【女子サッカー】登校拒否児童だったなでしこ・宮間あや きっかけはウサギ

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1ゴッドファッカーφ ★
見事サッカー女子W杯で優勝したなでしこジャパン。決勝戦で、日本の1点目、さらに大会MVPで
主将・澤穂希(26)の同点ゴールを演出し、1ゴール1アシストと大活躍を見せたのが、宮間あや
選手(26)だ。その左足から繰り出される正確なキックを武器に、“なでしこジャパンの中村俊輔”
ともいわれている。

そんな宮間だが、小学生時代には登校拒否になったこともある。あるインタビューで、彼女自身こう
語っている。

「人のいうことをあまり聞けない子でした。不良じゃないんですけど、登校拒否のときがあった。
小学1年生から3年生の間ですね」

3年にわたる登校拒否。その原因は何だったのか。母・洋子さん(52)はこう話す。

「もともとの原因は、幼稚園の年長組のころでした。園内でうさぎを飼っていて、園児たちで飼育を
担当することになったんです。あやもその担当に選ばれて張り切っていたのですが、他のお友達が
その仕事を忘れてしまったんです。ひとりになってしまった娘は、とまどって飼育ができなかった。
そのときに先生に“みんなが面倒見ないとうさぎが死んじゃうのよ”と怒られたそうです。その言葉に
ショックを受けて、幼稚園に行くことに抵抗を持ち始めたんです」

しかし、そんな宮間に両親は、決して学校に行くことを強制しなかったという。

「正直、親としては、どうしたら幼稚園に行くことができるのか焦りましたが、強引に連れて行った
ところで、自分が納得しない限りはまた同じことになると思ったので、私たちは黙っていました」
(母・洋子さん)

>>2-10につづく)


▼NEWSポストセブン [2011.07.22 16:00]
http://www.news-postseven.com/archives/20110722_26293.html
2ゴッドファッカーφ ★:2011/07/23(土) 09:14:51.24 ID:???0

>>1のつづき)

そんな宮間を救ったのがサッカーだった。彼女が小学校にあがったころ、父親が子供たちのために
サッカークラブを創立。彼女もそこで本格的にサッカーを始める。

「学校には行かないあやでしたけど、ボールを蹴っているときだけは楽しそうにしていました。
“学校に行きなさい”とはいわなかった代わりに、“好きなことをしたいなら、勉強とスポーツを両立
しなさい”とはいい続けました。すると自分で考えるようになって、少しずつ自立して、いつの間にか
学校にも通うようになっていましたね。ただ小学3年生までというのは大袈裟だと思いますよ」
(母・洋子さん)

※女性セブン2011年8月4日号

(おわり)