【サッカー】名古屋・久米GM「ユースでもっと人間教育を徹底しないと」「高校の先生だったらタダじゃおかないような状態になっている」

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1臣亮言φ ★

ユースが示す高校サッカーの意味 「人間教育」という課題と向き合って


「ウチの子はまだ人間的に甘えがある。教育ができていない。
このままではプロでやれないから、大学で4年間頑張ってもらって、そこで人間的に成長してほしい」

レコーダーを回していたわけではないので、記憶から引っ張り出してきた言葉だが、大筋では間違っていないと思う。
そんなことを言われたのは、ある年の暮れだった。「今年はユースから誰も上げないんですか?」という問いに対する
Jリーグ某クラブの強化担当者(いわゆるスカウト)の答えである。恐らく正直な見解だったと思うのだが、
この答えにある種の違和感を覚えたのも事実だ。

そもそもこの問いを発したのは、そのクラブが高校サッカー部に所属する某選手を獲得すると発表した直後だったからだ。
「ポジションのかぶるユースのあの選手は上がらないということかな?」と確認したくて聞いてみたわけだ。

このやり取りから、その強化担当者が4つのことを考えていたと推測できる。
つまり、その高校の選手は「人間的に甘えがなくて、教育ができている」ということ、
「ユースでは教育ができていない」し、その選手をトップチームに昇格させても
「プロのステージで教育することはできない」ということ、「でも、大学ならできる」ということである。

本来なら、プロのプレステージであるべきユースが「プロでやるには甘い」選手を育ててしまう温床ということなのだろうか。
プロ契約してサッカーに専念できる環境があると人間的な甘えが直らず(むしろ悪くなる?)、
逆に学業と並行してサッカーをすると人間的な甘えがなくなって選手として一皮むけるということなのか。
少なくとも、強化担当という立場でユース年代の現場を観察してきたその人からは、そう見えていたということになる。


http://sportsnavi.yahoo.co.jp/soccer/hs/89th/text/201012210001-spnavi.html
http://sportsnavi.yahoo.co.jp/soccer/hs/89th/text/201012210001-spnavi_2.html

>>2以降に続く
2臣亮言φ ★:2010/12/21(火) 14:31:55 ID:???0

>>1の続き

■ユースと高校の差は「接触時間」

これは偶然なのだが、この原稿を準備しているころに弊紙『エル・ゴラッソ』にて行われた
名古屋グランパスの久米一正GM(ゼネラルマネジャー)のインタビューでも、
「ユースでもっと人間教育を徹底しないといけない」といった趣旨の発言があった。
自クラブのユースについても「高校の先生だったらタダじゃおかないような状態になっている」と。
日本代表までタフに生き残っていくユース出身者が少ないことと絡めて論を展開されていた。
ユースの人間教育については、インタビュー全体の極一部で言及したにすぎなかったのだが、
この部分について思いのほか大きな反響をいただいた。似たような疑問を持っていた人は意外に多かったということだろう。

ユースと高校の差。こういう単純な比較自体、あまり好きではないが、1つのカギとなる要素は、
単純な指導力の差というより、「接触時間」だと思っている。クラブユース選手権の会場で
「一日2時間しか顔を合わせないやつの『人間教育をしてくれ』なんて無理」という声を聞いたことがある。
指導者の心構えとしては最低だと思うが、一面の真理だ。ユースの指導者が無能だから人間教育をできないのではなくて、
選手に対して関与できる幅がそもそも狭いのだ。

通常、子供のサッカー選手というのは、学校・クラブ(部活)・自宅の三要素をサイクルとして持っている。
高校の先生であれば、2つに関与できるし、寮や下宿であれば、3つ目にもかかわれる。できることの幅もそうだし、
選手の様子がおかしい時の気付きも自然と早くなる。学校という枠組みの中で横の連係も取りやすい。
ユースの指導者に比べて社会的地位が安定しているので、子供に対して強い態度で臨めるという側面もある。

>>3以降に続く
3名無しさん@恐縮です:2010/12/21(火) 14:32:15 ID:WFh2C8kA0
高校でサッカー(というかスポーツ全般)やってる人間もひどいもんだけどな。
4名無しさん@恐縮です:2010/12/21(火) 14:32:32 ID:LVsslimM0
ゆとり
5臣亮言φ ★:2010/12/21(火) 14:32:40 ID:???0

>>2の続き

■高校サッカー的な「教育」に努力も

無論、ユース側も何も考えていないわけではなく、学校との連係強化の重要性を感じている指導者は多い。
ただ、安定的な関係の構築というのはなかなか難しい。「担任がたまたま理解のある人だったから」うまくいったり、
逆に「校長が替わったら、協力してくれなくなった」といったことが実際に起こっている。
また、ユース側の指導者は頻繁に代わるクラブが多いので、それが理由で安定しないケースもある。
そもそも学校サイドとしては、Jのユースは基本的に「お稽古(けいこ)事」にカテゴライズされるものであり、
「協力」といっても大義名分が成立しにくいのが現実としてあるのだ。

その意味で、全寮制で、全員が同じ公立高校に通い、指導者がころころ代わらず、
地域・学校との関係を安定的に保っているサンフレッチェ広島ユースは1つのロールモデルと言える。
全寮制ならば普通の学校よりも接触時間は増えるし、情報も集まるので、指導者ができることの幅は広がる。
「自宅」を預かる立場になるので、学校側との関係構築もしやすい。もちろん、そこから先をできるかは指導者個人の力量、
あるいはクラブとしての問題にもなってくる。

選手によって「合う」「合わない」もあると思うので全寮制万能説を唱える気はない。
ハッキリ言ってしまえば、寮を使ったやり方がうまくいっているように思えないクラブもある。
そもそも家庭の「教育力」があれば、そんなに気にしなくていい話かもしれない。

むしろJ開幕時に高校サッカーのアンチテーゼとしての役割を与えられてしまったユースが、
高校サッカー的な「教育」の問題と向き合うことになったのは意義深いことだとさえ思っている。
各クラブ単位でこの問題に対して努力しているところは本当の努力をしている。全寮制でないのなら、ないなりのアプローチもある。
相も変わらず、クラブ内の人事の都合で指導者を次々と交代させ、引退選手の「受け皿」と称して経験のある指導者を遠ざけて
育成の継続性を阻喪させているようなクラブとは、自然と差が広がっていくことだろう。

>>4以降に続く
6臣亮言φ ★:2010/12/21(火) 14:33:25 ID:???0

>>5の続き

■今年の高校3年生は近年の傾向とは少し違う世代

ひるがえって、高校サッカーである。そもそも、この問題がクローズアップされる背景には、
「Jのユースに有力なタレントが集まるようになって久しいのに、成果が出てないじゃないか」という批判的意見がある。
つまり、高校サッカーに有力なタレントがいなくなったというのを前提とした話だ。

事実、90年代後半から、まず南関東、関西、それに静岡、広島、愛知の5地域を中心にそうした傾向はすでにあった。
2000年代半ばになると、積極的なスカウト路線で成果を挙げた広島ユースの成功もあって、九州や東北、東海、北信越、北関東といった
有力なJクラブが存在しなかった地域からも、中学生がJクラブへスカウトされるようになっていった。
加えて、Jリーグが拡大路線を推進し、地方を含めてユースの絶対数が増えてきたという影響も間違いなくある。
年代別日本代表選手を見ていくと、U−16代表で過半数がユースの選手になったのは98年のチームから。
多少の揺れはあっても、21世紀に入ってからはほとんどがユースの選手で占められるようになっている。

もちろん、今年の高校3年生については、宮市亮(中京大中京→アーセナル)や柴崎岳(青森山田→鹿島アントラーズ)といった
中学時代からの有力選手が高校サッカーを選んでいるので、近年の傾向とは少し違う世代ではある。
ただ、高校サッカーの位置付けが前世紀と様変わりしていることは紛れもない事実だ。

「遅咲き」をいかに見つけて育てるか。「勝利至上主義」と揶揄(やゆ)されることも多いが、まさに勝つためにも、
まだ名前の売れていない選手を見つけて育てなければいけなくなった。青森山田や静岡学園、あるいは神村学園のように
付属の中学校での育成に注力するようになった高校もあれば、中学年代で自前のクラブチームを整備して成果を収めている高校もある。
時代の荒波の中で、高校サッカーもそれぞれの課題と格闘しつつ、着実に変化し、そしてタフになってきた。
こうしたライバル心に基づく切磋琢磨(せっさたくま)は、確実に日本サッカーの糧になっている。

<了>