俊輔のW杯が終わった。日本代表MF中村俊輔(32=横浜)が、パラグアイ戦後、
代表引退を表明した。今大会は1次リーグのオランダ戦に途中出場しただけで終了。
02年日韓大会はメンバー落ち、06年ドイツ大会は不調と、W杯とは縁がなかった。
日本の司令塔、日本の頭脳と呼ばれたレフティーが、静かに代表の青いユニホームを脱いだ。
涙腺が緩みそうになった。試合後、泣くまいと思って報道陣の前を通ったが、実際に
「代表引退」の言葉を耳にすると、万感の思いが交差する。こみ上げてくる涙をグッと抑えた。
「次の代表? ないよ、オレは」。言葉が続かない。視線を落として、気持ちを整理しようと、
歩き出した。しばらくして再び足を止めて静かに続けた。
中村俊 この大会はプレーヤーとしては何にも残せなかったね。不思議だね。
02年は逆で、選手としてはよかったと思うけど、トルシエさんは人間としてベンチにおくのは
難しいと判断した。今回はベンチでチームのために努力したけどね。
サッカーの神様が僕をテストしたのかな。
小声で続けた。「耐えるのがつらかった…」。不慣れな控え組。最初は「左足首が痛いから仕方ない。
足首さえ治れば…」と言い聞かせたが、痛みが消えても自分の立ち位置は変わらない。
夜寝ようと電気を消すと、つらい現実に直面し、何度も電気を付けて考え込んだ。眠れない日が続く。
逃げ出したい。でも、わがままは言えない。耐えるしかない。暗い自分を悟られたくない。
宿舎では部屋にこもる日が続いた。マッサージの順番もレギュラー組を気遣い、
後回しにしたこともある。ふっと気づくと、どんどん小さくなっていく自分がいた。
楽しいはずの練習が、つらかった。
(続く)
http://southafrica2010.nikkansports.com/news/p-sc-tp2-20100701-647965.html