【サッカー】アルゼンチン代表・マラドーナ監督、メッシが書いた基本フォーメーション案の尊重を約束

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1チリ人φ ★
それは、3月20日のことだった。アルゼンチン代表監督のディエゴ・マラドーナが、世界最高の選手とひざを
突き合わせるため、マドリーからバルセロナに到着した。
(中略)
ミーティングの席で、マラドーナは1枚の紙とボールペンをテーブルの上に置くと、メッシに向かってこう言った。
「君が好きなアルゼンチン代表の基本フォーメーションを書いてくれ。W杯に向けた戦術案だ」。つまり、メッシに
とって、どのシステムが一番居心地がいいかと尋ねたのだ。最初は躊躇(ちゅうちょ)していたストライカーも、
時間が経つに連れて緊張が解け、自分の考えを紙上に描き始めた。

メッシは代表チームの現状を明確に示した。自身は一定のポジション(右のウインガー、または2トップの右)で
プレーしていて、バルセロナとのポジションと大差があるわけではないこと。だが、所属クラブと違って、中盤の
選手との間が空き過ぎ、FW陣が孤立してしまっていること。代表ではパス&ムーブの動きが少ないこと……。
「2人のストライカーの後ろで自由にプレーができればもっと快適になる」。メッシはこう主張した。つまり、最近の
バルセロナでやっているようなポジションだ。また、セントラルMFのファン・セバスティアン・ベロンとハビエル・
マスチェラーノとの連係をスムーズにするため、もっとラインを上げる必要性も説いた。予断だが、ベロンと
マスチェラーノにセルヒオ・アグエロを加えた3人は、メッシが代表チームで最も仲がいい選手である。

耳を傾けていたマラドーナはメッシの言葉を書き留めると、この決定を尊重すると約束した。意外に思えるかも
しれないが、彼には知識不足を受け入れ、母国の最高選手に適したポジションを与えるために、自らの考えを
変えるだけの柔軟性がある。1982年の地元開催のW杯、18歳だったマラドーナは当時の代表監督セサル・
ルイス・メノッティから招集されず、優勝カップを掲げるチャンスを逃したが、この時の苦い経験が記憶に残って
いるのかもしれない。
(後略)

ソース
http://sportsnavi.yahoo.co.jp/soccer/wcup/10southafrica/text/201004140011-spnavi.html
http://sportsnavi.yahoo.co.jp/soccer/wcup/10southafrica/text/201004140011-spnavi_2.html