【野球】元大洋・藤岡康男「うどん坂 松兵衛」…引退後記
>>1 ブランクを埋めに出る。高校の先輩が国士舘大野球部でコーチをしていたこともあり、セレクションで入学。
「1シーズンで体は出来ましたね」。秋にプロの入団テストを受ける。大洋、阪急ともに合格。
「セ・リーグがいいかなと大洋にしました」と、たった半年でプロの切符を手にした。当然、大学は中退。
高校―就職―大学―プロと、他人の何倍ものスピードで駆け抜けていった。
同期にエースに君臨することとなる遠藤一彦氏がいた。
「1つ年上で、1年目も2軍にずっといたんでかわいがってもらいました。とにかく2軍選手では打てないような投手だった」。
自身は「空いたときに投げる感じですね」。1年目はイースタン・リーグで5試合登板。故障ではない。
「1軍に帯同してバッティングピッチャーで投げていたんです。左だったし、昔は打撃投手も少なかったですから」。
貴重な左腕の使われ方も、また異例だった。
だが戦う左腕では、なくなる。
「打撃投手に慣れちゃうと、伸びのある球が投げられなくなる。コントロールを気にして腕が振れなくなるんです。
いい風に考えれば『経験を積め』ということだったんでしょうけど」。
2年目の79年、2軍戦はたった1試合登板に終わっている。
「楽を覚えちゃうんですよね」。そして決断する大きな出来事が起こる。
「親が死んだんで、慌てまして…」。同年8月、牧場を経営する父親が他界した。
>>1 結婚もしたばかりだった。「家業を継ごうと思った。1度もう全部、好きなことをやったんで、監督に『辞めさせてくれ』と。
任意引退にしてもらいました」という。2年の短いプロ人生は、自ら願い出る形で幕を閉じた。
北海道・日高の牧場では競走馬を作り上げるのが弟の仕事、売り歩くのが藤岡さんの仕事だった。
「関東近辺の親の知人に会って、馬の写真を持ってね。競りに出したり。いい時代でした」と振り返る。
並行して知人の飲食業の手伝いもしていたという。それでも「ほとんどが馬の仕事でした」。
自らの店を持つまで、しばらく時間は費やされる。
だが馬の仕事も順風ではない。
「バブルもはじけて景気も悪くなってきた。生活のため、老後のために安定収入が必要だと考えたんです」
と、携わった経験のある飲食の経営に乗り出す。うどん店を選んだことに「店をやろうとしたとき、
素人に近い状態でやれるとなれば、これ位かなと。ラーメンはブームがあるけど、うどんそばは
特別、流行があるわけじゃないですし」という。
98年11月、「松兵衛」がオープンする。六本木の、ど真ん中を選んだ理由も明快だ。
「横浜に自宅があって事務所が目黒。東横線と日比谷線がいい。
渋谷は若い人が多いし、六本木で落ち着いた店をやりたいと思った」。
2010年11月で12年、六本木も変わった。
「今の不景気ですから。六本木も渋谷化したというか、もうちょっと大人の街だった」。時代の変化を身に染みて感じている。
藤岡さんにとって、プロ野球界とは何だったのか。
「特種な人、1番の人が全部集まってる。ただ社会人を経験していないから一般社会より常識に欠ける人もいる。
そういうところをしっかり教育していかないと」という。さらに「辞めてから思うけど(球界に)残ってる人の方が大変。
背広組も裏方も苦労してる。その世界で生きている人は立派だと思う。裏方の人は社会に出てもやっていけると思う」と続けた。
今の夢は。
「(携わった馬が)ダービーに勝つことですかね」と笑顔を見せた。地方競馬で走る馬を今でも持っている。
強い馬を作る術を聞いた。「血統ですね。持って生まれてくる…」―。
馬にも野球にも、人間にも熱くなれる時間があった。
4 :
名無しさん@恐縮です:2010/09/16(木) 11:21:56 ID:YjZtDcOS0
なんて羨ましい人生を送ってんだ
なかなかいい読み物だった。惜しい人を亡くした。
6 :
名無しさん@恐縮です:2010/09/16(木) 11:25:42 ID:drhlSUe/0
やりたいことのほとんどが叶っているじゃねーか。
こういう人はバイタリティーが人とは違うのだろうな。
7 :
名無しさん@恐縮です:2010/09/16(木) 11:29:39 ID:MDLDr0oI0
まさに、うどんのような人生ですね
実家は競馬の競走馬を作ってる牧場
いずれ牧場を継ぐつもりで、腰掛けとして信用金庫で働く
野球がやりたくなって大学に入って野球部へ
プロテスト受けてプロになる
打撃投手兼任でなんとなく2年を二軍で過ごす
親が死んだのでプロ引退、牧場を継ぐ
馬だけではどうかと、うどん屋を六本木に開店、現在に至る。
…なんだこいつw
ホエールズが川崎から横浜にフランチャイズを移した頃に入った選手だな
この人恵まれすぎだろw
失恋さん久しぶりに見た
漫画で書いたら「リアリティに欠ける」ってけなされるレベル。
13 :
名無しさん@恐縮です:2010/09/16(木) 11:46:45 ID:ivleWQhM0
うどん屋はほかにもいたな?
名前忘れた
____
/ \ O・H・Y・A・アキヒコ!名将!
/. ─ ─ \ 大輔なんて番長ー♪私もずっと名将ー♪
/ =⊂⊃=⊂⊃= \ もっと暗黒♪もっと最下位♪
| (__人__) | 自由な負けで広げたい♪
.\. ,/涙もきっと意味ない♪私見る解説席にてー♪
ノ \負け込むから本日名将♪大矢無限大♪ベイスターズ♪
>>2 そうだ、遠藤は何してるんだ。あいつを監督にせーよ。
平松とか松原とか幹部候補生を監督にしないベイはおかしい。
tbsが中部色を排除しようとしてんのか?
16 :
名無しさん@恐縮です:2010/09/16(木) 12:07:58 ID:KYjIL+eU0
2年で怪我も無いのに自ら辞めるとか契約金泥棒みたいなもんじゃね?
17 :
名無しさん@恐縮です:2010/09/16(木) 12:12:55 ID:TQkJPqlX0
馬の仕事やめたのは97年かな?
最後の90年代最後の競馬ブームでITパチンコ成金が続々競馬やり始めた時期だな。
いい時期に売るだけ売ったんだろうなぁ
福岡では珍しい稲庭うどんをリーズナブルな価格で楽しめる「攝津庵」。
ご主人の攝津正さん(28)は前年まで福岡ソフトバンクホークスの投手として活躍。
「しっかり踏んで手でこねることで強いコシがでます」と攝津さんはにこやかに笑う。
現役時代のピッチングスタイルよろしく、歯ごたえのある麺とこだわりの出汁が自慢だ。
体力あるだろうから、すごく腰のある麺が打てそうだ。
水島新司が見たら、この人を横浜の監督にする
ストーリー描きそうだな。
取り敢えずやりたい事はたいていやった人生だな
>>19 稲庭うどんは踏まんぞ、元々殿様への献上品だから脚で踏むなんてもっての他なのだw