どんな環境にあろうとも、日々の生活の中で自身を成長させることが出来ない人間が、
人間活動をしたところで何故に成長出来るのであろうか。
つまりは、活動したことにより世間に成長したと知らしめるためのパフォーマンスに過ぎないのであろう。
形に拘る人間、形しか信じる物が出来ない人間、
つまりは、金しか信用出来ない人間ならではのパフォーマンスでしょう。
この程度のこと、それなりに生きている人間ならばそれなりに見透かすこと。
しかし、見透かされていることさえも信じられない、いや、信じない、そう、つまりは、
見透かしているという形が無いからこそ、それもまた信じなくてもいいという都合の良い解釈が発生するのである。
宇多田ヒカル、それは若かったからこそ評価された「若さに対する才能と憧れ」にすぎなかった幻影だったのだろう。
ttp://blog.goo.ne.jp/midnight_xxx/ より抜粋。