることができ、非常に満足している。
※ 朝鮮日報ソースより抜粋ソース
http://www.tamanegiya.com/sinnpannto.html