大野が右ヒジに痛みを覚えたのは、県予選が始まる前の5月だった。
熊本県の招待試合で鎮西、熊本工業という強豪校相手に2連投、1日で18イニングをひとりで投げきった。
右ヒジの痛みは日を追って激しくなり、それが原因で頭痛を併発、満身創痍のまま県予選を迎える。
ヒジをかばって変化球主体のピッチングをすると、チームメイトから「おまえのせいで甲子園に行けんかったら、一生恨んでやるからな」と罵声を浴びせられた。
大野にとって仲間の罵声は、監督の叱声にも増してショックだった。合宿所のトイレで、人知れず涙をこぼす日々が続いた。
奮闘の甲斐あって甲子園出場。しかし、右ヒジはすでにまっすぐには伸びない状態になっていた。一球投げるたびに、激痛が全身を貫いた。
歯を磨くのも左手、顔を洗うのも左手、食事くらいはと右手で箸を持つと、痛みのあまり、幼児のように箸使いがぎこちなくなり、ご飯粒が、箸の隙間から、ぽろぽろとこぼれおちた。
http://park7.wakwak.com/~team95ers/newpage83.htm