【サッカー】杉山茂樹サン 「流動的なサッカーとは何か」

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1依頼167@落花流水ρ ★
流動的なサッカーとは何か
livedoor 2011年9月27日(火)9時0分配信

マレーシアにホームで2−0。五輪チームの初戦の戦いは、褒められるべきものだろうか。
僕は前回のメルマガで、A代表でレギュラーに近い選手(清武)は、五輪代表に選ぶ
べきではないと書いた。五輪予選はあくまで育成の場。絶対に負けら得ない戦いでは
ない。事実上「卒業」した選手を呼び戻すのはナンセンス。新たな選手に出場のチャンス
を与えた方が、五輪の男子サッカーの趣旨には相応しいと。

さすがに香川、宮市が招集されることはなかったが、清武は当然のように選ばれた。
サッカー産業的な視点に立てば当然の帰結ながら、清武を使えば、育成の場としてなら
できる言い訳が、できにくくなることは確かだ。

スポーツニュース、スポーツ新聞ともに、試合結果を受けて、勝因と清武の活躍を重ねる
ように報じた。概ねストーリーはこうだった。「清武の活躍で日本は勝利を収めた」。僕的には、
現状をなぞっただけの、いわば後ろ向きの報道に思えて仕方なかった。

A代表のレギュラークラスの選手が、マレーシアの22歳以下チームとの試合で、それなりの
プレイを見せるのは当たり前なわけで、その点に報道が集中するということは、日本サッカー
界的には収穫の少なかった一戦だと言える。スター選手が格下相手に活躍することが、
そんなに喜ばしいことかと嘆きたくなるが、それこそが日本のスポーツ報道の現実だ。

>>2につづきます。


▽livedoor
http://blog.livedoor.jp/sugicc402/archives/3950753.html
2落花流水ρ ★:2011/09/27(火) 14:07:40.72 ID:???0
>>1のつづき。

彼がそれを圧して余りある活躍をしたなら納得する。A代表の試合に落とし込んでも、
画期的なプレイを連発したのなら何の問題もないが、実際はけっしてそうではなかった。
相手がマレーシアでよかった。この調子ではバーレーン、シリアには苦戦する。組分けに
恵まれたことは確かだが、楽観は禁物。少なくとも僕はそう思った。

清武の技量そのものを問題視しているのではない。指摘したいのは、本来の高い技量が
チームの中に反映されていない点だ。弱小マレーシアにホームで2−0という寂しい結果に
終わった理由の一つは、4−2−3−1の3の並びにあった。

そもそも清武のポジションは4−2−3−1のどこなのか。定位置と言われる3の右にどれほど
の時間収まっていただろうか。

「3人はポジションを固定せず、状況に応じて“流動的”に、ということなのでしょう」とは、
テレビ解説者の説明だが、これはしばしば用いられる台詞でもある。同じく4−2−3−1を
採用するA代表の場合もしかり。3人が定位置に収まっていない現象を解説するときの
常套句になっている。

3人のポジションが、右、左、真ん中で固定されているサッカーは、確かに自由が少なそうに
見える。動きに制約のある窮屈な印象を受ける。お前は右だから、右から絶対に動くなと
監督から言われているサッカーには面白味を抱きにくい。

しかし、秩序なくゴチャゴチャになってしまっているサッカーは、それ以上に好ましくない。
ズレるのは構わないが、3人の呼吸が合っていることが前提になる。結果、3人が綺麗に
配置されていなければならない。そのためには、それぞれはそれぞれのポジションを絶えず
確認している必要がある。自らのポジショニングに敏感になる必要がある。

>>3につづきます。
3落花流水ρ ★:2011/09/27(火) 14:07:53.88 ID:???0
>>2のつづき。

“流動的”は、そういう意味でとても曖昧な表現だ。流動的に見せることはけっして簡単では
ない。難易度の高いチームプレイになる。注意事項や拘りのない秩序を欠く流動性は、
ゴチャゴチャとした印象しか与えない。

清武、原口、東(山崎)で構成された五輪チームの3は、まさにその典型で、お互いの
ポジションをお互いが客観的に判断した末に、動いているようには見えなかった。本能の
ままに動いている。とりわけ清武には、そうした印象を受けた。A代表で出場した際には
見られなかった傲慢さが見え隠れした。

テレビ解説者は、対マレーシアの攻略法をサイド攻撃にありと、当初から口にしていた。
そのためには高い位置でのサイドチェンジが必要だと、それこそ口酸っぱく語っていた。
それが決まらなかった原因は分かりやすい。4−2−3−1の3が、絶対的は幅を保って
いられなかったことにある。相手の守備が厚い真ん中付近で、ゴチャゴチャしている時間の
方が長かったからである。引いて構える相手にはサイドを突け。相手サイドバックの背後を
突き、外から皮を剥ぎ取るように攻略せよとの鉄則は実戦されなかった。

結局、流動的プレイの弊害について語られることはなかった。

後半23分、東に替わりウインガータイプの山崎が投入されても、事態に変化はなかった。
開いているのは山崎のみ。しかも、左で開いていたかと思えば、右でも開くと言った有様で、
2人いるべきはずの開き役を1人で担っていた。つまり、逆サイドは存在しなかった。解説者が
力説していた高い位置でのサイドチェンジなど決まるはずがなかった。ウインガータイプの
選手を投入したにもかかわらず。世界のスタンダードから著しく外れた、前時代的な、
田舎っぽいサッカーと言ったら怒られるだろうか。

>>4につづきます。
4落花流水ρ ★:2011/09/27(火) 14:08:06.35 ID:???0
>>3のつづき。

一方で清武の活躍は、改めて大きく取り上げられた。

「清武、全得点を演出」「1人別次元の活躍」

見出しを派手に躍らせる活躍には見えなかったにもかかわらず。全得点と言われても
実際には2点だ。しかも相手はFIFAランキング146位の格下マレーシア。

本質はまるで浮き彫りにならなかった。それについて一致団結して、必死に蓋をしている
ようだった。この試合を通して、何かが一歩前進した感じはまったくしない。にもかかわらず、
みんなで喜ぼうとした。そうではない例外もそれなりにいたはずだが、メディアの力によって鎮圧。
彼らは少数派の域に押し込まれることになった。

関塚采配に言及した報道は皆無。是非論もしかり。A代表のレギュラークラスも投入し、
絶対に負けられない戦いをしたいのなら、そのあたりについても突っ込んでいくのが筋であるはず。
バランスを欠く報道と言わざるを得ない。マレーシアにホームで2−0。にもかかわらず、みんなで
喜ぼうとする日本。五輪出場権を獲得しても、本大会での上位進出は望み薄。僕にはそう
思えて仕方がない。