産経新聞 1月30日(日)22時11分配信
優勝直後のインタビューでザッケローニ監督は
「日本代表は最高のチーム。日本のみなさんはこのチームを誇りに思っていい」と興奮気味にまくし立てた。
監督自身、この1カ月、両肩に背負っていた重荷を降ろした瞬間でもあった。
決勝の相手は高さとパワーが武器の豪州。
序盤はパスをつないで崩しに来たのが後半、高さを押し出してきたところで指揮官が動いた。
藤本を下げ、上背のある岩政を投入。
ボール奪取にたけた今野を一列上げ、4−3−3の布陣で対応する腹づもりだった。
ところが右足を痛めていた今野は、接触の多いボランチは無理と判断。
話し合った選手たちは、左サイドバックの長友を左MFに上げる案を投げ返してきた。
のちに「(指示通り)やれといえばやっていただろう」と振り返った指揮官だが、選手の意見を尊重。
さらに「受け身に回る印象を相手に与えてしまう」との懸念から、システム変更そのものをやめた。
結果的に長友は李の決勝点をアシストする大活躍。
大舞台でこんな掛け合いができたのも、揺るぎない信頼関係の賜物だ。
コミュニケーションに積極的な指揮官は、練習前後に選手と「個別会談」するのが恒例。
試合に備えたミニゲームでも常に主力と控えを織り交ぜた2チームを編成、
先発メンバーを当日まで伝えないようにし、モチベーション維持に努めた。
さらに「替えの利かない選手はいない」との持論から、
経験の少ない選手の起用もためらわず、6試合で23人中21人を出場させた。
「試合ごとにヒーローが替わり、出られなかった選手が結果を出した。こういう大会でそういうのがあると強い」と長谷部。
最年長の遠藤も「自分たちのよさを引き出してくれる」と指揮官をたたえた。
絶妙な気配りと思い切りのよさで、初めての公式大会で最高の結果をもたらした。
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