【芸能】「死にたいと思っていた」・・・尾崎豊さん「遺書」月刊誌に全文掲載★2
673 :
672:2011/11/13(日) 12:46:25.91 ID:xkXQ8a3mO
(続き)
(省略)。司法解剖結果に基づく死体検案書には肺水腫の原因の欄に「メタンフェタミン中毒」と記されていた。メタンフェタミンは覚醒剤の一種。つまり、尾崎は覚醒剤の多量摂取が原因で死亡したとされたのである。
だがこれらの写真は、誰かに暴行されたかのようにしか見えないのだ。
実際、当時の千住署捜査員は、「常時20人体制で5月下旬まで徹底的に捜査しましたが、結局尾崎の当日の行動の全ては洗えませんでした。その空白の時間に、暴行に巻き込まれた可能性もゼロとはいい切れません。この点は今でも気にかかっています……」と証言するのだ。
さらに、尾崎の死体検案書には看過できないもう一つの記入事項があった。「外傷性クモ膜下出血」。それだけでも致命傷に成りうる重度の症状だ。元東京都監察医務院長で、『死体は語る』の著者である上野正彦氏はいう。
(続く)
674 :
673:2011/11/13(日) 12:47:42.22 ID:xkXQ8a3mO
(続き)
「肺水腫はさまざまな原因で起こり、アルコールや覚醒剤の多量摂取でも起きますが、クモ膜下出血でも起きます。脳に大きなショックが加えられると、脳が肺を制御できなくなってしまい、呼吸困難を起こすのです」
つまり尾崎は、何らかの外傷が原因で死亡したとも考えられるのだ。さらに上野氏は写真を見て、右眼のドス黒いアザについてこう指摘している。「これは、人の拳で殴られた可能性が高い。
砂利石が敷きつめられた民家の庭で、裸でのたうち回れば、身体中にこれだけの擦過傷(スリ傷)ができることは考えられる。だが、目の部分は額や頬骨より凹んでいるので、もしのたうち回っている間にどこかにぶつけたのなら、額や頬骨に擦過傷が残る。
しかし彼の額と頬骨にはそれがない。さらにコンクリートなどの固いもので打った場合は、右眼周辺の皮下出血している部分に必ず擦過傷が残る。ところが、そこにも擦過傷がないので、擦過傷が残らない何か柔らかいもので殴られた、つまり人の拳でしょう」
(続く)
675 :
674:2011/11/13(日) 12:48:30.33 ID:xkXQ8a3mO
(続き)
この拳による“殴打”が事実なら、とても「事件性なし」とはいい切れないのではないだろうか。前出の大楽氏は、尾崎の死因にこう疑問を呈した。「ボクと(実兄の)康は、豊くんの腫れ上がった顔を見て、その死因に疑問を感じていました。今こうしてあらためて写真を見ても、
やはり暴行されたとしか思えない。お父さんの健一さんも真実を知りたくて、当時再捜査を求める嘆願署名集めの運動を始めたんです」
結局、警視庁はこの嘆願書を受理しなかった。真実を知りえなかった徒労感からか、7年以上経った今は、健一氏も康氏も沈黙を守っている。(省略)。
慶応義塾大学の安冨潔教授(刑事訴訟法)はこう指摘する。「外傷性クモ膜下出血はそれだけで致命傷ですから、その原因をつくったのが何だったのかは調べるべきでしょう。
原因が殴られたもの、つまり他人にあるのなら犯罪です。殴った人に故意があれば殺人罪、故意がなくても傷害致死罪になる」
あの日、尾崎の身に何があったのか。真実を求めて歌い、夢なかばにしてその短い人生に幕を下ろした“天才”尾崎豊。これらの写真の尾崎からは、「あの日の真実」の叫びが聞こえてくる――。