'01年、甲子園最速の158kmをマークした寺原隼人(オリックス)はこの夏、こんなことを話していた。
「松坂(大輔)さんの記録を抜いてしまったことで球速にこだわりすぎて、成長が遅れたと思う」。
この話を聞いて、'09年に左腕最速の154kmを叩き出した菊池雄星のことが思い出された。
メジャーを含めて、20球団のオファーが殺到した菊池が比較されたのは、あの江夏豊だった。
周囲は、即戦力として二桁勝利は当たり前と考えていた。期待が高まれば高まるほど、
本人は辛かったはずだ。体力不足は明らかだった上、当時は背筋を痛めていた。
海外へのこだわりを見せたのも、実はメジャー30球団の統一リハビリ法の存在を知った時からだった。
結局、昨季は一軍登録もままならぬ状態で未勝利。
そんな状況でも菊池は饒舌だったが、それは不安を隠すために思えてならなかった。
渡辺久信監督は「PLや横浜と違って、田舎の高校生は鍛えられていない」と菊池を厳しく突き放した。
「プロの世界は、小手先だけでかわせるほど甘くない」と、体力作りに取り組む必要性を実感した今年
のキャンプが分岐点となった。
“練習はウソをつかない”は使い古された言葉だが、それを誰よりも実感したのは、菊池ではなかったか。
プロとアマの違いを知り、甲子園の幻影から解き放たれ、6月30日のオリックス戦で、プロ初勝利を挙げた。
6回途中で降板したこともあってこの日は「まだ完投できる体力はありません」と反省していたが、
8月11日の日ハム戦ではストレート中心の組み立てで2勝目。
「一つ勝てたことで、こんなに周囲が見えるようになるんですネ」というのは偽らざる本音だったろう。
8月18日の楽天戦は堂々たるピッチングだった。自責点1でプロ初の完投勝利。
自分を飾る必要もなければ、見栄をはる必要もない。ありのままの自分を見せた。
甲子園の輝きは、選手を必要以上に過大評価させてしまう。
そこで自分を見失うのか、原点に戻ることができるかで、プロ野球人生が変わってくる。
菊池は、一度はプロの壁にはね返されたが、甲子園の自分を忘れることができたときから、
西武の菊池に生まれ変わった。
渡辺監督も「今の菊池は立派なプロの投手だ」と初めて及第点を出した。
http://number.bunshun.jp/articles/-/156555